「教員勤務 休み中短く~文科省変形労働時間で年管理」を読んで考えたこと(学生編)

 

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 大学の授業、今日で今年は終わり。

 週一度一コマとはいえ、9月末から13週連続。疲労というより疲労感のようなものがある。現職の中学教員のときとは全く違う疲労感ではある。

 当たり前だが、中学生と違って「養育」的な面でのセンサーがここではまったく不要。

 互いの距離感も、大人だから、少しずつ詰める、あるいは測り合う、ほど良い距離を共有しようとする。中学生は一気に詰めることがあるし、一瞬で離反することもある。ダイナミックな半面、こちらのセンサーの精度が必要だった。後年は疲労感より疲労そのものだったような気がする。

 

 それはさておき。 

 このブログでグタグタと続けている中教審の変形労働時間制導入問題について、学生に書いてもらった。教職の授業であることも理由ではあるが、授業の初めに新聞記事などを読んで寸評をするということを続けている。時間は20分ほどなのだが、短時間で書いたものをもとに、時には少し議論をして・・・というのが、授業の本編に入る前のルーティン。下に掲げるのもそうしたかたちで書いてもらったもの。

 学生(教職課程をとっている4回生)の受け止め方の一端がわかる。

 政策に対する先入観を排除するために、当初報道された簡単な記事だけを資料とした。

 

➡は私のコメント。(なお資料には、教育実践演習資料となっているが、正しくは教職実践演習である)

 

 

 


  「教員勤務 休み中短く~文科省変形労働時間で年管理」を読んで考えたこと
                                                               ・時間外労働が当たり前のような傾向があり、それを分かっていて教員を目指しているが、過労死ラインを超えるほどの労働や働きに見合った給与がないと、教員がストレスを感じ、より良い教育ができなくなったり、病気で倒れてしまうこともあると思う。また部活動手当もほとんどないので、そこまで協力的じゃない教員がいたら生徒も不満がたまってしまう。変形労働時間制は確かに時間外労働は減っているが、それは机上の空論に過ぎないと思った。夏休み期間の労働時間を減らしても、それ以上にまた時間外労働しては意味がないし、結果的には12時間労働している。(クルトガ
➡「机上の空論」、私もそう思います。実効性のない政策をいくら並べても、しょせん張子の虎。そんな虎にはだれも驚いてはくれません。

 

・教員の勤務時間についてはずっと前から問題視されている気がします。どんな制度を導入しても部活のために土日出勤したり、家で仕事ができないため学校に残ったりしなければいけないので解決することはできないと思います。実際教育実習中に提出物のために土曜日、学校に行きましたが、部活がなくても三者面談の時間決めのためなどで学校に来ている先生は何名かいらっしゃいました。平日でもテスト前だと夜の8時以降もいらっしゃる先生も少なくありませんでした。時間に対する制度を導入するよりも先生の仕事を軽減できるようなこと、たとえば英語はデジタル教科書があったため他科目でも作るなどした方が先生の負担は少しでも減らせるのではと思いました。(ムタ)
➡教員の勤務とは言えない部活動を学校から切り離してしまえば、かなりの部分、教員の働き方は変わっていくと思うのですが。どうして部活動が学校から切り離せないのか、これを研究するだけでも戦後の学校の本質が見えてくると思います。

 

・時間外勤務が多く、過労死ラインを越えているにもかかわらず、勤務時間を8→10時間に替えたところで、時間外勤務を含めた総勤務時間は減るわけではないので、変形労働時間制で教員の働き方改革は難しいのではないかと思います。時間外勤務を余儀なくされている現場の実情に根ざした改革が必要であると思います。( グチ )
➡「現場の実情に根ざした改革が必要」、その通りです。総労働時間数を抑制するための方策ですね。文科省は片方の手で授業時数を増やし、道徳を教科化しながら、もう片方の手で変形労働時間を云う、この矛盾をどうすべきか、ですね。

・こうやって新しい制度を導入していっても、仕事内容が変わるわけではないので、勤務時間は特に変わらないと思います。何もないよりは変化を求める方が良いと思います。この変形労働時間制を導入してからの現場からの声が気になります。(大四喜
➡具体的な運用をぜひ関心をもってみていってください。一つの政策がどんなふうに実施され、どんな問題点が出てきて、どこに行きつくか、全体像を見ようとすることが大事です。

 

・今、教員の現状を知らないが、教育実習の時に私が在籍したころからいた先生に勤務時間の話をさせてもらった。その先生は年間50日くらいしか休めていないそうだ。勤務も朝7時くらいから夜の10時くらいまで。なかなか大変だと思った。この新聞記事だと休日からなんやからあるのだろうか?その先生に私は部活の休みを多くすればいいじゃないのかと提案すると、親からのクレームが入るからと言っていました。部活を少なくすると大会で勝てないのではないかと、もっともっと強くなりたいとか、実際生徒の部活動の取り組みを見ると真剣にやっていない生徒が大半だと見えていた。先生の過労も親のエゴなのかなと思えてきた。この法案も現場を少しだけですが、見たから感じたものは、変化を恐れるどこか昔からのものでかわらないような気がしてきた。

