4月上旬。

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境川河畔のオオシマザクラの古木


4月上旬。

日に日に明るくなるのが早くなっているが、天候はいたって不順。

曇天を見上げて出かけてはみるものの、ひどく寒かったり、雨が落ちてきたりして、途中で引き返すことが何日かあった。かと思うと、ジャンバーを脱いでシャツ一枚で戻ってくることも。

いつしかソメイヨシノは散り始め、いま遅咲きのオオシマザクラが見ごろを終えようとしている。

 

定年退職してちょうど8年になる。

孫二人が新一年生。次女の息子は保土ヶ谷区の小学校。長女の息子は岐阜市で新一年生となった。ともに入学式は7日。

横浜では入学式は5日と記憶に刷り込まれているのだが、いつから変わったのだろうか。

 

保護者の出席はどちらか一名だという。

かつては中学でも祖父母が出席する家庭もあり、体育館の椅子の数は、新入生の数の2倍超を準備していた。

3年目になるコロナの蔓延によって、それまで当たり前にやられてきた多くのことができなくなった。

さびしいという向きもあれば、今までの無限膨張に歯止めがかかっていいのではないかということも。

 

コロナと戦争の時代。

 

日々報道されるロシア軍の蛮行に激しい憤りを感じるが、一方で、国内の国旗色のライトアップや国歌や民謡などウクライナ文化の節操を欠いた礼賛に「違うだろ」との思いも禁じ得ない。

チェルノブイリで75名のロシア軍兵士が被爆し、ベラルーシで治療を受けているという(数としてひどく少なく感じるが)。

ウクライナ国内で死んだロシア兵の遺体も手厚く葬られているわけではなく、放置されている。

侵攻してきたのだから、攻め込んできたのだから、それは仕方がないだろうと言えるだろうか。

どちらの陣営にあったとしても、その死に対する親や子や親族の悲しみに違いはない。

 

自治体をあげてウクライナへの寄付を募っているところもあるが、その行き先は間違いないのだろうか。一部が戦費となる可能性はないのだろうか。

 

いろいろ考えてみて、私たちは、国境なき医師団にカンパを送った。わずかな額だが。

 

外務大臣ポーランドからの政府専用機に20人のウクライナ避難民を同乗させて、連れ帰ったそうだ。

正確に言えば、ウクライナの人々は難民の規定に当てはまらないというが、最近では国連難民高等弁務官事務所は厳密な規定を外し、戦争によって行き場を失くした人々のことを難民とすることを否定していない。

しかし日本政府はまだ避難民と難民を区別している。

政府は、アジア、アフリカから圧政を逃れて日本に難民申請をしている人たちと一緒にしたくないのだろう。

 

しかし、政府がウクライナの避難民へ手厚く対応していることは誰もが知るところなのだから、これを日本の入管行政の転機ととらえるべきではないのか。

つい昨年のアフガンからの撤退では、日本政府は他国の後塵を大きく拝したことからすれば、今回の対応は、同乗するための基準などいろいろ問題があるにしても、適切ではあったと思う。

問題は、政府専用機に乗れなかった人たち、これから日本に向かう人たちへの対応は、他国の、例えばミャンマーで国軍の弾圧から逃れてきた人たちと区別や差別があってはならないということだ。

そこまで政策としての一貫性がないならば、参議院選挙に向けてのパフォーマンスと揶揄されても仕方がないということだ。