映画『家へ帰ろう』奇跡的にアブラムは友人のもとへとたどり着く。そのさまは、まるでアブラムがヨーロッパ各地に埋められている「躓きの石」を飛び石のようにしてわたっていくようにさえ見える。

   昨年12月下旬に封切られた映画『家へ帰ろう』(2017年・スペイン/ アルゼンチン・原題:El ultimo traje(最後のスーツ)・93分・監督パブロ・ソラルス・主演ミゲル・アンヘル・ソラ)をジャック&ベティでみた。レディスデイだったこともあり、25分前にチケット売り場前に立ったが、整理番号は63番。通路に丸椅子も出て満席。


 ヨーロッパで、映画によるナチスドイツの所業への飽くなき捉え返しが留まらずに続くのは、いまだ抑圧の傷跡を抱えている人に敏感に寄り添おうとする大衆の贖罪意識が健在であるということだろう。

 もうひとつは、映画という表現手段が歴史や政治を扱うのに十分な器量をもっていることへの信頼が、ヨーロッパには存在するということでもあるだろう。

 


 難民問題に揺さぶられるヨーロッパには、アメリカの盟友として軍事大国化するイスラエルへの複雑な感情があることを承知しながら、それでもこうした映画がつくられる土壌を考えると、それは日本とはかなり違う精神風土があるのだなと思う。

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アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の入り口


 昨冬、アウシュヴィッツを訪れた時、ヨーロッパ各地から訪れる中高生の集団に出会ったが、驚いたのはその規模だ。全欧州からアウシュヴィッツを訪れる。訪れるのは義務に近いものがあるようだ。

 

 日本では、戦跡としての広島や長崎、沖縄を訪れる中高生の数は、けっして多くはない。たとえコースに入っていても、換骨奪胎して「訪れた」というアリバイだけ。バスガイドのわずかな案内で「タッチ」だけして他の訪問地へ急ぐ学校もある。よほど丁寧に事前学習を進めないと、「暗い話ばかり」「どうしてそんなに昔のことを」「残酷な話はやめてほしい」と生徒にも保護者にも忌避されることもある。
 

 アウシュヴィッツを訪れた時、体感温度は-20℃。

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 いっしょに降り立った中高生は、多少の軽口を叩きながらワイワイと元気だった。

 その後、厳寒の地、今では原野のようになっている収容所跡を数時間かけて見学するのだが、この季節でさえアウシュヴィッツを訪れることが特別のことではないようだった。

 

 気候に対する感覚が違うとは思うが、日本ではどうだろうか。スキーに行くのならまだしも、体調を壊したらどうするの?と言われてしまうだろう。

 


 アムステルダムクラクフで、石だたみの舗道を歩いていると、10㌢四方の金属の板(が付いた石)が埋め込まれているのに気がつく。

 ナチスの被害者となった人を偲ぶものだが、特定の場所に記念碑が立っているのとは違って、街歩きをしているときに踏んでしまってから気がついたり、光っていて気がつくこともある。

 

 銘板には亡くなった人の名前、生年、亡くなった年、場所が記されている。

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 「つまづきの石」と呼ばれるこの石は、1992年にケルン在住のアーティスト、グンター・デムニッヒ(Gunter Demnig)さんによって始められた運動。今では14000個以上の石がヨーロッパ各地に埋められているという。
 

 第二次世界大戦が終わって50年近く経ってから始まったこの運動が、今でも広がりをもっていることと、各地からアウシュヴィッツを訪れる夥しい数の中高生とは、どこかでつながっている。歴史に対する向き合い方の風土が、日本とは違うようなのだ。

 

 


 前置きが長くなった。本文の方はそれほどスペースを割かなくてもいい。本作は文句なしの傑作である。
 

 アルゼンチン、ブエノスアイレスに住むアブラム、高齢となり家族と離れ老人ホームに入ることに。アブラムはもちろん不満だ。しかし彼にはあるたくらみが。

 

 

 前日、アブラムは孫たちとの写真を撮りたいと家族に告げた。ところがみなそろっても、孫娘のひとりが「写真は嫌いだ」と家の中に入ってこない。アブラムは「この写真をもって老人ホームに入り、みんなに自慢したいのだ」という。その真偽は別としてアブラムには「最後の一枚」の思いがあるのだ。

 

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 孫娘は「1000ドルのスマホが欲しい」と云う。オークションのように孫と駆け引きをしながら800ドルで手を打つというアブラム。納得して写真に入ろうとする孫娘に「本当は1000ドル出そうと思っていたんだ。200ドル儲け損ねたな」と云うと、孫娘はすかさず「本当は600ドルなんだよ」。


