石垣島の散歩の道すがら、薄皮一枚はぐとみえてくるものは…。

   3月に入ってから2日間、雨が降り続いた。40分ほどに過ぎないのだが、朝の散歩がなくなると、どうも気分がすっきりしない。

 

 石垣島では、初日の夜の深酒で1日、3日目パンナ公園のエメラルド展望台への登山(160㍍の急階段)の疲れで一日、都合2日は休んだが、2日目4日目は、朝、一人で散歩をした。

 

 朝と云っても、西のはて、石垣島は夜が明けるのが遅い。2軒目の滞在先は、730交差点の目の前にあるホテル。島中でいちばん繁華な場所だが、早朝の6時ごろは人通りもほとんどなく、わずかなネオンが点滅するだけで宵闇がまだそこここに蹲っている。

 あるかなしかの風を感じる。長袖のシャツ一枚では少し肌寒いかなと思ったが、歩いているうちに気がつけば腕をまくっている。気温は20度を超えている。昼間は27度になった。

 

 石垣島の日の出は、この季節7時ごろ。かと云って学校や会社の始まる時間が遅いわけではない。通勤と思われるバイクの人も。10分ほど歩いた先の港の広場では、10数人の人たちが集まってラジオ体操をしている。明るい音楽が大音量で薄暗闇の中に流れてくる。不思議な光景。


 少し明るくなってくると、埋め立ての島新港地区(南ぬ浜町)にかかる青いサザンゲートブリッジが大きく見えてくる。歩道も広く、歩いて渡れる島だ。南十字星がここからよく見えるのだという。

f:id:keisuke42001:20190305121916j:plain

 

 資料によれば、90年代初めに石垣市内閣府沖縄総合事務局によって、ここに人工ビーチやホテルなどの商業施設、海洋歴史博物館、フィッシャーマンワーフなどが計画されたが、バブル崩壊によって実現せず。現在、人口海浜がつくられ、トライアスロン大会などが催されているという。

 

 ゆっくり歩いてのぼっていくと、いちばん高いところに少しスペースがあり、椅子もある。

 床に地図と各地への距離が記されているモニュメント。方位がよくわかる。

 サンフランシスコまで12500㎞、東京まで1940㎞、那覇まで400㎞。与那国島まで130㌖。台北までは270㎞などと。

 

 東の水平線の雲間に陽光が見え始める。いったん見えると上るのは早い。雲間を見え隠れしながら上っていく。横浜でみている太陽に比べて、かなり大きく見える。
日の出が見えたのはこの日だけ。

 


 この新港地区。3年前にPAC3(地対空誘導弾パトリオット)が配備されたところで知られている。迎撃ミサイルである。2016年の北朝鮮のミサイル発射のときにここに配置された。以来3度にわたって、その都度配置されている。


 石垣島でもっと繁華な地点である730交差点(78年に通行方向を逆転したことを記念してつくられた交差点)を通って、500人規模の陸自がここ新港地区に配備されたという。

f:id:keisuke42001:20190305122053j:plain

PAC3

 

 これが陸自の日常的な配置の前触れのひとつだったことは想像に難くない。

 迎撃するということは、その地点も狙われるということだろう。尖閣有事に対する陸自兵站確保が今回の配置の理由ならば、PAC3も含めて石垣島そのものが危険にさらされることは必定だ。自衛隊が守ってくれると受け入れ容認派は云うが、74年前の沖縄戦では軍は住民を守らなかった。ここ八重山での戦争マラリアと云われる軍による住民の強制避難、退去によるマラリア罹患で、3000名以上の人が亡くなっている事実もある。

f:id:keisuke42001:20190305122442j:plain



 

 穏やかな南の島は、一枚薄皮をめくれば戦争の歴史が隠されている。その薄皮は、終わるどころか、新しい始まりを隠せないほどさらに薄くなっているのではないか。


 ホテルへの帰途、ランドセルを背負った小学生4,5人とすれ違う。みな半袖に短パンである。
 石垣島には学校と郵便局が多い。児童・生徒数は少ないけれど、地区ごとに小学校がある。16の公立小学校と私立小学校が1つ、中学校は5校、小中併設の学校がこのほかに4つある。このほか特別支援学校と高校が3校。350人が通う小学校と8人が通う小学校。統合せずに地区が学校を守っているのだろう。

 どうして郵便局が多いのか、と土地の人に聞いたら「生命線ですから」という答えが返ってきた。学校も同様に、辺境の地から飛び立っていくためのひとつの生命線なのだろう。

 ならばなぜ陸自PAC3など、と考えてしまう。

 

 

 さて、境川河畔の散歩。二日間の雨で水量が増している。観音寺という古刹が境川、鶴瀬橋のたもとにある。この寺の墓地が境川に沿って広がっている。

 そこに60㍍にわたって河津サクラが濃いピンクの花を咲かせている。春の彼岸頃には散ってしまうようだが、その頃にはソメイヨシノが主役となる。

 穏やかな川の流れと春めいた空気。気持ちの良い散歩だった。

 

 

 今回、年に5,6度ほどだが、長年、泡盛を送ってもらっている酒造所を初めて訪れた。家族だけで酒造りをしている小さな蔵。いつからか、短い手紙を交換するようになった。
初めてお会いして言葉を交わしたのだが、初対面とは思われず、旧知の友人に会ったような気がした。お土産にもいただいたのだが、昨日、新たに注文した泡盛が届いた。

 

前略
 旅の疲れは如何ですか。今回の旅は予定を立てずに来島したとのことでしたが、十分に楽しめましたでしょうか。拙宅を尋ねることが目的のひとつだと伺い、ありがたく、嬉しく思いました。ひとときでしたが、愉しくお話が出来、本当に良かったと感謝しております。今後ともよろしくお願いいたします。
                            草々

 

 真っ白な一筆箋に達筆な文字。お酒を仲立ちにしたささやかなつながり。こうしたかかわりがとても大切なものに感じられるようになった。年をとったのだろうか。

 

 

f:id:keisuke42001:20190305130150j:plain

アーケード街「ユーグレナモール」で立ち寄った立ち呑みの店