広島の友人からこの記事を送ってもらった。
豊永恵三郎さんは、在職時、何度か生徒たちに被爆体験を話していただいた方。記事にもあるように、戦後、在日朝鮮・韓国人の在外被爆者問題に取り組んできた方だ。
短い記事だが、広島市の「被爆体験伝承者」養成事業についての問題提起は重要だ。
この問題についてはこのブログでも触れたが、伝承者は原発を批判するような文言を講話に入れるなと行政が言うのは全くおかしな話。人類最初の核攻撃を受けた地である広島の行政として「伝承すること」の認識の底の浅さを露呈した問題。
豊永さんの
「単に被爆当時のことを伝えるだけでは被爆体験も普遍化はかなわない」
「被爆者が言わないことを、伝承者が言ってもいいじゃないですか」
ということば。
事実を伝えるだけでは「被爆体験は普遍化しない」には、豊永さんの被爆体験者として長い間歩んできた思想の深さがこもっている。
宮崎記者と豊永さんの間を取り持った方に対して、豊永さんは補足として次のように語ったという。
「宮崎さんの書いてくれたことのほかに、まだ大事なことを言いました。それは、継承とは、そのまま伝えることではなく、被爆者の証言を聴いてそれを自分はどう思ったか、それを受けて自分はこれから何をしなくてはならないか、何をしたいのか、そこを付け加えて表明することだと、ぼくは考えます」
アウシュヴィッツを訪れた時、たった一人の日本人の公式ガイド、中谷剛さんが同様の主旨のお話をしていた。
ポーランド人やドイツ人ではなく、日本人である自分が語れるアウシュヴィッツがあるはず。
彼の精神と身体を通して語られるアウシュヴィッツは、事実としてのアウシュヴィッツを越えて、アウシュヴィッツを普遍化していく営みだと、その時私は思った。
今、豊永さんが同じことを被爆体験者の側から云う。これほど重いことばはない。
広島を訪れた中学生が「今度は私たちが伝える番です」と言う。
今を生きるあなたたちの精神と身体を通して語られる言葉、それこそがヒロシマのことばだと云える、そんな大人でありたいものだ。