昨日のことだが、午前中のお茶のときに、ついつい国会中継にを見いってしまった。
黒川東京高検検事長の定年延長問題。
森まさこ法務大臣の厚顔ぶりはすごい。人の話を聴いているかに見せて、決まったことを何度でも繰り返す。官僚から渡されたものをひたすら読む。
野党統一会派の小西洋之議員の質問もかなり舌鋒鋭く痛烈な皮肉が混じっているが、森大臣は歯牙にもかけない。安倍首相に「法の支配の対義語を知っているか」と質問し、慌てさせた小西議員だが、ハナから話を聴こうとしない森大臣にはお手上げだった。
この問題、テーマは簡単。検事の定年について勝手に法解釈を変え閣議決定してしまった違法、脱法行為。黒川検事長に限らず、これからは検察の人事を内閣が左右できるようになったということ。検察を好きなように動かせる。政治家にとってはなんとも魅力的なシステムだ。
安倍政権になり、内閣人事局が官僚たちの人事をぎゅっと握るようになった。ちじみ上がった官僚たちによって行われた数々のすり寄りと忖度。それが今度は検察にも及ぶということだ。
安倍べったりの記者山口敬之の逮捕をストップさせたあの中村格総括審議官は、1月に警察庁の次長に就任した。いずれ警察庁長官になるのだろう。菅官房長官の秘書官だった男だ。次は黒川検事長が検事総長になるのか。
1億5千万円もの選挙資金を自民党からもらっている河井案里と克行の夫婦を、広島地検が追い詰めているのは、検察が政治によって支配されることへの危機感の表れという報道があったが、まさにその通りだろう。
安倍はいったいどこまで日本の政治のシステムを壊すのか。
安倍の休校要請を決めた時の議事録がないことも問題になっている。
緊急事態のときに記録を担当するものを置くのは常識。時系列に判断と指示、結果を記録しておくことが、次につながる。
安倍は、前代未聞の全国の休校要請を、どんなふうに決めたのか。
議事録がないということは、出したくないということ。
つまり判断のための資料と議論に対して異を唱えさせないためだ。
大事なときには、かならずあったものがなくなるのがこの政権。
そういえば、この間国会の答弁の中で、養護教諭を「ようごきょうろん」、栄養教諭を「えいようきょうろん」と読んでしまった亀岡偉民文科副大臣のことも、SNS以外では話題にならない。
早稲田大学教育学部出身で専攻が幼児教育のこの政治家、65歳になるまで「教諭」という言葉に出会わずに文科副大臣になってしまった不幸に同情を禁じ得ない。
この人のウリは、江川卓とバッテリーを組んで甲子園に出場したこと。
どんなにすごい剛速球を受け止めたか知らないが、「きょうろん」はそれ勝るとも決して劣らない剛速球だ。これをちゃんと受け止められるのは、「云々」を「でんでん」と読んでしまった安倍首相と「踏襲」を「ふしゅう」と読んだ麻生副総理ぐらい。
そんな恥ずかしい失敗などなかったかのように、居座り続ける鈍感さこそ安倍内閣の面面目躍如なのかもしれない。