『ONODA 一万夜を越えて』津田寛治と仲野大賀とエッセー尾形の3人によって、小野田と日本の間に流れた時間の残酷さがしっかり描かれていたと思う。

映画備忘録。

2月18日。

『ONODA 一万夜を越えて』(2021年製作/174分/G/フランス・ドイツ・ベルギー・イタリア・日本合作/原題:Onoda, 10 000 nuits dans la jungle/脚本:ニコラ・アントメ/監督・アルチュール・アラリ/出演:津田寛治 仲野大賀、イッセー尾形ほか)

 

太平洋戦争終結後も任務解除の命令を受けられず、フィリピン・ルバング島で孤独な日々を過ごし、約30年後の1974年に51歳で日本に帰還した小野田寛郎旧陸軍少尉の物語を、フランスの新鋭アルチュール・アラリ監督が映画化。終戦間近の1944年、陸軍中野学校二俣分校で秘密戦の特殊訓練を受けていた小野田寛郎は、劣勢のフィリピン・ルバング島で援軍部隊が戻るまでゲリラ戦を指揮するよう命じられる。出発前、教官からは「君たちには、死ぬ権利はない」と言い渡され、玉砕の許されない小野田たちは、何が起きても必ず生き延びなくてはならなかった。ルバング島の過酷なジャングルの中で食糧も不足し、仲間たちは飢えや病気で次々と倒れていく。それでも小野田は、いつか必ず救援がくると信じて仲間を鼓舞し続けるが……。主人公・小野田の青年期を遠藤雄弥、成年期を津田寛治が演じ、仲野太賀、井之脇海イッセー尾形らが共演。2021年・第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門出品。(映画ドットコム)

 

 

174分という長尺、長さをあまり感じなかった。

たぶん、後半の小野田を迎えに来る青年(仲野大賀)とのやり取りや、命令を下したことを忘れている陸軍中野学校の教官(イッセー尾形)が素晴らしい演技をしているのと、小野田の後半部分を演じている津田寛治のセリフ以外の深みのある演技の世代と思う。

 

ルバング島での29年の辛苦とその時間の長さを描くのは並大抵のことではない。しかし、津田寛治と仲野大賀とエッセー尾形の3人によって、小野田と日本の間に流れた時間の残酷さがしっかり描かれていたと思う。

 

途中で「演出は日本人ではないな」と思った。

セリフ、感情移入過多とならず、淡々としていて、表情で語らせる。

タイトルも日本的でなく、よい。サブタイトルが余計。

 

ラストシーン。ルバング島の人々が見送る中、フィリピン軍のヘリコプターで小野田は島を去る。感動的なシーンにはしない。

無表情の島の人々。なにを考えているのかわからない。演出は、観客の勝手な思い入れを拒否するように、淡々と表情を追う。

日本にとって戦後の時間とはなんだったのか。

小野田が帰ってきたのは1974年だが、湾岸戦争でもイラク戦争でも、そして現在のロシアのウクライナ侵攻においても、この問いは生きているように思う。

 

それにしても、直属の上官の直接の命令解除がなければ帰国しないという小野田の頑迷さは想像を超える。日本軍の崩壊が、敵の攻撃ではなく「自壊」による部分が大きかったこととは対照的だ。

それは、天皇の軍隊のマインドコントロールに小野田が縛られていたことによるものではなく、自律的かつ自立的な精神を失わなかったからともいえるのかもしれないなと思った。

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