11月も明日で終わり。
月並みだが、早いものである。飛ぶように過ぎていく。
一度だけ遠出をした。19日。
次兄に誘われて、Mさんと一緒に赤城山の紅葉を見に一泊で出かけた。
紅葉と云っても私は色覚異常があるので、紅葉の鮮やかさはさほど感じない。花より団子、紅葉より酒である。次兄宅泊。
友人のJさんに誘われて、月半ばに横浜市の新市庁舎私的見学会に。
教育委員会中心に執務室内部をぐるっとひとあたり、巡ってきた。部外者の私がデスクのすぐ近くを通っても誰も関心を示さない。不思議である。以前の旧庁舎ならギロッという視線が必ずあったものだが。
地上32階、地下2階。
最上階には眺望の開けた展望台があるのだろう、ゆっくりそこでお茶でも…などと考えるのはどうも今風でないらしい。
そんなものはない。ネットの説明には「みなとみらいの絶景が望める市民ラウンジは3階にあります」。3階で絶景かい?とついツッコミを入れたくなる。
1・2階は商業施設。レストラン・カフェ・ショップが並んでいる。
普通の市民が自由に入れるのはこの3階部分まで、たぶん。
何が優先されてるかって、ただただセキュリティだけという印象。
どこの案内を見ても市長室などの幹部の居所はわからない。
各部局の執務室は、無機質この上ない。かつての雑然とした雰囲気は全くなく、入館証がなければ職員だって自由には入れない。だから入り込んだ人間には警戒心がないのだ。
かつての、教育委員会の課長席を取り囲んでの団交なんて夢のまた夢。
会いたいなら身元を明らかにして「入れてくだされ」と手続き踏んで来い、ということだ。
それが今風ということなのだろう。夏に文科省を訪れた時と印象は変わらない。
「公」がそんなに閉じこもってどうする?
横浜市の新市庁舎は市民に閉じた姿勢をむかって閉じられた市政の象徴である。
21日。組合の変形労働時間制の集会。気鋭の弁護士嶋崎量さんの講演。以前に連絡をいただいたことがあったので、出かけてみることに。お会いするのは初めて。気さくな方。
ご両親がお二人とも体育教師だったとのこと。
今ならどちらかが先にやめているだろうと。
自身は卓球部。ほとんど休みのない部活動。
当時は顧問のことを熱心ないい先生だと思っていたが、いまならその働き方はおかしいときちんと言わねばと言う。
今自分がいる場所、法律家としての地点から、かつて自分がいた地点を捉え返そうとしている。新鮮だった。
呑まずに帰る。
数日後、小学校の教員をしている若い友人からのメール。
こんばんは。ご無沙汰しています。○○です。月の残業時間が80時間に届きそうです。改めてこの働き方は何の意味があるのだろう、と思ってます。なんとか変えることは出来ないのでしょうか…。
返信のメール。
80時間超えは過労死水準。今年4月から法制化された改正給特法では、在校等時間の上限月45時間(42時間)年間360時間(320時間)が厳しく定められ、管理職はこれを厳守するよう求められています。全体的な枠ぐみからすると決していい法律とは言えませんが、世の流れからすると、教員の労働時間にも「上限」が定められたことはそれなりの意味があると思います。
「在校等時間」という言い方は文科省独得の言い方で、給特法の限定4項目以外は基本的に教員には超過勤務はない、あるいはあったとしてもそれは自発的な創造的なもので超過勤務とは概念を異にするという考えによるものです。
しかし、厚労省はじめ働き方改革の流れからすれば、この在校等時間も勤務時間管理の対象として、鋭意把握に努めるのが管理職の職務ということになっています。文科省もこれは認めざるを得ませんでした。
そうした昨年からの流れが、学校のなかではリアリティのあるものとして捉えられていないことに私はちょっとイラっとします。
「しょうがないよね、仕事はあるんだから」「この仕事だけはどうしてもやっておかなければ」という一般教員の「情緒的感覚的な判断」(こんな言い方をすると怒られるかもしれませんが)とそれを管理把握しなければならない管理職の判断は基本的に違うものでなければならないのに、現場では管理職までもが「しょうがないよね」と言ってしまうところがあります。
具体的にどこをどう減らせば、超過勤務をせめて上限時間内に入れられるのか。そのへんを本気でやらないと、いずれ誰かが犠牲になるでしょう。本来なら労働組合が機能しなければならないところですが、横浜では(横浜だけではないありませんが)かなり難しいですね。
