遅ればせながら、「In Fact」の宮崎園子さんの【総理の挨拶文】ノリ付着の痕跡はなかった(上・下)を読んだ。
読み飛ばしは事務方がノリ付着を確認しなかったからという政府関係者の説明に疑問をもった宮崎さん。その挨拶文を広島市に情報公開請求した。ここがすごい。
私は、総理の挨拶文は公文書であるとは考えたが、その所有権は官邸にあるものと思っていたし、情報公開という方法で現物が見られるとは考えもしなかった。
よくよく考えてみれば、私も何回か公開請求をしたことがあるが、公開される文書は「原本」であり、こちらが保持したいときはコピーを請求する。だから「挨拶文」を請求すれば「原本」が出てくるのは当たり前のこと。
宮崎さんより先に情報公開を求めた人がいた。
元愛媛大学教授の本田博利さん。元広島市の職員。8月6日の式典の時には長くハト小屋担当を務めた方。ハト小屋の位置からは、市長や総理が挨拶する演題がよく見えるというのだ。例年、歴代総理は挨拶を終えた後、挨拶文をその演題において降壇するという。その段階でこの挨拶文は広島市のものとなり、そのまま関係部署が保管することも本多さんは知っていた。
本田さんは、だから「ノリ付け疑惑」は最初から嘘ではないかとみていた。
宮崎さんも広島市への取材の中で、菅総理が挨拶を終えた後、政府関係者この挨拶文を確認しに来なかったことを確かめている。
そして、お二人とも「現物」を目の当たりにした。
A4 サイズの用紙を横に7枚つなげた蛇腹状の「挨拶文」。貼り合わせた部分は完璧に作業されており、ノリ付けの痕跡はまったく確認できなかったという。
誰だかわからない政府関係者が、報道関係者に「ノリ付け」「事務方のミス」をリーク、それをそのままチェックせずに報道したマスコミの責任は大きい。
では、読み飛ばしはなぜ起きたのか。私は、8月6日のブログで「意図的」ではなかったかと書いたが、意味が通じない内容では「意図」は「成功」したとはいえない。
ひろしまをひろまと、げんばくをげんぱつと言い間違えたことを考えると、あれは菅総理の単純ミス。つまり棒読みミスということだ。
事前に目を通して、自分の言葉として発信しようなどという意志はまったく無かったということだ。
棒読みもできない総理大臣は退場した。
問題は、事務方に責任を転嫁した「政府関係者」と、それをダダもれ報道してしまったマスコミだ。
宮崎さんは、この7月、朝日新聞広島支社を退社した。現在、フリーランスで取材執筆を続けている。昨年の7月だったか、電話で中澤晶子さんの『ワタシゴト』について取材を受けた。とにかく元気な方。バイタリティの塊のような人だった。Twitterでもよくお名前を見る。組織の枠に収まらなくなった記者の「眼」をこれからも存分に光らせてほしい。