誰を味方と考えるか、その味方をどこまで信頼できるか  村木厚子さん 松元ヒロさん の番組を見る。

夏の備忘録の続き

 

8月15日(月)

75回目の終戦記念日

日本は無条件降伏をしたのだから、終戦ということばはやはりおかしい。日本語の語彙の豊かさは、さまざまな事象のストレートな印象を制限、牽制、減衰させるのに巧妙に使われる。

国家神道の中心としてまつられた戦争の思想的なバックボーンとなった靖国神社。現在はA級戦犯が合祀されている。歴代天皇は参拝しない。しかし閣僚らは堂々と参拝する。安倍首相は真榊料というのを内閣総理大臣の名前で納めている。

このことひとつが日本という国の偏頗さの象徴と映っている。

政治家のかたくなな靖国神社への参拝は、戦争の総括を75年もの間きちんとせずに放置してきたことを内外に表明する行為だ。

90年代の村山談話河野談話などを国として否定したわけではないのに、その影は薄く、村山は高齢になった今年、談話は国の名誉を示すものと発言し「引き継ぐ」と言いながら口ばかりの安倍を牽制、河野に至っては息子が防衛相となり堂々と参拝している。大臣になって初めての参拝をした小泉進次郎は「参拝がニュースになることがなくなる時代にしなければならない」とピント外れの発言。これまた偏頗そのもの。

86年8月、後藤田官房長官は「靖国神社がいわゆるA 級戦犯を合祀していること等もあって、…我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国がさまざまな機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。…諸般の事情を総合的に考慮し、…明8月15日には、内閣総理大臣靖国神社への公式参拝は差し控えることとした」という談話を発表した。

それでも、閣僚の参拝は続いた。


「毎年行っている。大臣になったからといってちゅうちょはなかった。参拝がニュースになることがなくなる時代にしなければいけない」「毎年行っている。大臣になったからといってちゅうちょはなかった。参拝がニュースになることがなくなる時代にしなければいけない」
「毎年行っている。大臣になったからといってちゅうちょはなかった。参拝がニュースになることがなくなる時代にしなければいけない」

そうして戦後75年にわたってかつての敵国アメリカの庇護のもとに順々としている不思議さ。アメリカ抜きには何も決められない、アメリカに反旗を翻せばすぐに報復を受ける指導者たち。ぽんぽんと柏手を打つ靖国神社の本殿の向こうの奥の院には本尊のアメリカがおわすということか。

それでも日本は75年戦争をしなかった、これもみな「先の大戦」で亡くなっていった人たちの力によるもの、といった情緒的な言説が8月15日を覆っている。

 

 

 

NHKのアナザストーリーズ『わたしはやっていない 村木厚子 無罪までの454日』(8月8日放送)を見る。

精神的な強さ、勁さと書いた方がいいか。勁さというのはやわらかいものなんだということを考えた。降ってわいたような災難を前に、村木さんのような柔らかさで対処できるかと言われれば、まあ私など難しいだろう。誰を味方と考えるか、その味方をどこまで信頼できるか。肚のくくり方。

災難の当該となることはなかった。わずかに支援をする側にいたことはある。はたして信頼に足る「味方」だったろうか。

 

もうひとつ『テレビで会えない芸人』(7月21日放送フジテレビ 鹿児島テレビ製作)を見た。

ピン芸人の松元ヒロさんを取り上げたドキュメンタリー。今まで出演はもちろん、取り上げられることのなかった本人の実像。ドキュメンタリーと言いながら、エピソードが語られるためには「シーン」をつくりださなければならない。かつての同僚に会ったり恩師を訪ねたり。わたしには「つくりすぎ」に見えるところが多かった。

唯一よかったのは奥さんの発言。正確には忘れてしまったが、奥さんが言葉を発するとヒロさんは等身大のおっさんになる。等身大のおっさんがやっている仕事だから、これ以上ない貴重な仕事だし、魅力ある仕事。

誰を味方と考えるか、その味方をどこまで信頼できるか、村木さんのことと同じことを考えた。

 

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山際正巳 『正巳地蔵』 

”特別展あるがままのアート 人知れず表現し続ける者たち” 

於:芸大美術館