『軍旗はためく下に』(結城昌治・1970年)を読んだ。

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観た覚えがあるのに中身が思い出せない映画、いい映画だったという記憶はあるのに。

新藤兼人脚本、深作欣二監督の『軍旗はためく下に』もそんな一編。

公開は1972年だから、オンタイムで観たとは思えない。テレビの再放送で見たのだろうか。

 

原作は読んだか?

たぶん読んでいない。こちらはまったく記憶がない。拙宅の貧相な本棚にも見かけない。

 

暮れに気になって中古の単行本をネットで手に入れた。郵送料込みで330円。本体はたぶん50円ほどだろう(新版が2020年に中央公論新社から文庫本が出ている)。

 

中央公論社刊価格は580円。242頁箱入り、本体には、茶色にくすんでいるが、セロファンがかけられている。箱入りもセロファンも今はまったく見ない。

帯には「直木賞受賞」とあって作者の結城昌治の名前。そして

    「陸軍刑法の裁きのもと、祖国を遠く離れた戦

     場で処刑された数多くの軍人の隠された真実」

との惹句。

奥付を見ると、昭和45年7月10日初版 8月18日三版とある。この年の上半期の直木賞受賞作。今より本が売れていた時代、どれほどの増刷だったか。

 

古本が面白いのはまれに「おみやげ」があること。この本にも新聞の切り抜きが挟まれていた。

鉛筆の几帳面な文字で

        「45・8・10 読売」

と記事の上方に書かれている。

記事は本書の紹介。評者の名前はない。タイトルは「非人間性への抗議 陸軍の処刑から五話集め」とある。内容については後で触れる。

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この記事、裏を見ると一番ケ瀬康子さんの「ときの目」という連載?記事の一部分。

タイトルは全部見えて、「偏見を捨て去ろう 差別をうむ“ワクの中の社会福祉”」とある。

結語の部分は表面に合わせて切り取られていて読むことができないが、すこし紹介してみる。

 

「(グループをつくったほうが効果的なことがあるが、それが行き過ぎて・・・別の人間のグループとしていつの間にか差別することになっていることが多い・・・)競争が激しい社会であればあるほど、また、ある種の能力だけが不当に評価されて、人間の社会にはしごのような序列ができている状況の中では、より一層促進されやすい。

 しかも、このことは決して『他人ごとではない』まだ働ける体力と気力があっても、55歳になれば定年ということになり、65歳以上は老人としてのレッテルをはられてしまう。男女の差別がいろいろな形で残っている今日の社会のなかで、その人ひとりひとりがどのような能力や人格の所有者であろうと、女は女であるといううことで「かっこ」をつけて見られがちである。・・・」

 

ここで記事は切れている。一番ケ瀬康子さんは社会福祉学者。このとき43歳。

学歴社会の真っただ中で障害者とのかかわりを書いているのだが、フェミニズムも視界に入っている。後年、九条科学者の会も組織した。

このころ定年は55歳。65歳ともなれば老人のレッテル・・・とあるが、50年後の今、定年は実質的に65歳となり、75歳まで働いて年金支給開始時期が遅らせられようとしている。50年・・・変わったところと変わらないところと。

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古本はいろいろなことを教えてくれる。

 

さて、本書。

そのほとんどが南方の島で、兵站の崩壊と飢餓のよって軍隊の規範がほぼ崩れる中で起きた5つの短編小説で構成されている。

 ・敵前逃亡・奔敵

 ・従軍免脱

 ・司令官逃避

 ・敵前党与逃亡

 ・上官殺害

 

これらはすべて陸軍刑法上の罪名であるが、いずれの作品でも軍隊の方針の犠牲になった冤罪、あるいは上官の横暴や高級将校の腐敗が原因となった犯罪。

 

吉田裕さんの『日本軍兵士ーアジア太平洋戦争の真実』にもあったが、この戦争での日本人の犠牲者数は310万人(軍人・軍属230万人 民間人80万人)、その9割が1944年以降の戦争末期と言われる。

 

民間人犠牲者は広島、長崎の原爆死のほか、多くは東京をはじめとする各地の空襲によるもの、沖縄戦によるもので、ほとんどが重火器、爆弾によるものだが、逆に兵士の死の多くは、戦闘よりも飢餓によるものが多かったと言われる。

 

そんな「現実」を結城昌治氏は、終始静かな筆致で描いている。いい作品だ。

 

終戦から25年後、何食わぬ顔で復員し、戦犯容疑からも逃れ、晩酌しながらテレビでプロ野球を観戦する高級将校らは、これを読んだのか?

作中にも、戦後、事実を知っていながら口を閉ざす将校の姿も描かれている。

 

論評子の結論は、

 

「欲を言えば、戦場という極限状態を描きながら、結局は軍隊の非人間性への抗議という点に終始していることである。たとえば「敵前党与逃亡」で、人肉食いの問題を扱いながら「野火」や「ひかりごけ」のように人間存在の深みに及ぶことはない。つまり、陸軍刑法という作品にはめた枠(わく)組みが、作品の強みになっていると同時に、弱点にもなっている。」

 

1951年に『野火』を書いた大岡昇平、1954年に『ひかりごけ』を書いた武田泰淳、その凄さはわかるけれど、25年という時間を経て本作を書いた結城昌治の凄さもいまだから強く感じる。

もっと読み直されていい小説ではないかと思った。

 

映画はAmazonプライムで見つけた。レンタルができる。近いうちに観てみる。