7月8日、安倍元総理、暗殺。
直後からテレビで繰り返されるその瞬間。2発の大きな音の直後にSPらしい人間が数人、犯人にとびかかる。
それほど多くの聴衆がいたわけではないのに、SPは犯人山上徹也に注意を向けていなかった。
安倍の後方に山上容疑者が映っている画角がある。不思議というかリアルというか、山上容疑者の様子からは、何か特別な動揺や挙動の不審さはまったく感じられない。大学生のような華奢な体つきの若者が、斜め掛けしたカバンをかけて演説に聞き入っている。
まさか白昼堂々、手製の銃を使用する者などいないだろうと高をくくっていたか。
些末なヤジさえも逮捕や排除の理由にしてしまう日本の警察が、銃に対してはまったく無防備だったということだ。
結果のミスが警備のミス。それも取り返しのつかない大きなミスを犯してしまった警察庁と奈良県警、ほとんどコメントらしきものは出ていないが、責任者の引責辞任ということになるのだろうか。
新聞、テレビは、こぞって民主主義の危機をうたい、一方でここぞとばかり安倍の功績を長々と紹介するところも。取り巻きと言われたNHKの政治部記者岩田明子は滔々と安倍の功績を語りっていた。そのほか、そこまでとうほど事大主義的に日本の政治の方向が見えなくなるなどと言う記者も。
功罪という言葉があるが、もっと冷静にしっかり功罪を語るべき。
政権中枢は、死亡確認直後からこの状況をいかに10日の参議院選挙に利用するかを考えているだろう。
私が死亡の報に接したときに考えたのは、これで”モリカケサクラ”は闇の中だなということ。
戦後の自民党の政治家の中で最も傲慢で民主主義を軽視してきたのが安倍であり、安倍政権であったことを心に刻んでおこうと思う。