山上容疑者が、今日、殺人と銃刀法容疑で起訴された。
鑑定留置が半年に及んだのは、なんとしてでも起訴をして極刑を受けさせようという警察トップ、官邸の強い意図によるものだろう。
拘置所の山上容疑者には100万円を超えるカンパやたくさんの差し入れ、ファンレターが届いているという。
今日の東京新聞の「筆洗」は、1932年の犬飼首相が凶弾に倒れた5.15事件を例に挙げ、容疑者への注目の様子をつづる新聞の見出しを引いている。
「級友からの贈物純白の制服姿 ズラリと並んだ十被告」
「傾聴の裁判長も双頬に溢れる涙 山田弁護士、火の如き熱弁」
減刑を願って切断された指も送られてきたという。
世論が動かしたのか、判決の量刑は重くなく、結果的に政党が没し、軍が台頭する機運を生み出したとする。
筆洗子は、昭和初めの当時、新聞は部数伸長期にあったことと、現在のネット空間を重ね「人を殺めた者への過剰な肩入れはやはり間違いと思える」「時代は変われど加熱の危うさが変わらぬことは、心に留めたい」と結んでいる。
常識的な論述ではある。
しかし、山上容疑者の行為がなければ、自民党と旧統一教会の信じられぬような長期に渡る汚れた癒着が明らかにならなかったことも事実だ。
多くの信者家族が何十年も苦しみ続ける中、政治家たちは票を得んがために教祖に拝跪し、諾々と選挙支援を受け入れ、結果として多額のお金を韓国の教団にもたらす手伝いを積極的に行なってきた。それが明らかになると、自分だけじゃないと頬かぶり、教団を規制する法律を自らつくるという茶番劇。
人生の中途で突然、退場を迫られた安倍元首相の無念さは想像できるが、山上容疑者を生み出したその重い責任も、安倍元首相にあることは間違いない。国葬という形で消そうとしても、これだけは消すことができなかったはずだ。
そのことに触れずに、5・15事件当時の容疑者への強い同情心とマスコミの加熱ぶりを取り上げるだけでは、筆洗子、片手落ちの感を免れないと思う。
宮台真司さんを襲った犯人が捕まらない。
一昨日の報道では、犯人が町田市内のゴミ箱にペットボトルを捨てたところが、防犯カメラに写っていたという記事があった。
そのペットボトルからDNAが採取されたというが、警察庁の膨大なデータベースに合致するものはなかったそうだ。
ペットボトル一本捨てると、そこからDNAが採取されてしまうことに驚く。
でも、変だ。
事件は11月。今頃になってこんな発表をするのはなぜだ?。ペットボトルは、当然だが、事件直後に速やかに回収されていたのだろう。そうでないとしたら、どうやってそれが、犯人のものと特定できたのか。ゴミ箱には、長時間ペットボトルは一本しか捨てられていなかったのか?
何か情報を出しておかないと格好がつかないから、後方が何か見繕わないとと今頃になってこのペットボトルを出してきたのか。
あれほどはっきりとした仕草、歩き方、姿格好が公表されているのに、なぜ捕まらない?
以前にも書いたが、「あれって、あいつだよね」という会話があちこちであってもいいと思うのだが。
犯人が自転車に乗っている姿も確認していることから、警察は犯人は土地勘があるのかもしれないとしているが、どうだろうか。近在には住んでいなかった人?
捜査が難航しているのは、犯人が極めて特殊な事情を抱えた人なのか、それとも単に警察の捜査力が劣化しているせいなのか。
安倍元首相の演説当日の警備のいい加減さも忘れられない。辞めたとはいえ、自民党内部では大きな影響力をもつ人物、その人物を守りきれなかった警察。何度も映ったが、犯人逮捕を自転車に乗ったおじさんが眺めていた。
素人でも、あの手薄さはわかる。
二つの事件、警備も捜査も、警察の力が劣化しているのではないとしたら、ウラにはどんな闇があるのだろうか。