北村小夜さん宅に伺い、るるるみどり館とマークサロンで歌を唄い、大学で学生の話を聴いた。

歌舞伎は22日だった。

次の日の秋分の日、友人2人と私たち2人、4人で蒲田に住む北村小夜さん宅へ。

体調を崩しているらしいとうかがったので、顔を見に行きたいと思い立った。

 

お見舞い、というのが基本的なスタンスだったので、花など用意したのだが、実際にお会いした北村さんは、特に大きな変化もなく、お元気そう。

安心して、おしゃべりに興じること4時間。後半は用意してくださったつまみとともにビールまでいただいてしまった。

驚いたこと、北村さんは家じゅうにある膨大な数の本だなの中身を正確に記憶している。

背表紙を見て、こちらがその本や作者について話を向けると、反応が素早い。そしてそれに付随する資料などのありかを正確に言い当てる。

信じられない。資料の収集や整理が苦手な私には驚くべきこと。

基本的に物事に向き合う姿勢が違うのだなと思う。

長い間の多彩な人付き合いの広さ、先日亡くなった森崎和江さんとの論争の話や斎藤次郎さんから送られてくる狭山茶の話…書ききれないほど含蓄の深い話が続く。

女優の石田ゆり子のことを奇跡の50代と呼ぶらしいが、なんのなんの北村さんは間違いなく奇跡の97歳(個人情報だが、北村さん、勘弁してください)。記憶力の凄さと視点の鋭さは並大抵のものではない。

76年前、敗戦後の中国で八路軍とともに大陸を歩いたことから、70年代の伝習館闘争のディテールまで、はたまた憲法の「等しく能力に応じて」についての考え方まで、老人の昔話のひとり語りなんていうものではなく、みな今とつながるリアルなお話の展開、聞き惚れるというのもヘンだが、刮目して聞き入った。

お見舞いだったはずなのに、かえっていい時間を過ごさせていただいた。

 

25日(日)は先月も訪れた「るるるサロン第86回」に参加。全16曲、ひたすら歌う。唱歌からフォークなど多岐にわたる選曲は、その歌が流行したときどきに自分の周囲で起きたことなどを思い起こさせてくれる。スクリーンに映しだされる歌詞を見ながら、口は自然に動いて、アタマはその時代を思いめぐらしている。なかなかいいものである。「小さい秋見つけた写真」の画像検索結果

26日(月)は、やさしいコーラスの会。こちらは、同じマンションの声楽家のK先生が主宰する会。ウチから歩いて50歩ほどのマークサロンという集会所が会場。

こちらは有料、しかし夫婦割がある。二人で2000円。1時間半、先生の伴奏でひたすらやさしいコーラス曲を歌う。

K先生には、退職してから個人レッスンを受けてきた。シューベルトの『冬の旅』全曲と『白鳥の歌』の途中までを月に2度、3年ほどかけて練習した。時間設定などが原因で途切れてしまったのだが、今度は月に1度、何とか続いている。

こちらは、過去を回想してという具合にはいかない。

曲そのものは知っていても、パートに分かれているため、楽譜を追わねばならない。先生の出すキーボードの音を拾いながら・・・これがけっこうアタマを使う。

忘れてはならないのが出席者。今まで多い時で3人。あとはほぼMさんとふたり。

つまり二人で二部コーラスをしているということ。

自宅で二人でうたうことなどないが、こうして指導者がいて歌うと自分が集中しているのがよくわかる。年々声が出にくくなっているというMさんも、集中している。

そのぶんひどく疲れるのか、今回先生の終了宣言がなされぬ前に、Mさん、荷物を片付け始めた。無意識に「つかれた、もう終わり!」のつもりだったか。

「まだ終わっていないよ」と声をかけ、それからあと2曲、うたった。

1時間20分ほどで終了。からだもアタマも十分にストレッチできた時間。

2日続けての歌、こんなに声をだすのはコロナ流行以後初めてのこと。紅葉(もみじ) 童謡・唱歌 歌詞と試聴

 

27日(火)

この日から後期の始まり。日大文理学部での授業が始まった。

2年ぶりの対面授業。大きな声を出すのが3日間続いたことになる。なかなかないこと。

高井戸駅に降り立つのも、2020年1月以来。

いつもお昼を食べていた日高屋は撤退していて、弁当屋さん?になっている。

昭和の食堂の趣のある「さか本」でワンタンメン。老夫婦は2年経ってもちっとも変っていない。ただ、テーブルの配置が換わり、衝立が立っている。

歌舞伎町でもワンタンメンだった。

運ばれて出てくるまで20分。時間がかかる。おばあさんが一人でつくっている。

おじいさんがお運びをやっている。

特段、美味というわけではないが、許せるレベル。木挽町の老舗、萬福も、このぐらいのラーメンなら、しかたないか、だが。

 

さか本から大学まで徒歩10分。

しかしいつも使う東門は閉じられ、出入り口は正門のみ。重々しい門のある正門にはあらたにテントが張られ動線がつくられている。ここで消毒と体温の計測。正面の1号館の入口にも警備の人が立っている。

2年来ないうちにいろいろなところが変わっている。

 

始業時間すこし前に教室にむかう。

一番前に坐っている学生に「ここ、教職実践演習ですね」と確かめる。すると周りの学生がみな口々に挨拶をする。なんだか少しうれしそう。

次々に学生が来る。しかしなぜか座席が足りない。立っている学生が6,7人。受講予定の学生は27名。座席は18しかない。

 

大学当局は、密にならないための方策をとっているはずなのに、座席が足りないとは!

 

連絡先が分からないので、とりあえず教育学科の学生に学科事務室の番号を聞く。

電話口の助手もこの状況にびっくりして「ちょっとお待ちください」。暫くして「すぐ上の教室に移動してください」とのこと。

この対応の責任はたぶん学科事務室ではなく、教務部だとは思うが、すぐ対応をとってくれたのはありがたい。

全員ぞろぞろと階段をのぼり、新しい教室へ。たしかにここなら全員が坐れる。キャパは70人というが、体の大きい男子学生が多いせいか、これでもけっこう密状態(後日、再びお願いして100人ほどの教室に変更してもらった)。

 

さて初日は互いに自己紹介。

私はメモをしながら聴いているのだが、教室の空気がどこかにぎやかしい。久しぶりの対面授業がうれしいと何人かが口にする。

2,3年はほとんどオンライン授業。4年生になってからも第7波がきたため、前期もオンラインが多かったようだ。それに加えて昨年は日大事件。理事長の逮捕、有罪判決。日大事業部関連はまだ裁判が続いている。

卒業間半年でようやく「普通の」状態に戻ったことがうれしいのだろう。

 

さらにこの授業、”文理”学部にふさわしいしつらえで、いくつもの学科の学生が文系、理系取り混ぜて集まっている。それもまた新鮮のようだ。

ちなみに27人は、

数学科、教育学科、史学科、地球科学科、体育学科、英文学科、国文学科、生命科学科、物理学科の人たち。

これ以外に、哲学科、中国語中国文化学科、ドイツ文学科、社会学科、社会福祉学科、心理学科があるという。

 

学生生活最後の必修授業になる。

今日から2023年1月20日まで、この人たちと付き合う。