 こうして文字にしてしまうと元も子もないのだが、このシーンに、アブラムという男の人生、人との関わりの内実がよく表れている。記念写真には愛くるしい孫娘をしっかり抱いているアブラムと、大好きなおじいちゃんに抱かれて満足そうな表情の孫娘が写っている。愛憎いずれも深い、一筋縄ではとらえきれないアブラム、長い人生の中で形作られてきたアブラムの人生観、この老人の「面倒くささ」をミゲル・アンへル・ソラがしている。

 

 

 家族を返して一人になった深夜、アブラムは家を出る。70年前に、新しく仕立てたスーツをもって、必ず戻ってくると約束した故郷ポーランドの友達に会いに行くためだ。

 

 しかしアブラムは、ポーランドもドイツも、その言葉を発音しようとしない。母語たる言語はもちろん国名さえ口にしたくないのだ。

 

 ここからがロードムービーの始まり。幾人もの人々に出会いながら。

 

 いかがわしい店の奥でヤミのチケットを扱う女性、飛行機の座席が隣り合うミュージシャン、スペイン・マドリッドの入国管理事務所の係官、ホテルの受付の女性、スペインに住む仲たがいをしている娘、列車の中で一緒になるドイツ人の文化人類学者の女性、ワルシャワの病院の看護師、まるで一つのリレーのように彼らはアブラムを支える。

 

 頑迷なアブラムに、はじめ人々は一様に困惑するが、アブラムの一念を知るにつれ軟化していく。それぞれのささやかなエピソード。


「ドイツには入らずにポーランドに行きたい」。

 

 駅員に失笑を買い憮然とするアブラムに手を差し伸べる女性。ドイツに着いてホームに降りるアブラムに彼女は、自分の衣類をスーツケースから出し、・・・これ以上書いてしまうと映画の興をそいでしまう。

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真ん中がアンヘラ・モリー

 

 アブラムのドイツやナチスへの憎しみも、支えてくれる人々の誠意によって、少しずつ溶け出していくのが、アブラムの表情の変化に現れる。

 

 こうした愛おしいほどのささやかで優しいエピソードの一つひとつが積みあがって、アブラムはポーランドに運ばれる。
 

 とは言え、これはことさら親切な人ばかりが集まってアブラムを助けた「美談」映画ではない。彼らに共通するのはアブラムへの共感から「自分ができることをしてあげる」ということ。ナチス被害者に対する欧州の贖罪意識が、民衆の記憶として今も確実にあることを思い知らされる。


 奇跡的にアブラムは友人のもとへとたどり着く。そのさまは、まるでアブラムがヨーロッパ各地に埋められている「躓きの石」を飛び石のようにしてわたっていくようにさえ見える。

 

 「会うのが怖い。彼がいてもいなくても」。

 

 ラストシーンは涙が我慢できなかった。

 なにゆえアブラムが70年以上を経て友達に会いに行ったのか、映画をみてほしい。

 映画の中に自分を置いてみると、民衆の記憶のようなものの違いが実感できる。

 どこが違っているのか、似ているところはないのか、70年以上経ったからこそ考えてみることが必要なのではないかと、思う。
 

 

 印象的なシーン、マドリッドの安ホテルの不親切極まりない受付の女性、どこか人生に投げやりな女性のようなのだが、アブラムがバス時刻に遅れたことから、いっしょにお酒を呑みに行くことになる。

 

バルのようなところでピアノ伴奏で彼女がうたうシーン。進行の意外さと、とっても下品だけれど気の利いた会話とお酒、彼女が人生の終わりを見つめながら歌う歌がいい。

どうでもいいことだが、ピアノ伴奏はほとんどメロディラインを追わない。リズムもずらしている。それなのに歌はしっかりピアノに乗っている。格好いいとしか言いようがない。歌い手もピアニストもすばらしい。

 

 この女優はマドリッド出身のアンヘラ・モリーナ。日本で公開されている映画が何本もあるがどれも見たことがない。1955年生まれ。

 

 アブラム役のミゲル・アンヘル・ソラは調べてみたが、それほど映画で活躍しているというわけではないらしい。しかし、演じている様子は『手紙は憶えている』のクリストファ・プラマー(1929年生まれ)と年齢的に遜色がない。こちらは1952年生まれ。アンヘラ・モリーナと二人、年齢を感じさせない?素晴らしい老け役を演じたことになる。