1日の夕方に、石垣島から戻った。5日ぶりのことだ。
薄暗くなってきた時間だったので、カーテンは開けなかった。
2日の朝、疲れが残っているのか、遅く起きて来たつれあいが「梅、どうなっているかな?」と言う。「そうだ、梅だよ、梅」とカーテンを開けてみた。
枝いっぱいについた薄いピンクの梅の花びらが目に飛び込んできた。思わずスリッパのままテラスに出てしまう。つれあいの小言に、落花はわずかだよと応える。
まさに今が盛り。
ホームセンターで売られていた1mばかりの高さの細い苗木を庭に植えたのが、9年前のこと。毎年、花も実も申し訳程度にしかならなかったのだが、ようやくこの2,3年、立派な花をつけ、幹も5,6㌢になり実も10数個生るようになった。
同居の義母の介護のこともあって、30年住んだ港北の菊名、大豆戸町から、20㌔離れたここに移り住んだ。結婚以来、2度目の転居。その記念というわけでもないが、ふたりで買い求めたのがこの豊後梅だ。
朝食を済ませて、ぼうっと庭を眺めていると、なにやら梅の枝に動くものが。
メジロだ。
慌ててスマホを取ってきて撮るのだが、うまくいかない。「指で画面の中心を押すとピントが合うよ」などと言われてもうまくいかない。そのうち、メジロは飛んでいってしまう。
渾身の?ワンショット
そこでつれあいが、石垣島で食べ残したタンカンを半分に切って私に手渡す。枝に刺せという。花のついていない枝の先端2本にオレンジ色のタンカンを刺す。
間もなくタンカンに取りついたのは、ヒヨドリ。メジロの4倍はありそうなガタイで周りを伺いながら貪り食っている。先日、白菜をしこたま食べていった夫婦だ。
タンカンは見る間に食べつくされる。
メジロのつがいはどこに行ったのか、と思って外を眺めていると、ヒヨドリがいなくなったころを見計らって飛んできている。鳥に貴賎はないが、眺めていてきれいなのは茶色のヒヨドリより鮮やかなウグイス色のメジロ。
家の中の生き物。水槽の中の熱帯魚。多めに餌をやっていった4匹のスマトラと6匹のプリステラ、なんとか生きていた。
午前中のうちに、次女のところに預けたらいを引き取りにいく。こちらもいろいろ阻喪はあったようだが、元気。いつものことながら迷惑をかけた。3歳の暁人が喜んでくれたようだが。
2月25日早朝、前日の沖縄の辺野古基地建設に対する県民投票の結果をみて、ひとことブログに書いてからの出発。
石垣島に那覇の新聞が届くのはお昼頃。あるものすべて買い求めた。琉球新報には、編集局長と並んで沖縄タイムスの編集局長が寄稿している。両紙の関係がよくわかる。
本島2紙,八重山2紙
琉球新報の26面 最終ページ 気合が入っています。
石垣島に到着したのお昼すぎ。当初は投票をしない自治体のひとつだった石垣市、ふたを開けてみれば7割以上の反対票。
島の中には、「自衛隊のミサイル配備反対」と「基地受け入れ賛成」の幟旗があちこちに。本島から400キロ以上も離れたここでも、米軍、自衛隊の違いはあるが、受け入れか否かで揺れている。
本土ではあまり話題にならないが、28日、沖縄防衛局は周辺住民の意向を無視して、陸自配備の作業を強行した。辺野古の県民投票に反対していた市長は、陸自配備を積極的に容認している。
周辺4地区との面談、説明の次の日の強行。説明はアリバイに過ぎず、テレビの報道は「どこに訴えればいいのか」と困惑する住民の声を紹介していた。配備計画が発表されたのは2017年5月。
与那国島に続いて宮古、石垣島と「尖閣有事」を想定した自衛隊配備が進む。
沖縄戦では軍隊は住民を守らなかった。八重山諸島には戦争マラリアと云われる旧日本軍が住民を圧殺した歴史がある。
25日、白保地区の商店で昼食をとった。民宿がやっている食堂である。ここは以前に宿泊したことがある。朝食はこの食堂で食べた。10年以上前のことだ。
缶ビールを注文したら、飲み物はとなりで買って来いと云われる。
そうだった。そういうシステムだった。オリオンビールといかのゲソ天。
雑貨屋然とした店の入り口には、沖縄のおばあさんが坐っている。県民投票の結果を熱心に読んでいる。八重山日報だ。店番はそっちのけである。その手元を何気なく見ていると、
「読む?」「いいんですか?」「いいよ」「勝ちましたね」「面白くなったな」「そうですね」。
陸自が配備されるのは、ここからほど近いところだ。幹線道路国道390号線の至近、小学校、中学校、特別支援学校と道路沿いに並んでいるところだ。