3月も上旬が終わろうとしている。ついこの間までメジロが梅の花弁に群れていたが、いつのまにか梅も盛りが過ぎてしまった。
2月から3月にかけて暖かい日が続いていたせいか、今日の雨は冷たくて、春の訪れが足踏みをしているように感じられる。
高価な食事やお酒をご馳走になった官僚たちの春。処分されたり更迭されたりする人たちがいる一方で、辞任したから責任を追及されないという初の女性内閣報道官の山田某。
辞め得?というより食い逃げ。なぜか彼女はあまりきつくあたられなかった。
悪いのは菅の息子で、山田はしかたなく・・・ということか。
それならほかの官僚も免責されてしまうが、そうはならない。
7万円の食事をご馳走してもらって・・・ね?
女性への攻撃は今は避けたほうがいいという空気がないか?
橋本組織委員長は、大臣を辞めたが議員は辞めない。普通に考えてオリンピック精神(というものが存在するとして)には程遠い。
「セクハラと思ってやったわけではない」という竹下亘。
でもセクハラってそういうものでしょう。援護射撃にもなっていない。
丸川は五輪大臣と男女参画何とか大臣に。
夫婦別姓に反対せよと地方議会に圧をかけても炎上しない。
なんだかおかしい。
福島瑞穂は丸川をしっかり追及したが答弁拒否で逃がしてしまった。辻本は山田某に同情的だった。
女性攻撃は得策じゃないという空気。
政権は汚れた空気を変えることに余念がない。
山田某の後任、名前がすごい。日子、ひかりこと読むらしい。明るい。
文化庁長官に都倉俊一氏。
中和。
優れた作曲家を何十年もやってきたとしても、省庁のトップ就任は所詮人寄せパンダ。
一日署長のようなものだろう。
ようやく国会が開かれても、議論は政治家の不祥事に官僚の醜態。
真面目に働いている政治家や官僚もたくさんいるだろうに。
「もりかけ」の次は親子丼?うますぎて笑えない。
民間企業に勤める息子が、総理大臣の親の威光をバックに役所の許認可合戦で違法な方法で成果を上げたことが明らかになったら、親は責任を取って辞めるのが常識だろう。
そうして初めて不肖の息子になる。
この親子にはそういう常識は通用しないようだ。
もうやめよう。
2月ほとんど更新しなかったからか、まとまらない、つまらないことばかりが頭に浮かんでくる。
備忘録だから、せめて映画のことぐらいは書いておきたい。
映画のことは、1月20日の『新感染ファイナルステージ』が最後になっている。
水しぶきや風、そして椅子事揺れる2600円をはたいた4DXスクリーンだった。
そのあと1月中に2本見ている。
『日本独立』(2020年製127分/日本/監督・脚本:伊藤俊也/出演:浅野忠信・宮沢りえ・小林薫・柄本明・松重豊ほか/12月18日公開)
前日にパソコンのHDDが壊れ、失意?の中で気晴らしに映画に出かけた。
日本会議などの右派勢力が主張するように、日本国憲法はGHQによる押し付け憲法だった? という映画だけど、そこそこ面白かった。
でも、こういった戦後の混乱期になぜこうした憲法が出来上がったのか、映画を見てもよくわからなかった。
GHQ側の強引かつ性急な憲法制定要求に対し、吉田茂や松本法務大臣、白洲次郎などの抵抗が描かれるが、結果的にマッカーサーの意図したものとは違う形でこの憲法が日本に位置づき、日米同盟にとっていまでもささやかな桎梏となっていることを考えると、映画を見終わっても「押し付け憲法はいらない」とはならないのではないか。
映画は淡々と時系列に進む。脚本は監督の伊藤俊也のオリジナル。84歳。
白洲次郎の浅野忠信はイメージとして話し方にやや品がない。宮沢りえの白洲正子のほうは悪くないのだが。あくまでも私のいい加減なイメージに過ぎないが。
小林薫の吉田茂はすごかった。私は最後まで小林薫とは思わなかった。こんなうまい役者、どうして今まで見たことなかったんだろうと思いながら見ていた。メイクは米アカデミー賞でメイクアップ賞を受賞した辻一弘によるもの。
柄本明もいい。松重豊も、本当に松重か?と思いながら、いや似ているが違うなと思ってみていた。
恋愛などのつまらないサイドストーリーを挿入せず、ストレートなつくりになっているのがいいなと思った。渡辺大という役者が演じる吉田満の『戦艦大和ノ最後』が検閲にひっかかり出版差し止めとなるエピソードを挿入されているのもいいと思った。
『戦艦大和ノ最後』自体がすぐれた作品であり、戦後長く読み継がれてきていることからして、重要な部分だと思った。
憲法作成過程の実務を担う日本側の人物の中に「佐藤達夫」という人物が出てくる。
この名前は忘れられない。この時、佐藤は法制局第一部長。すでに法務ばたのエリート官僚の道を歩いているようだ。
映画の中には出てこないが、
〈日本国憲法 第 26 条〉 1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとし く教育を受ける権利を有する。
この中の「その能力に応じて」という文言を入れ込んだのが佐藤達夫だと言われている。
この文言の解釈が戦後75年を経てもなお不確定であると私は考えているのだが、
一般には、この文言が障害児などとの分離教育を認めているというように解釈される。
インクルーシブな社会が目指されている現在なら、この解釈通りなら「憲法改正」が必要となる。
もうひとつ、この佐藤達夫、72年の給特法制定の時に人事院総裁を務めている。
教員には俸給の4%をあらかじめ支払う代わりに、超過勤務手当は支払わないことを決めた法律である。
超過勤務が野放しになるのではないかという懸念(実際にそうなった)に対し、佐藤は国会審議の中で「この法律には二つのブレーキがついている。一つは超過勤務を命令する業務を4項目に限定していること、もう一つは措置要求制度があり、いつでも問題があれば訴えることができる」とぶち上げ、法制定を後押しした。
ブレーキなど全く効かなかったし、措置要求など私もやったが何の役にも立たなかった。
給特法制定50年になる現在、教員の働き方はめちゃくちゃとなり、教員採用の競争率は限りなく1倍に近い。
カラ証文を振りかざして悪法を通した張本人がこの佐藤達夫。
佐藤は戦後、片山内閣の法制局長官を務め、1954年の第5次吉田内閣まで7年間閣僚を務めた。その後人事院総裁となり、12年間の長きを務め、現職で亡くなっている。
佐藤のやったことでよく知られているのは、能力論でも給特法でもなく、造船疑獄(1954年)の時の指揮権発動だ。法務大臣がのちの総理大臣佐藤栄作自民党幹事長の逮捕を延期するよう指示した、いわゆる法務大臣の指揮権発動を「発案」したのが佐藤。
能力論、給特法、そして指揮権発動・・・。毀誉褒貶あるのだろうが、戦後の歴史の要所に登場、悪知恵を働かせている。
90年の初めころ、国会図書館に通い、超過勤務裁判の資料を渉猟した折りに私にとって忘れられない名前として刻み込まれたのが佐藤達夫だ。
亡くなる前日、佐藤は 勲一等・旭日桐花大綬章を受章している。