『はちどり』 いい映画だと思う。でも期待が大きかったせいか、見終わっての感想は「あと15分ぐらい短いとよかったな」である。

14日(金)ジャック&ベティの2本目。

 

『はちどり』(2018年/138分/韓国・アメリカ合作/原題:House of Hummingbird/監督:製作:キム・ボラ/出演:パク・ジフ キム・セビョク/2020年6月20日日本公開)★★★★

 

 

 

韓国の映画を好んで観る。理由は自分でもよく分からないのだが、映画のテーマそのものより、人々の表情やそこで話されていること、独特のからだの動きや距離感、食べ物や風俗、ここまでは台湾映画や中国映画、インド映画などアジア映画に共通するのだが、他の国の映画と比べて明らかに違うのは意味すら分からない韓国語の響きが好きだからだ。優しげでもないどちらかと言うと時に投げやりできつく感じられる語感、それが微妙な感情が込められたとき、ある独特の深みのようなものを感じさせるときがある。

上のウニとヨンジのふたりの会話のシーンがまさにそうだ。

この映画の中でも二人だけで繰り広げられるとっても素敵なシーン。

 

さて、期待が大きかったせいか、見終わっての感想は「あと15分ぐらい短いとよかったな」である。

印象的なシーンが多いし、演出のすばらしさもあって、揺れ動く14歳の少女の心持ちが十分に描かれていたと思うのだが、時に説明的な部分があり、あるいは作る側が「これは入れておきたい」と残した部分が、見る側には少しくどかったり、しつこかったり。

ただこの時期、この時代の韓国の社会情勢をベースにしているところは、日本映画と決定的に違う。日本映画の場合は、社会情勢を歴史として捉えようとするより情緒的に捉え、人物本位のエピソードの中に埋め込んでしまうきらいがあるように思う。

その意味で『82年生まれ キム・ジヨン』と重なる。キム・ジヨンは94年には12歳。

 

私が初めて韓国を訪れたのは1988年、ソウルオリンピックの年。釜山から慶州、大邱を経てソウルまでを団体旅行で歩いた。地方と都市の格差は大きく、都市は貧富の差が大きかった。物乞いも多く、街は汚れ、荒んだ感じがした。Mさんは、民俗村で観覧中、持っていたハンドバッグをナイフで切られた。すりの未遂だった。オリンピックに向けて街から犬料理の店が消え始めたころ。

日本からは妓生(キーセン)を目当ての買春旅行が珍しくない時代だった。私たちのツアーは親子や夫婦などが多く、その分親切にされることが多かった。。

この時の大統領は軍人出身のノテウ(盧泰愚)氏。韓国の多くの大統領があわれな末路をたどるように盧泰愚氏も不正蓄財や光州事件の責任から懲役刑が下される。

映画の舞台となった94年は初めての文民出身のキムヨンサム(金泳三)氏が大統領となって2年目。北朝鮮との緊張はありながらも、映画は韓国の社会が根本的に変わりつつある時代を背景としている。

 

ウニの家族は、餅屋を営む父母、ソウル大学をめざしている兄、何事にも自信が持てずに家族に向き合えない姉、そしてウニはどこにでもいる多感な中学生。

 

この時代、まだ家父長制的な家族観が強く、父親は妻や子にとって抑圧的な存在。家業に誇りを持ち、家族を大事にして、子どもを立派に育てようとするが、威圧的である分妻の不満は鬱屈し、姉は逃避、兄はウニへの暴力で憂さを晴らしている。

 

多くの韓国映画で「家族」とか「きょうだい」が通奏低音のようにテーマとなる。

この映画も同様なのだが、長く続いてきた家族制度に忍従しながらその矛盾を一つのエネルギーにして・・・というよりは、矛盾がむきだしになったときに、誰もがよって立つべきものが見つけられずに・・・という部分を描いているようだ。

 

映画そのものがとっても繊細で行間に込められたものがやわらかく感じられるので、ストーリーは書かないが、基本的には「弱いもの」が弱いもののままではなく、社会が変わっていくことによって少しずつ自由を得ていくこと、そのときに古い慣習に呑み込まれずに自分の感性を信じて生きていくことが重要だといったメッセージが感じられる。

 

日本ではあまり話題にならなかった2016年の韓国映画『わたしたち』をもう一度見てみたいと、帰りに立ち寄った4か月ぶりの行きつけの店で考えた。

 

タイトルのはちどりは、原題にあるようにハミングバード、鳥類の中で最も小さな鳥のこと。ウニの存在を象徴しているのだろう。

 

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8月16日付神奈川新聞読書欄に『ワタシゴト14さいのひろしま』が紹介されました。