6月末日。朝から、曇り、晴れ、小雨、晴れ、嵐と不安定な天気。
散歩中はポツンと2、3粒、雨が当たっただけ。
歩きながら、このあいだのマスクをしていない人を見る「怪訝な視線」について話す。
同じような視線は、間違って女性専用車両に乗ってしまったときに感じたものに近いなと思えた。
無造作に乗り込んできたおっさんに対し女性乗客らは一瞥をくれ、はてどう考えたか。
アウトと強く断じるまでのことはないけれど、黙ってスルーするのもなんだかなあ、かといってこの男、ワザと乗り込んできたようには見えない。けっこうなおっさんだし・・・とり合えずきつめの視線でも送っておくか、といった具合の65%ぐらいの指弾を含んだ視線。
女性車両だと気がついたとき、となりの車両に移ろうとは思わなかったの?とMさん。
いままで2回間違って乗ってしまったことがあるが、そういえば車両を移る、ということはしなかった。
気がついてからはひたすら窓の外を見続け、次の駅に電車が止まるのを待った。
そうか、車両を移ればよかったのか、と今更ながら考える。
なんだろう、突然気がついて、バタバタと移動するのがかっこ悪いと思ったのだろうか。それとも、強い視線にたじろいで動けなかったのか。いい年をしてそれほど純情でもないだろうにという含み笑いのMさん。
「似ている」と思ったが、こうして振り返ってみると、マスクをしていない私に対する視線のほうが、屋外で離れた位置関係にあるにしても、やや厳しいかなと思える。80%ぐらいのきつさはあったような気もする。
いやいや、こういうのは当事者である私の方は気になるけれど、案外もう一方の当事者はそれほど気にしていないということも、ある。
コロナ禍がなければ、これほどマスクのことを気にすることはなかったのだが。
気になるニュース。高齢者の犯罪。
84歳の母親が、失業中で泥酔して眠り込んでいる59歳の息子の首を電気コードで絞める、という事件が岐阜であった。
母親は自ら警察に連絡、息子は搬送先の病院で亡くなった。容疑は殺人未遂から殺人に切り替えられたという。
電気コードが凶器ということは、発作的に犯行に及んだということか。
息子の失業は何によるものなのか。半年以上前に失業していたというからコロナの影響ではないようだ。
59歳での失業のダメージは想像を超えるものがあり、酒におぼれるのもわからないでもない(甘いか)。
長い間の二人暮らし。話はいつも同じところを堂々めぐり、ただただ煮詰まってしまう。
それにしても、だ。84歳という年齢に驚かされる。
84歳という年齢の自意識、どんなものだろう。
親子は、57年間、その関係をつないできた。
それだけの長い時間ならば関係は変転していくものだ。この親子はどうか。
夫婦間で介護疲れから思い余って・・・というのとは違う。
相手が認知症になっていく過程で、夫婦関係はケアするもとされるものに変わらざるを得ないが、この親子の関係は、非行に走ってどうにもならない息子を母親が思い余ってという、いわば思春期の母子関係と変わっていなようにも見える。
子どもはずっと子どものまま、母親もいつまでも母親。
こういう親子関係が増えているような気がしてならない。
先週、3か月ぶりに映画館に出かけた。
勢いに任せて、3本連続、6時間、同じ席に坐り続け、見続けた。間の休憩は15分ほど。
いつもはする居眠りをしなかった。やっぱり映画はスクリーンだよな、という高揚した気分があったからか。
検温を都合4回、アルコール消毒も4回。もちろんマスク着用。ロビーのソファーはすべて撤去。中では呑み物以外禁止ということで、昼食は立ったまま、おにぎりをほおばる。
ポイントカードの期限が3か月延びた。
映画の中身は次回に。