東京新聞『(ウクライナ兵は)玉砕を覚悟した悲痛な思いを投稿した』・・・「玉砕」は、旧日本軍の中の暗黒の歴史の中に閉じ込めておくべき言葉ではないのか。 

「今日が、恐らく最後の戦いの日になる」―。ウクライナ南東部マリウポリで、ロシア軍の侵攻に抵抗しているウクライナ軍部隊が11日、交流サイト(SNS)に、玉砕を覚悟した悲痛な思いを投稿した。40日余に及ぶ包囲戦で、十分な支援が受けられないまま戦ってきた状況がうかがえる。
 フェイスブックに戦況を投稿したのは、第36海兵旅団の幹部。「もう弾薬は残っていない。明日からは素手での戦い。その先、死ぬか捕虜になるか」とつづった。
 ロシア軍や、マリウポリを「自国領」と主張する親ロ派武装勢力によれば、街は製鉄所を残してロシア側が支配。米国のシンクタンク・戦争研究所(ISW)が11日に発表した分析でも、ウクライナ側の陣地は市街戦の末に分断され、孤島化している。
 海兵旅団の幹部は「地雷や砲弾など戦闘物資が補給されたのは1回だけ」と打ち明け、食物はおろか飲料水も欠く中で「水たまりから水分を補給するほど」と説明。「われわれが街を47日間、守り続けてきた」と誇る一方、部隊壊滅が近い状況で「誰もわれわれと連絡を取ってくれない」と絶望感をあらわにした。
 多くの兵士が死ぬ中で、現在は部隊の運転手やコック、軍楽団員らも戦っているという。投稿は「親愛なるウクライナ国民は、旅団のことをよい記憶とともに思い出してほしい。兵士たちは可能なことも、不可能なことも成し遂げたのだから」と締めくくった。
 ロシアは、東部ドンバス地域の親ロ派支配地域と2014年に併合したクリミア半島の中間に位置する要衝マリウポリの占拠を目指し、シリア内戦で無差別空爆を行ってきたドボルニコフ将軍が包囲戦の指揮を執ってきた。
 ロシアのプーチン大統領は「東部の親ロ派住民の保護」を口実に侵攻を開始、ロシアに敵対するウクライナの関係者を処罰すると明言しており、ウクライナ軍関係者には強硬な態度で臨むとみられている。(東京新聞 4月13日朝刊)
 
 
SNSによって、かつては数か月、数年後に日記やメモの存在から知るしかなかった戦地の状況が、今ではタイムラグなしに克明に伝えられる。
そして今、今日の侵略者プーチンの動きもテレビや配信で即時的に伝えられる。
 
多くの人々から流れた血、失われた命についても、何千キロも離れた極東の地で私たちは手にとるように見聞する。
それらは、大谷がロサンゼルスでヒットを打ったとか、松山がオーガスタで連覇を成し遂げられなかったとか、そんな情報と同じ重さで伝わってくる。
 
戦争とスポーツ。
「すごいね」「大変だね」という感想はどちらに向けられたものなのか、区別がつかない。
 
私の戦争に対するイメージ、想像できる恐怖の実感は、戦地ではなかった東京大空襲だ。
空が真っ黒に見えるほど次々と襲来する300機を超えるB29、その轟音。ひっきりなしに隙間なく落ちてくる焼夷弾、その音、肌で感じる高温、何より鼻孔を鋭く刺激する火薬とものが燃えるにおい・・・。それらを想像するだけで怖気づいてしまう。逃げようにも逃げる方角に次々と落ちてくる爆弾。一夜にして10万人の人々がなくなる中で、自分が生きている確率などほとんどないに等しい。
もし自分がスマホをもっていたとしたら、何を書くのか。
 
ウクライナの兵士は
「もう弾薬は残っていない。明日からは素手での戦い。その先、死ぬか捕虜になるか」と書いた。
スマホを打つ兵士の気持ちを想像すると、胸が苦しくなる。
 
この記事を読んだ時、一番初めに目についたのが「玉砕」という言葉だ。
 
「玉砕を覚悟した悲痛な思いを投稿した」
 
この用語法は正しいか。
兵士は、「死ぬか捕虜になるか」と書いただけだ。
 
「玉と散る」というふうに、死を美化して兵士たちを死地に追いやった日本軍の用語法をそのままウクライナの兵士に使用していいものだろうか。
 
「玉砕」は、旧日本軍の中の暗黒の歴史の中に閉じ込めておくべき言葉、ウクライナの弊には使ってはいけない言葉だと、私は思う。 
 
戦争とスポーツ・・・どちらも「観戦記」という。
  

f:id:keisuke42001:20220413155756j:plain

  境川河畔、今朝の八重桜