                            (マーキュリー)
➡現場の実情をあなたの眼で見たという事ですね。なぜ教員の業務ではない部活動にこれだけの時間をとられているのか、どうして過労死ラインを超える教員が中学では6割もいながら、罰則も設けず45時間までにしよう、などと言えるのか。政策立案する側の姿勢をしっかり見ておくことですね。
追伸:「話をさせてもらった」という言い方、今風ですね。「今度相談させていただきます」なんて言われるけど、私のような古い人間にはちょっと違和感がある。させてもらった→伺った でいいと思うのですが。丁寧すぎると時には「慇懃無礼(いんぎんぶれい」になることもあります。

 

労基法に基づいて改革することは、現状が大変であることを理解していてそれを変えようということでいいことではあると思うが、そもそも残業量自体を減らすことにはならないので、数字上では過労死ラインに達していなくてもあまり現状では変わらない気がしてならない。(金子)
➡数字上では過労死ラインに達しなくなる可能性がありますが、実際上の時間外勤務時間は変わらないということです。なんだか変ですね。勤務時間の延長が日常化してしまうのでは。これで現場の教員が納得するとは思えませんが。

 

文科省が動いて教員の労働時間の短縮を目指そうと動き始めたことは良いことだと思う。ただ、疑問に感じたのは労働時間を定めることは根本的な解決につながらないのではないかという事だ。今現在、労基法で労働時間が定められているが、ほとんどの教員はそれを守れず、サービス残業をしている。一人当たりの仕事量が一人分をはるかに超える量となっているのに、労働時間を定めても仕事量は減らないので、状況は今とあまり変わらないのではないかと思える。ならば事務職員を多く雇ったりして教員一人ひとりの仕事量を減らしていく形の方が、現場にも好まれるのではないかと思う。

                                                                                                                 (三毛猫)  

➡事務職員に業務を移すにしても、今度は事務職員が働きにくくなるのではないでしょうか。今現にある業務のほかに教員の雑用?任されるのは、事務職員としては納得できないところでしょう。互いに荷物を他人に押し付け合うのではなく、荷物を持つ人間の数を増やすことが重要なんですね。
もちろん、現在地教委レベルで行われている作業補助的な業務を担うスタッフの導入は意味があると思います。業務の範囲をしっかり限定して、という但し書き付きで。

 

・教員にも変形労働時間が適用されれば、教員たちのワークラフバランスは大きく改善されるのではないかと思いました。私自身も就職活動を始めた時には教員の道を目指すのか一般企業を目指すのかとなり、労働時間を比較して教員の道をあきらめたのも一つの理由です。何事にもメリハリというのは必要だと思うので、閑散期と繁忙期によって働く時間を変えるというのは合理的でより効果的な時間の使い方ができると思います。このように教員の労働環境を整備していき事で教員の質というのも高めることができれば、より意味のある制度になるのではないかと感じます。(セイントセイヤ)
➡問題は、教員の仕事に閑散期があるのか、あるとすればそれはいつなのか、ということですね。ほとんどが繁忙期の場合、変形労働時間制を導入しても、結果として勤務時間の延長だけが減少として残るという結果になりがちです。これをどうするか考えないといけないと思います。

 

・変形労働時間で教員の時間外勤務など負担が減れば良いのかなと思った。しかし、元々の仕事量が減らなければ、労働時間も長いままで、このような制度を導入しても、現場でのそのまま守られるかという問題はあると考える。教員の間では、過労死ラインを越えることもめずらしくないとのことなので、繁忙期以外でもやはり仕事は多いと思った。このようなことに対して人手を増やすなどの対応で負担を減らしていくことも必要かと思った。(松竹梅)
➡「過労死ラインを超える」という言い方、あまりに簡単に使われているとは思いませんか?もちろんすぐに死ぬことはなくても「過労死ライン」ですよ。異常であることに慣れてしまっているような気がしてなりません。そのうえ仕事は時間で測れますが、時間で測れない疲労というものもあります。目に見えない「責任」とか「分担」が重荷になる場合もあります。最低限「人手を増やす」これが必須です。

 

