『ジェーンとシャルロット』親子の出会い直しの新鮮さ、2人の魅力的な女性に心惹かれる。『イノセンツ』子どもの日常の欠落や悪意が超常現象を生み出す。

映画備忘録①

用事は1日に一つと思っているが、重なることもある。この日3つの用事を足すのに電車、バスを何度も乗り換えた。都合11回。本厚木、藤沢、青葉台、バラバラ。映画に通院、コンサート。ピースがうまくハマったということ。年に何度もないことだ。8月23日のこと。

 

『ジェーンとシャルロット』2021年/92分/フランス/監督:シャルロット・ゲンズブール/出演:ジェーン・バーキン シャルロット・ゲンズブール /日本公開:2023年8月4日)

 

伝説的歌手セルジュ・ゲンズブールのパートナーと娘であり、それぞれの時代をセンセーショナルに彩るフレンチアイコンでもあったジェーンとシャルロット。特異な環境下で家族の形を築いてきた母娘の間には、他者を前にした時につきまとう遠慮のような感情があり、2人は自分たちの意志とは関係のないところで距離を感じてきた。両親が別れた後、父セルジュのもとで成長したシャルロットには、ジェーンに聞いておきたいことがあった。異父姉妹のこと、次女である自分よりも亡き長女ケイトを愛していたのではないかという疑念、公人で母で女である彼女の半生とは一体どんなものだったのか。

これまで決して語られることのなかった母娘の真実と心の奥に隠された深い感情が、2人の間に流れる優しい時間の中に紡ぎ出される。画像15

中年を迎えた娘が、高齢に差し掛かる母親にインタビューする、それだけの映画だが、重ねられる映像と言葉になんとも言えない深みと魅力を感じる素敵な映画だ。映像はともかくフランス語など解るべくもないから、字幕の翻訳に頼るしかないのだが、この字幕が全く違和感を感じさせない。この映画の日本での成功(だと思うが)は、字幕を担当した人がその原因の半分を占めているのではないか。

何十年もの間のポートレイトや動画、そして独特のアングルで捉えられるジェーン・バーキンとシャルロット。長い時間のかかった親子のこんな出会い直しというものがあるのかと驚かされた。ここではカメラが互いの心理的な闘い?のツールになっていて、間にカメラがあることで2人はある種の「和解」にたどり着いていく。こちらはその過程の一端を覗くように眺めているような気分。今までに見たことのないドキュメンタリー。愉しかった。

 

映画備忘録②

 

『イノセンツ』(2021年/117分/ノルウエー・スウエーデン・フィンランドデンマーク合作/原題 De uskyldige /監督:エスキル・フォクト/出演:ラーケル・レノーラ・フレットゥム アルバ・プリンスモ・ラームスタ ミナ・ヤスミン・ブレムセット・アシェイム/日本公開2023年7月28日)

 

昨年、この監督が制作、脚本に関わった映画『わたしは最悪。』を見た。恋愛映画としては独特で、見たことのない種類の映画だったが、日記には「今ひとつ」とある。

ヨーロッパの周縁、中心では決してないところ。という意味で北欧、ノルウエーの独特な空気が映画の中に流れていると思った。どこか内省的な印象がある。『わたしは最悪。』もそうだった画像9

超能力を題材にしたこうした映画をサイキックスリラーというのだそうだが、そんな区分けはいらない。これはまさに子どもの世界を描いたドラマ。どの子も抱える日常の欠落や悪意を埋めようと互いに関わり合ううちに、その思念が超常現象を生み出していく。これは、誰もが子どもの頃、夢想したものと違わないのではないか。ただ、ここでは実際に欠落や悪意が、そのまま形となって現れる。

だからと言って子どもが変質していくわけではなく、子どもはこどものままだ。むしろ目の前で起きる超常現象に恐れ慄くのは自然なことで、子どもであることを取り返していくようでもある。

事態が進行するにつれ、取り返しのつかない事態が引き起こされていくが、やはりどこまで行っても子どもはこども。遠くには行けない。

よけいなテーマを押しつけず、子どもの世界に静かに見入ってみよう、耳を傾けてみようといったメッセージを感じた。4人の子どもの演技が子どもの世界を明確に形成していて、大人は置いてけぼりを食っている。それほど子どもの世界は奥深い。

ある意味、現代版「禁じられた遊び」だろうか。

何かを読み取ろうとせずに、スクリーンの中に身を置いてみるだけでいいのかなと思った。いい作品だと思った。画像13