9月6日東京新聞「筆洗」ちょっと残念。30年にも及ぶと言われる汚染水放出に比べ、農相の言い間違いなど瑣末な話。これでは官邸の提灯記事となじられても文句は言えない。

今朝の東京新聞の「筆洗」欄は落語「粗忽の使者」を題材に野村農相を批判している。

「(野村農相は)東京電力福島第一原子力発電所から海洋放出されている処理水を言い間違えて「汚染水」とやってしまい、ひんしゅくを買っている。」

「海洋放出を批判する中国は連日「核汚染水」と呼び、日本を攻撃しているが、日本政府としては国際機関のお墨付きも得た安全な処理水だったはず。」

その辺りが不十分であり、基本的に海洋放出は「正当化」がなされていないという議論がある(8月25日の本ブログの資料参照)。

しかし筆洗氏は、

「撤回し陳謝したとはいえ、取り返しのつかない粗忽である」とまとめる。そして

「地元漁業者はさぞ腹を立て、くぎ抜きを探したくなるだろう」と皮肉る。

そうだろうか。地元漁業者の気持ちはもっと複雑ではないか。処理水だろうが汚染水だろうが、はたまたALPS水だろうが、流さなければ3•11以降続けてきた努力の成果は毀損されないのだから。筆洗氏、想像力の可動域が狭くなっているのではないか。

「首相から大目玉を食った野村さん。農相を続投し、信頼回復に努めるそうだが、今月の内閣改造では、「処理」されかねない」

東京新聞たるもの、どこの誰の立場に立ってこの文章を書いているのだろうか。30年にも及ぶと言われる汚染水放出に比べ、農相の言い間違いなど瑣末な話。これでは官邸の提灯記事となじられても文句は言えない。

12年もの間、東電の原発事故を詳細に報道してきた東京新聞、ちょっと残念。