今年度の授業終了。卒業おめでとう。老教員のできることは、健闘を祈ることぐらい。人を大切にしない「働き方改革」に負けるな。

    今年度の授業が終わって一週間。節目のことだから少しだけ触れておきたい。

 

    最後の授業は、例年通り17人の受講生全員がスピーチをした。

 

    教職課程の「教職実践演習」という教科を受け持って3年目になる。週一コマ半期の授業。4限目14:40 ~16:10。ほぼ毎回、駅前の日高屋で野菜たっぷり湯麵を食べた。キャンパスまでは歩く。13:00着。野菜たっぷり湯麵は某生活習慣病にはもってこいの昼食である。必ず麺とスープは残すが。

   

 9学科17人で構成されるこの授業、座席は同じ学科の学生が固まらないように、毎回ランダムに指定した。それにともないグループ討議のメンバーが変転することになる。

    そうしても学科の垣根は高く、学生は簡単には打ち解けない。

 一人しかいない学科の学生など手持無沙汰感たっぷりだったが、2か月が過ぎたころから教室の空気がやわらかくなってきた。

 

    気がつけば北風が吹いて最終授業。ほとんどの学生はわずかな単位を残して4年生になっているから、この授業が大学最後の授業になるという。

 

    スピーチはテーマなし。3分間、教壇に立って好きなことをしゃべる。私が半年間好き勝手なことをしゃべってきたのだから、君たちも遠慮なくしゃべりないさい、と。

 

   バイトの苦労話に貧乏海外旅行、もう一度行きたい都市ランキング、遠距離恋愛の彼氏の話、ゲイバーにはまった話や酒を呑んでの失敗談、ぼったくりバーの話にパチンコ、仮想通貨に投資信託など財テクの話も。今時の学生、なかなか見くびれない。
レポートが、授業の批評も含めて生真面目に書かれているのとは対照的。

 

    私の残った仕事はレポートを読んで成績をだすだけ。出席率は93%超。ロールプレイングに模擬授業、模擬面談などけっこう気合が入ったから、欠席以外優劣はつかない。

 

 

    社会に出る直前の半年間、いろいろな問題について触れようと初めの30分ほどをウオーミングアップと称して「読んで書く」ことを課した。

 

    のど飴問題の熊本市議会緒方議員のこと、厚生労働省障害者雇用水増し問題、いじめ事件の第三者委員会の問題性(福井県池田中)、いじめ自殺問題、夫と妻の家事負担問題(水無田気流)、学校でのスマホの使用の是非、新文科大臣の教育勅語容認発言問題、学校の荒れをどうとらえるか、教員の変形労働時間制・・・。

 

    社会経験のない彼らが、自分のもっている知見だけで物事を捉える。大事なのは自分の意見以上に同じものを読んで書かれた友人の文章だ。同世代の意見であってもかなり違っていて、自分の意見が対象化される。

 

    言い続けたのは経験主義に陥るな、だ。経験主義が想像力をへこませ、広がりを奪ってしまう。教員と生徒はいつも相対的関係にあるものだし、内在化しない経験や教条が生徒を類型で見てしまう元だ。経験や教条を伝えている側が言っているのだからと念を押す。後悔だらけの教員人生のささやかな戒めだ。

 

 

    卒業後、教職に就く人、不動産屋に勤める人、大学院に行く人、公務員になる人、彼らの進路はいろいろだ。今の日本を見るにつけ、前途多難だろうなと思う。

 

   卒業おめでとう。

 

 老教員のできることは、健闘を祈ることぐらい。人を大切にしない「働き方改革」に負けるな、を付け加えておく。

 

 ロッカーにたまった本と資料をトートバッグに入れて持ち帰る。駅まで10分、これもつらいが、田園都市線急行の30分、バッグとともに下げたまま。重い。手がしびれる。本も読めない。追い打ちをかけるように田園都市線は遅れ気味。

 

 長津田で途中下車して和食居酒屋Sにて一人打ち上げ。

 

 カウンター。84歳、亥年の女性と隣り合わせ。刺身に寿司、茶わん蒸し、次々と注文。私が何か頼むと「わたしもそれ」。その健啖ぶりに仰天する。聞けば、ほぼ毎日椅子付きの買い物用のキャリアを引いて来店、1時間ほど過ごすという。

 一方の端には70代後半と思しきハンチングの男性。肌がつやつやしている。精力がみなぎっている感じだ。カワハギ釣りが趣味だという。こちらはイモ焼酎のボトル。

 ふたりともすごい。私はずっと年下なのになんだかしょぼくれている。

 

 二人に続いてお勘定。外は北風。

 うちではつれあいが待っている・・・たぶん。

 さあ、うちへ帰ろう。

 

 次回は映画『家へ帰ろう』(アルゼンチン・スペイン合作)について。