適正規模、と言われる。人口が何十万人にいるから、ここにレストランをつくると・・・という計算の仕方。これが効率化だ。 生活する側は何十万人規模なんて関係ない。必要なものが、歩いていけるところで、近所で揃えば何の苦もない。

最近は行かなくなったが、クルマで10分ほどのところにちょっと変わった風体のお店がある。先日、久しぶりに通りかかった。

 

まだ営業している。

 

店構えはかなり古びていて、間口は二間ほど。昭和の昔から続いている店だろう。

 

雑貨屋さんである。荒物屋ともいうだろうか。

f:id:keisuke42001:20200323114955j:plain

むすかり


 

こういうお店は、今ではかなり珍しいものになった。

ここで売っているもののほとんどは、今ではカインズホームとかコーナンとかいうホームセンターで売っている。

 

 

この店が存続しているのは、もちろん「荒物」「雑貨」を商っていることによるのだが、よくよく商品を見てみると、みなかなり古いもののようだし、ほこりがかかっているものも多い。こまめに掃除してはたきをかけ、外には水をまき・・・なんてことはしていなさそうだ。

 

では、どうしてここまで生き延びてきたのか。

 

このお店、もうひとつ商いをやっている。生めん屋さんである。

 

お店を外から見ると、奥の方に煙突のようなものが見える。そこが工場のようだ。

 

ラーメン、うどん、など何種類かの麺を製造している。

 

まだ仕事をしている頃、このお店の前を通りかかって、「生めんあります、だって。ほんとかい」と半信半疑で入ってみたら、荒物屋さんは仮の姿(ではないと思うが)で、生めん製造が本業のように見えた。

 

つくっている人はどう見ても2,3人。小さなめん製造工場(こうば)。店頭売りのほかに契約し卸しているお店がいくつかあるのだろうと想像できる程度の規模。

 

ここでおもにラーメンの生めんを買った。

 

細めんでやや縮れていて、昔の「東京ラーメン」ふうの麺。

 

1,2年、通ったあと、定年退職してからは自分で麺をつくるようになった。

 

そば、ラーメン、うどん、パスタまで凝ったのだが、3年前にDiabeticsとなって以来、自分でつくることも、このお店に行くこともなくなった。

f:id:keisuke42001:20200323115151j:plain



 

炭水化物の話をしようというのではない。

 

このお店、かなり広い店頭にバケツから瀬戸物から、掃除道具に、日曜大工道具、居間に飾る絵画、など、そのほかさまざまな素材など、ほこりはかぶっているが、所狭しと天井まで品物がぎっしり詰まっている。

 

たな卸しなど何年もしたようすがない。店番はおばあさんが一人。

 

とても荒物屋で食っていけていると思えない雰囲気だ。

生めん製造を息子らしい人がやっていることで生計を立てているのだろう。

 

しかし、時々、ちょっとしたものがない、ホームセンターは閉まっている、コンビニにも売っていないもの、たとえばたわしとか餅焼きの網とか、そんなものを買いに来るお年寄りがいるかもしれない。便利かもしれない。

 

 

 

今、トイレットペーパー、マスクなどが、すぐにお店からなくなる。

いったんなくなると、次の入荷までに時間がかかり、客は行列を余儀なくされる。

 

かつては、荒物屋や雑貨屋は町にいくつもあって、在庫切れなど考えられなかった。不良在庫が山ほどあっても生活できたからだ。

 

風邪の時期でも、医院は込んでいてなかなかすぐに診てもらえない。

かかりつけ医をもちましょうというが、昔、町の医院は科目ごとにほとんどがかかりつけ医だった。

 

 

不思議なのはトイレットペーパーなどが、大きなドラッグストアでもすぐになくなること。

 

在庫の問題。

 

在庫を持ちすぎないことは商売の上では大事なこと。規模の大きなドラッグストアは、扱う商品の品目も多いから、トイレットペーパーだけを大量に置いておくわけにはいかない。

 

都会では倉庫代はバカにならないから適正な在庫管理が求められる。

 

すると、突然今回のような騒ぎになると、すぐに在庫切れとなる。

 

町の雑貨屋、荒物屋がもっていた潜在能力の方が、現在のドラッグストアのより優れているのではないか。

 

トヨタのジャストインタイム方式を考えると分かりやすい。

 

在庫が滞留しなければしないほど生産は効率的になるということ。だから、部品の納入は決められた時間に。下請け、孫請け、碑孫請けが次々に割を食うことになるシステム。

 

 

 

 

かつて、私が子どもだったころ。

 

小さな町に映画館が3つあった。今、シネコン。田舎の町に映画館はない。

 

私が住んでいた東北の片田舎のほんとうに小さな町、そんな町でも近所には、思いつくだけでも、

瀬戸物屋、洋装店、銭湯、お菓子屋、食堂、医院、下駄屋、肉屋、床屋、運動具店、魚屋、等々が軒を連ねていた。

 

こうした「近所」の集合体が「町」だった。

 

それぞれが持ち家で、昔から家業としてやってきた仕事。

 

多少の在庫をもっていても、倉庫代はかからない。売り上げが少なくても人件費はかからない。

 

互いに品物を卸の価格で融通できる。

 

通い帳もあった。

医院の支払いは、盆暮れに看護婦さんが集金して回っていた。

 

 

となり町や遠くの大規模店にまで出かけていかなくても(そんなものはなかったが)、

ふつうの生活は出来た。

 

道路ができ、クルマが発達し物流が進化して、小さなお店はほとんどが潰れていった。

 

結局不便になった。

 

適正規模、と言われる。人口が何十万人にいるから、ここにレストランをつくると・・・という計算の仕方。これが効率化だ。

 

生活する側は何十万人規模なんて関係ない。必要なものが、歩いていけるところで、近所で揃えば何の苦もない。

クルマのない老人が生活するのに、宅配で食事をとり、タクシーで病院に行き、といったことになってしまう今。

 

1970年ぐらいまでのこの国の地方は、なんでもある豊かなところだったのではないか。

 

今では、1,2万人の小さな町だけでなく、10万人以上の市もシャッター街となってしまっている。

 

これほど物流が盛んになっても、いったんどこかが詰まってしまうと、すぐにその影響が消費者にはね返る。

 

「大雑把な余裕」が、効率的な社会システムにはない。

 

都会の片隅にポツンと残った荒物屋が、そんなことを考えさせてくれた。

f:id:keisuke42001:20200323115241j:plain