第三者委員会報告書

きのう、日大問題について第三者委員会の報告が出た。3人の委員による1時間半の記者会見は異例。

すでに日大のHPには93ページに及ぶ本文と24ページの要約が付されている。

 

まとめれば情報共有の不徹底とガバナンスの不確立というところか。

 

公立の中学に在職していた頃のことだが、マスコミに流れる事案に初めて遭遇したのは82年のことだ。

私のクラスの生徒が、「校長を脅し念書」(当時の読売新聞の全国版社会面のタイトル)をとった事件。

マスコミ対応などという言葉もまだなく、新聞報道(内部の教員のリーク)のあった朝、出勤するとすでに校内は蜂の巣をつついた状態。テレビカメラのクルーが何組も廊下を走り回っていた。

学校側はなんの規制もできず、管理職はお手上げ状態。今考えると信じられないが、保健相談室で開かれた記者会見は、校長と私。どう対応するかといったこともなく、校長も私は好き勝手に喋った。教育委員会は何もせず。ガバナンスどころの話ではない。

テレビ、新聞、そして週刊誌。

週刊新潮」のインタビューを、校長室で受けた記憶がある。

 

私のクラスの少年A(中3)は、確かにやや粗暴でシンナー吸引などしていたが、たまたま校長室に行った時に、彼が校長に要求したのは「週に3日登校するから卒業させてくれ」だった。

校長は、用紙を出して3日でもいいからしっかり出席して勉強するんだよと書いた。

 

それが「校長脅し念書」となったのは、簡単に言えば校長に対する不満を抱えていた教員らが悪意を持ってリークしたことによる。

その日、遅く帰宅すると読売の記者が待っていて、詳しく話してほしいと。ちゃんと書いてくれるなら、と取材に応じた。

窓口一本化が「常識」の今なら考えられないが、当時としてはそうでもしなければ、情報が錯綜しすぎて、担任の視点が埋もれてしまう可能性が高かった。自分で少年Aと自分の関係、クラスを守るには自分から情報を出していくしかなかった。

 

当時は、「荒れる中学」の真っ只中。「校長脅し念書」は、マスコミの好餌となり、続報が続いた。

それ以後のことは、拙著『不適格宣言』(2004年・日本評論社)に書いた。

40年も前のことだ。

 

今では窓口の一本化、マスコミ対応、生徒対応、保護者対応、さらに地域対応など、一旦ことが起きた時の対応がマニュアル化されている。管理職は自分で判断せず市教委と綿密に連絡を取り合い、策を練る。

 

マスコミが無断で直接学校に入ることなどなくなった。

 

情報共有と対応の明確化は、教育委員会の指示のもと、一定に確立しているのが、少なくとも私が知っている今の中学の現場だ。

 

500以上の学校を抱える横浜市では次々といっていいほどさまざまな「事案」が発生する。その数の多さが対応マニュアルの進化を支えているというのは皮肉だが。

しかし、それでも時々ハレーションを起こす。

一番大きいハレーションは、時として起こる情報の共有の不徹底と、問題を矮小化しようとして行う情報の隠蔽だ。

まさに、これが今回の日大問題の本質そのものだ。

 

精度の低い情報は必ずどこからか漏れるもの。そして過度な隠蔽が思わぬ事態を引き起こす。これも今回、起きたこと。

 

だから重要なのは、情報の共有と対応の明確化、そしてできる限りの情報の開示だ。

生徒の特定につながる場合を除き、なるべくきちんと多くの情報を丁寧に開示することが、保護者や地域との信頼関係の維持につながる。もちろんマスコミに対しても同様だ。

 

今回、日大が指摘された情報の共有の不徹底とかガバナンスの不確立というのは、いってみれば80年代の中学レベルの体だということだ。

 

内部の統率も全く取れていない。酒井学長と沢田副学長、酒井学長と林理事長、それぞれの間がスカスカで信頼関係もない。

組織としての対応どころか、情報が錯綜し、かつ伝わらない中で、それぞれが疑心暗鬼になって違った方向へ走り出す。

最初のつまづきは、保護者からの情報提供に鈍感だったこと。次に監督が事情を聞いてもそれを上に上げなかったこと。そして首脳陣が不確かな情報をもとに右往左往し、機能不全におちいったことだ。

 

挙句のはての「内紛」。私的な場で「あなたはやめるべき」と沢田副学長にいう林理事長。薄々そのことに感づいていた沢田副学長が、録音機を身につけているのは常識。

そして自分を守るために、弁護士を雇い、その弁護士が録音を公表する。

すでに「喧嘩」は始まっているのだから、理事同士の仁義など無いに等しい。

「内紛」に油を注ぐひと。東大出身の理事、和田秀樹氏。

林理事長との会話を公表したのは、情報漏洩だから沢田副学長は辞任すべきだと主張。

林理事長も和田理事も本気で喧嘩しようとするなら、それなりの手段で辞任を迫るべきなのに、そこまでいかない。どこか及び腰。茶番の内紛。

 

そして、昨日の第三者委員会の報告。

小さな学校での対応のまずさが、日大という巨大組織でも同じように起こるということ。何度も軌道修正できる箇所があったのに、誰も本気でそれをしようとしなかった結果がここまでに。

 

林理事長に手兵というか手勢がいなかったのが、混乱の主因ではないか。

情報の収集と情勢分析をする私的な事務局がなかったことが大きいと思う。

巨大組織は一人の人間の手では動かせない。

どこをどういじれば動くのか、残念ながら林、酒井、沢田の三氏は、自分に拘泥するあまり、周囲が見えなかった。

 

三者委員会の報告で見えなかったことが二つ。

 

寮で見つかった植物片についてだが、保管しておいても問題なしと判断した検察出身の沢田副学長。それに対し、名古屋高裁の裁判官だった綿引委員長は、「所持罪に問われる可能性もあるのに」としたが、どうだろうか。微量では起訴されないことを熟知している沢田に対し、原則論の綿引。起訴か不起訴かで判断する沢田に対し、起訴された後にしか変わらない裁判官の綿引。そこが大きな問題と綿引はいうが、澤田の成算はどこにあったのか。自首するのを待っていたというが、そんなことがあるだろうか。

 

もう一つは、警察の動き。警察がこの問題をどう見ていたのか。北畠容疑者の取り調べの中で何人もの学生の名前が出ているはずだし、二人目の逮捕者の事情聴取も行われている。

名前が出ている他の9人について、なぜ任意の事情聴取なりをしないのか。

日大と警察の強いつながりを考えると、第三者委員会にも見えていない仄暗い部分がそこにはあるように思えてならない。

新たにつくられた危機管理学部は、田中理事長時代の産物。警察や警備の業界とのつながりが強い。推測でしかないが、何か関連があるような気もするのだが。

 

 

この報告書、学生にも読んでもらいたい。

10月18日 芦ノ湖