今年は『桃太郎!』(東直子)あおば子どもミュージカル第13回公演を見に行く。

広島に出かける前の備忘録。

6月11日(日)あおば子どもミュージカル第13回公演『桃太郎』。

近所に住む、Mさんの友人のIさんの娘さん、Uさんが去年に続いて出演する。二人で出かけた。

市が尾駅に降りるのはいつ以来だろう。記憶がないくらい久しぶり。去年は公会堂が改修中で、会場は相模原のホールだった。

ここは最後の在任校の学区。このミュージカルの2回目か3回目の公演を見にきたことがある。学年の生徒が何人か出演していた。

赴任したのは16年前、その年、私は学級担任だったため、この辺りまで家庭訪問に来た。道案内をしてくれた生徒とラーメンを食べたのもこの辺り。もうそのお店はないが。

 

さて『桃太郎!』、脚本は東直子歌人の、である。東京新聞の歌壇の選者として、毎日曜日、その選を見る。残念だが私には、新しすぎてついていけない歌が多い。歌をよくする友人のK氏に聞くと、現在の歌壇は若い人中心にそうしたものらしい。

さて『桃太郎!』。

会場はほぼ満席。ロビーもごった返している。ざっと見てほとんどが女性。男性、それも私のような老人は少ない。

 

桃太郎は、その出自が大変にまれであること、動物と話ができること、力が強いことなどから、村の子どもたちから「かいぶつ」と呼ばれている。

この設定が興味深い。異能は尊ばれるのではなく、忌避、差別されている対象に。桃太郎は、どうして自分は他の子と違うのだろうと悩んでいる。動物との交信や怪力がアドバンテージにならず、差別の原因となっている。演じた現代の子どもたちはこれをどう受け止めたのだろうか。

一方、鬼たちも、ツノがあるという理由から村人から忌避され村を追い立てられる。そして島に住むようになったという。その怨恨の象徴が鬼姫というリーダーだ。

鬼姫はツノを持つ自分達を抑圧する村人たちを憎悪して、さまざま悪行を繰り返している。

桃太郎は、自分の異能を生かして、鬼退治に出かけるという。村人も目には目をと桃太郎を鬼ヶ島に向かわせる。

しかし、鬼たちと自分に共通するものを感じ取る桃太郎は、力づくで退治しようとせず、鬼たちの辛さに共感し、対立からは何も生まれないと説得を試みる。

ストーリーは、異物を排除、差別することで起こる人間の不幸をテーマに、受容と共感こそが大切と訴えているようだ。

こうした新説「桃太郎」にも全く臆せず、出演した小2から高3までの子どもたちはステージを縦横無尽に動き回り、楽しみながら楽しませてくれた。その集中力たるに驚ろかされる。殊に桃太郎役は素晴らしい演技。観客を力でひき込んだ。

集団での歌もダンスもよく鍛えられていて、楽しませてくれる。

ここまで仕上げるのに、裏方も含めて大変な苦労と努力があったことが、一人ひとりの所作やセリフ、歌に窺えた。

中身について演出過程で異年齢の子どもたちの話し合いもあったと想像するが、その中身を聞いてみたい。しっかりした話し合いがなされたからか、ステージは十分に自由で奔放だった。

演出、音楽、振り付け、音響などスタッフの充実ぶりに、演技で応えた子どもたちに拍手を送りたい。

近所のUちゃん、冒頭の挨拶と村の子どもと鬼の二役で大活躍。1年間でこれほど成長するものかと驚かされた。

幅のある異年齢の子どもたちが、大人と一緒になって舞台をつくっていく醍醐味、学校では経験できないもの。楽しませてもらった。

 

気になったことふたつ。

おじいさんが山に柴刈りにというシーンで、おじいさん役が草刈りがまで草を刈る所作があったが、「柴刈り」とは、山に落ちている小枝などを拾ってくることで、それを煮炊きの焚き付けなどに使ったのではないか。二宮金次郎銅像が背中に背負っているのが「柴」であり、草を刈る「芝」ではないと思うがどうだろうか。

 

もう一つ。「おっかさん」と対照して「おっとさん」というセリフが何度か出てきたが、やや違和感。方言や歴史を少し調べてみたが、おとっつあんやおとっさんはあるけれど、おっとさんは見つからない。今「夫さん」という言い方はあるが。