『梅切らぬバカ』77分。気の利いた短編小説のよう。登場人物の造形もいい。

映画備忘録。12月3日。グランベリーパークシネマ。

『梅切らぬバカ』(2021年製作/77分/G/日本/脚本・監督:和島香太郎/出演:加賀まりこ 塚地武雅 渡辺いっけい 森口瑤子/公開2021年11月12日)

 

山田珠子は古民家で占い業を営みながら、自閉症の息子・忠男と暮らしている。庭に生える梅の木は忠男にとって亡き父の象徴だが、その枝は私道にまで乗り出していた。隣家に越してきた里村茂は、通行の妨げになる梅の木と予測不能な行動をとる忠男を疎ましく思っていたが、里村の妻子は珠子と密かに交流を育んでいた。珠子は自分がいなくなった後のことを考え、知的障害者が共同生活を送るグループホームに息子を入れることに。しかし環境の変化に戸惑う忠男はホームを抜け出し、厄介な事件に巻き込まれてしまう。タイトルの「梅切らぬバカ」は、対象に適切な処置をしないことを戒めることわざ「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」に由来し、人間の教育においても桜のように自由に枝を伸ばしてあげることが必要な場合と、梅のように手をかけて育てることが必要な場合があることを意味している。加賀にとっては1967年の「濡れた逢びき」以来54年ぶりの映画主演作となった。【映画ドットコムから】

 

 

77分という上映時間が良い。

1本いくらで映画を見るようになったのはいつ頃だろうか。

20代の若かった頃、横浜の大勝館や横浜日劇、鶴見文化、京浜映画などの映画館は、まだ3本立ていくらの時代。

いつからかシネコンが乱立し、それに伴い名画座も1本いくらになっていった。

開始時間に間に合うように出かけるようになったのも、そのころ。それまでは、適当に入場して何本か見て、途中で出てくることもよくあった。

 

そのころ、映画の長さは1時間半ぐらいではなかったか。2時間というとかなりの長編という印象。

ところが今では2時間以上の上映時間が当たり前になってしまった。

ほんとうに2時間が必要なのか疑わしい映画も散見する。

どうなんんだろう。

 

『梅切らぬバカ』の77分は、気持ちいいほどにしっくり来た。

小説で言えば気の利いた短編小説。

登場人物の造形もそれぞれ彫りが深く印象が強い。

 

加賀まりこが全編を支えている。この存在感は得難い。

塚地武雅がいい。この人は生来の役者。

「おちょやん」で味のある深みのある演技がよかったが、ここでも中年の自閉症の男性をごくごく自然に演じている。自分だけの世界、思いの伝わらないもどかしさ、あきらめ、さらにはやさしさのようなものまでほどよく混じった演技。素晴らしい。

 

隣人の渡辺いっけい森口瑤子も自然でいい。

 

本編中、ぐっと来た場面が一つあったが、それは珠子に招待された渡辺いっけいが塚地演じる忠さんを初めて名前で呼ぶシーン。どうってことのないシーンなのに。

渡辺、森口夫婦が醸し出す空気と視線は、そのままわたしたちのものだし、珠子と忠さんの家族とは相いれないもの。これは日本の障害をもつ人と家族、それを取り囲む人たちとの縮図そのまま。

 

そうした縮図にささやかな変化が起こるのはどういうときか。

映画は、力まずにほんのちょっとだけそのきっかけをかいま見せてくれる。

 

林家正蔵グループホームの監管理者を演じているが、これもとってもいい。

 

「もう少し・・・」と思ったところでエンドロール。いい感じ。

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