『そばかす』つくり物感がなく、キャストの演技も自然。静かな話題作として記憶されていい作品だと思った。

今朝、雪の降る前に散歩しようと7時半に出かけた。いつもより重装備、ダウンを着てさらに傘を携えて。

出がけにちらちらと来始め、早めに切り上げ40分後に戻ってきたときには、地面は濡れたままなのに畑にはうっすらと積もっていた。

今、11時前。それほど激しくはないが、降り続けている。午後には雨に変わるという予想だったが、一方で大雪警報も出ている。

 

映画備忘録

1月18日、kiki

『そばかす』(2022年製作/104分/G/日本/原作・脚本:アサダアツシ/監督:玉田真也/出演:三浦透子 前田敦子ほか/公開:2022年12月16日)

 

他人に恋愛感情を抱かない女性が周囲と向き合いながら自分自身を見つめる姿を描いたドラマ。
30歳の蘇畑佳純は物心ついた頃から恋愛がよくわからず、いつまで経っても恋愛感情が湧かない自分に不安を覚えながらもマイペースに生きてきた。大学では音楽を志すも挫折し、現在は地元のコールセンターで苦情対応に追われる日々を送っている。妹が結婚・妊娠したこともあって母からは頻繁にプレッシャーをかけられており、ついには無断でお見合いまでセッティングされてしまう。そこで彼女が出会ったのは、結婚よりも友だち付き合いを望む男性だった。
「ドライブ・マイ・カー」の三浦透子が主演を務め、中学時代の同級生を前田敦子、同僚を北村匠海、妹を伊藤万理華が演じる。「his」のアサダアツシが企画・脚本を手がけ、劇団「玉田企画」主宰の玉田真也が監督を務めた。(映画ドットコムから)

 

蘇畑佳純を略して「そばかす」。佳純の顔にはそばかすはないし、劇中、誰もこのあだ名で佳純を呼ばない。それがなんだか不思議で、面白い。

これもことばとしては映画の中には出てこないが、他人に恋愛感情を抱かない傾向の人をアセックスというそうだ。と思っていたら、いやいやアセックスというのは他人に性的関心をもたない人のことで、恋愛感情をもたない人のことはアロマティック、というのだという解説?もあった。

 

ダイバーシティ(多様性)やインクルージョン(包含、包摂)といった言葉や概念は、若い人の方が自然に受け入れているように感じる。先ごろのLGBTQに関する大臣秘書官の差別発言に対して、忌避感は若い人の方が強いようだ。

「社会が変わってしまう」は差別発言ではない岸田は強弁するが、秘書官も岸田も、出産や子育てを前提としない関係が増えることに危機感をもっているのだと思う。

そしてそういう、自民党の女は子どもを産む機械的な発想や感性は、旧統一教会と根っこを共有してきたからこそ、いままで選択的夫婦別姓LGBT法もほったらかしにされてきた。

広島のG7前に何とか法制化しないと先進諸国にバカにされてしまう、といったレベルでの法制化が動いているが、相変わらず「差別という言葉が入っていると…」といった議論が続いている。

 

この映画、さほど話題になっていなかったのに、映画ドットコムのサイトでは4000人以上がチェックし、100人以上がレビューを書いている。評価の数字は3.9。驚くほどの高さ。

主演の三浦透子に対しても、ドライブマイカーの評判があったにしても、全体に好意的な評価が多い。けっして美形とは言えない三浦が劇中のさまざまシーンでとにかくとっても魅力的に見える。

自分の抱えた生きづらさに対し、複雑な感情はもちながらも、どこかで自分は自分、これとともに生きていくんだという、言葉に出さない思いなしのようなものに共感する人が多いのかなと思った。

映画のつくり方が丁寧で、人物がいきている。所作ややりとりが自然でつい自分の顔がほころんでくるのがわかる。自分がキャストたちのすぐ近くにいるような錯覚に陥る。

ただ、佳純とそれぞれの人物とのかかわりがあまり掘り下げられておらず、そのあたりがやや平板に感じた。物足りないというか。いやいや、この方がいいのかもしれないという気もするのだが。

随所に人々の、生きづらさに対する荒井秘書官的な発想や差別意識をあざとくなく置いていていいなと思った。

保育園で働くように誘ってくれた保育士の男友達がゲイであるのもわざとらしくなく、さらには、佳純が園児用に作成した電子紙芝居「シンデレラ」がとっても良くき出ているのも面白かった。王子様に請われてもその気になれないシンデレラ・・・最後の結末まで見たかったが。

驚いたのは、真帆(前田敦子)の披露宴で、佳純がチェロを弾くシーン。

佳純は音大でチェロを専攻したという設定だが、三浦は初めてチェロに触って2週間、たった一曲、ヘンデルの「オンブラマイフ」の一節だけを練習したという。

このシーンが良かった。吹き替えなしのとても2週間とは思えない演奏、外れているわけではなく一部わずかに音程が低いのが、佳純の心情の揺れを表しているようで、素晴らしかった。

このシーンも含めてつくり物感がなく、キャストの演技も自然。

佳純と父親、きょうだい、母親、祖母、大団円を迎えることなく、フェードアウトしていくところがいい。

この映画も、キネマ旬報のベストテンには引っかからなかったが、静かな話題作として記憶されていい作品だと思った。

11時ごろ。