そうなると一人でやらねばならない、ですよね。あなたはそれなりに自分でやってきていると思いますが、80時間超は自分や家族を犠牲にするデッドラインです。ことが起きて労災に頼るのではなく、今を変えていくことです。
方法はいくつもありますが、どれも手間と時間がかかります。いちばん簡単なのは自分で仕事の優先順位をつけて無理なものはやらない、とすることです。次に簡単な方法は、校長に対して「普通に仕事してこんな違法状態となっていることをどう考えているのか。あなたが改善しようとしないのなら法的措置を取ります」と伝えること。
ここでいう法的措置とは地方公務員法46条の「措置要求」制度のことです。勤務条件の変更を個人が求める際に使える方法です。
要求書を一枚書くだけです。書き方などは私が見てあげられます。あなたの状況と要求を書いて市の人事委員会に提出します。人事委員会はそれ相応の調査をして審査します。時には両者の意見を聴きながら最終的には「判定」を出します。
ただその前に、措置要求を出した時点で市教委が知るところとなり、校長は指導を受けるでしょう。そうすればあなたの働き方に対し校長は何らかの対応を迫られます。きちんと対応を取るから「措置要求」は取り下げてほしい、ということになるのではないでしょうか。同じ職場の中でこうしたかたちでのやり取りは、校長にとっては格好悪いことこの上ないからです。
これはある意味正攻法ですが(と私は思っています(笑))、こうしたまっとうな形で抵抗を試みたとしても、行政から「目をつけられる」ことは避けられません。昇進にも影響があるかもしれません。周りから冷たい目で見られるかもしれません。でもそれら含めてリスクを承知の上でやるのが「闘い」です。
お話はいつでもお聞きします。遠慮なく声をかけてください。
26日、都筑区のクリニックで大腸の精密検査をする。
朝から朝刊戦場・・・ではない、腸管洗浄にいそしむ。
3時間ほどをかけて洗浄剤とお茶を飲み続ける。けっこうなストレス。
結果?が出るまで2㍑以上の水分を摂取。初体験。
ひとりで電車で行くつもりだったのだが、あまりの疲弊ぶりに(笑)Mさん、クルマで連れていってくれるという。
予定時間の30分前、10時30分に到着。予定時間30分すぎて中に呼ばれる。検査着に着替えてまた15分。検査室のベッドの上で20分。
待ち時間が長引けば長引くほど、期待(?)は膨らむ。
検査が始まってみると、驚くべきことに終了まで何の痛痒も感じなかった。予想を裏切られる。
点滴が入り、そこから若干の鎮静剤が入ったようだが、意識は清明。大きなディスプレイを見ながら説明するドクター。手元は細かな動き。声を聴きながら、同じディスプレイの画像をみながらこちらも受け答えをする。
「これがポリープですね。取りますよ」
スプーンを二つ合わせたような危惧が入ってきて、小さな突起をはさむ。瞬間、出血する。しかし痛みは感じない。
同じような経験をしたことがある。膝の半月板除去手術をしたときと同じ光景だ。
やはりスプーンを合わせたような器具で白いふわふわしたもの、半月板をかきとっていた。あの時は数日の入院。
「ここにもありますね。取りますよ」
結局4つのポリープを切除。
「これって、どうしてできるんですか?」
「遺伝ですね」
酒のせいではないらしい。
「終了です」。
医院の検査の説明のパンフレットに「検査は快適に受けられます」とあったが、私は眉唾で受け止めていた。しかし看板に偽りなし。技術の進歩か、ドクターの手技のレベルの高さか。どちらもあるのだろう。
30分後、診察室にてドクターから
「とったものはすべて生検(病理検査)にだしますが、たぶん問題はないと思います。検査は年に1度か2年に1度はやった方がいいと思います」
まあ、そうだろうなあ、そうに違いないだろうなあとは思うけれど。
去年の5月からもうこれで7回目の内視鏡検査。胃と大腸、上部消化器官、下部消化器官。
66歳まで一度もやったことがなかった。出来ればやらずに人生終えられればと思っていた。
まさかこんな頻度で頻繁にやることになるとは思ってもみなかった。
医院を出たのは14時半過ぎ。4時間の滞在。空腹である。気分は少し軽い。
なんだかこってりしたものが食べたくなり、つきみ野の壱鵠堂へ。味噌ベースの野菜ラーメンを注文。
5年ぶり。こんなにこってりしていたか。重すぎる。以前はそんなことは思わなかったのに。いつのまにか馬齢を重ねていたのだ、あたりまえだけど。
こうして11月も終わっていく。
映画はまたこの次に。