・部活動や事務仕事など、授業以外の仕事がたくさんある教員職は、非常にマルチタスクだと思う。そして、どのような仕事内容においても、季節差が生じるのは当たり前であるし、仕事内容に見合った勤務時間の割り振りは理にかなっているのかなと感じた。一つよくわからなかったのは、この様に上限を月などで帰ることによって、給与は毎月どのくらいの変化が生じるのかなという点である。残業だから、関係ないのだろうか。そもそも残業が当たり前というのは、どういうものなのだろうか。サービス残業が当たり前という風潮が色濃いと思う。(太宰治
➡給与に変更はありませんが、もし閑散期19時退勤の10時間勤務ともなれば、部活動も勤務時間内ともなれば、すべて部活動は教員の勤務ということになりかねませんね。
それから、教員は現在1日12時間以上働くことが常態化しているわけですが、8時間のところを12時間働いているのと10時間のところを12時間働いているのではかなり違うと思います。10時間になれば10時間の仕事の量が発生するものです。つまり17時に勤務時間が終了するものを19時とするわけですから、変な話「ゆとり」が発生することになります。今までできなかった会議や打ち合わせをここで入れようということになる可能性もあります。

 

・はたして根本的解決につながるのだろうか、というように思う。残業としてカウントされる時間は減るかもしれないが、教員の多忙化という問題は何が問題化と言えば、年間の労働時間というよりも、一番忙しい時期があまりに忙しすぎることなのではないかと私は考える。そもそも残業代というかたちではないので、正規の労働時間に含まれることで、給与はよくなるかもしれないが、根本的な教員の忙しさの改善にはつながらないように感じる。(マル)
➡2時間勤務時間が延びれば、その分子育てをしている人であれば保育園の延長保育を頼むことになり、新たな出費が出てきますし、介護でホームヘルパーを頼むとかデイサービスの延長をとなればこれまた費用が掛かります。基本的に8時間労働という線を簡単に崩してはいけないのですが・・・。

 

・長時間働くは嫌だなあと思う。労働時間を減らすための法律を作るだけでは不十分である気がする。人員を増やしあげてほしい。もらえるだけありがたいと思えと言われているかのようでもやもやする。教員の仕事量を減らす具体的な策を示してほしい。(ペニーレイン)
➡君の言う「もやもや」よくわかります。長時間働くのは嫌だなあという感覚は間違っていないと思います。教員なんだから子どもたちのために汗を流すのは当然だろう、という感覚はかえって子どもをいびつにすると思います。苦しい顔をして歯を食いしばって働いている先生を見ながら、子どもたちはすくすく育つと思いますか?あなたのようなゆったりした雰囲気をもっている先生、いいなあと私は思います。

 

・記事を読むと、夏休み時間等は勤務時間を短くして、学校閉庁日を設けやすくするとあるが、今の学校現場では夏休みでも部活動があったりと、なかなか閉庁日を多く設けるというのはできないのではないかと思う。もちろん教員の時間外勤務を抑制するという事が必要であると思うが、そのためには、各学校の教員数を増やしたり、一人ひとりの先生が抱えている仕事量を減らし、分担することも必要だと思う。(ルメール
➡まず、教科の持ち時間数を少なくすること。教育課程自体が過密になっていることと教員の働き方の問題をリンクさせて考えないと、右手と左手がそれぞれ勝手なことをやっているということになります。先生の数を増やすこと、本学の教育学科の教授で日本教育学会の会長の広田照幸(教育社会学)さんも、テレビのインタビューでそう言っていました。

 

・勤務の時間に関しては、ニュースなどで多く目にするが、このような変形労働時間で年管理したところで、働く時間が短くなり、教員の勤務時間を変えることはできないと思う。教員の仕事として授業がとても大切だと思うので、教材研究の時間を多くとれるように、学校全体の仕事を工夫する必要があると思う。事務的な作業をICT化するなどの考えはとても良いと思う。一般的な企業などの働き方を見てみると、10時間は長くないような気がします。(コレステロール
➡教材研究の時間が勤務時間内に取れないというのは大きな問題です。一人ひとりの持ち時間数を10時間前後まで落とすことができれば、働き方はかなり違ってくるともいます。教育公務員特例法という法律を見てみてください。教員にとって研修は義務であります。1時間の授業に最低でも2時間の教材研究が必要とすれば、今の教員の働き方がどれほどおかしなものかわかるのではないでしょうか。

 

・自分の教育実習の担当をしていただいた先生も本当にタイトすぎる生活を送っているようにみえました。7時には出勤していました。30分くらいかかるという事だったので、遅くとも6時には起きている生活です。実習生がいた影響もあるかもしれませんが、退勤の平均は21時ごろだと思います。いくらやりがいがあったとしても、からだがいつかおかしくなると思う。“根本的な問題は解決しない”公立中学の6割が過労死ラインを越えているのはさすがにひどい。(ジェイ)            
➡その先生の働き方、気の毒です。「健康で文化的な生活」とはとても言えません。「幸せな子どもは幸せな先生の背中を見て育つ」とは、私の友人の岡崎勝さんの言葉です。