月曜日。
朝、起床するのはいつも4時ごろ(笑)。この時期、起きてすぐ温度計を見る。室内は昨日が14.9℃、今日は16.0℃。予報では夜半から雨。
カーテンを引いて、テラスのガラス戸を少し開けてみるとかすかな雨音。暁闇は湿気を含んでいて冬の厳格さが感じられない。外の温度計は4℃。昨日より2℃高い。
一昨日は、小学校からの友人Hさんの転居のお祝いに千葉の検見川浜まで。清瀬に住む高校時代の友人Mさんもいっしょだ。
10時前に家を出る。快晴だが風が冷たく、電車の中は足もとが寒かった。
最寄りの(と言っても歩いて20分、バスで8分ほどもかかるが)南町田駅から東急田園都市線。ほとんどが渋谷に向かう電車。大井町線に入る電車は少なく、とりわけ数少ない急行に乗り終点大井町まで。渋谷を通って永田町から有楽町線、JR京葉線に乗り継いだ方が運賃は安そうだが、都内の地下鉄に乗るのがなんとなく億劫で、今日は大井町からりんかい線(正式には東京臨海高速鉄道りんかい線というのだそうだ)に乗り換えて新木場へ向かうことに。
りんかい線は初めて。第三セクターの会社線。新木場まですべて地下を走る。東京湾の埋め立て地の下を通っているのだなという感じだが、あっているのかどうか。
新木場で地上へ。真っ青な冬空。ホームから森が見える。夢の島の一部。熱帯植物園のドームも。奥の方に、ホームからは見えないが、何度も訪れた第五福竜丸展示館がある。ここまでで1時間45分ほど。検見川浜までは20分ほど。
友人の新居は8階。東南向きに公園があり、日当たりがよく、開放的。室内はアジアンテイスト。陶磁器の骨董品が現代風の家具によく合っている。センスがいいなと思う。
いつものように3人で昼から呑み始める。話題が途切れることはない。途中、北海道と郡山の友人に電話。小さな同窓会。
夜のとばりが降りてけっこうな時間が経った頃、往路よりかなり時間がかかって、ほうほうの体で自宅着。小旅行のような一日。
ふたご座流星群のことは忘れていた。
前日の14日。赤穂浪士の吉良邸討ち入りの日。旧友のIさん夫妻との年に2,3度の4人の会。いつもは居酒屋なのだが、この日はおもいたって、20代の頃、職場の近くのよく通った中華料理屋で待ち合わせ。
マンション近くのバス停から25分ほど、教員になった初めての職場の至近に、お店はある。数えてみれば32年ぶりの来訪。オヤジさんももうかなりの歳のはず。
赤いのれんをくぐって店内に入る。客のいないテーブルにポツンと1人坐って、何やら書類をのぞいているオヤジさんが一人。あんのじょう、こちらが名乗ってもわからない。仕方ない。32年も経っている。
厨房から奥さんが出てきて、「その声は○○さん?」すごい記憶力だ。まれにこういう方がいる。
痩せて動きがゆっくりになったオヤジさんに比べて、奥さんは昔のままの印象。聞けばオヤジさんは来年80歳だという。昔は「車だん吉」に似て豪快な人だった。
みていた書類は、免許証を書き替えの時に受けた認知症の検査結果だという。もう一度受けなおさないと更新ができない、勉強しないとと云う。
昭和の”雰囲気を残した”なんていわれるのかな。
ここに店を開いたのは45年前。
私たちが通ったのは、42年前からの10年間ほど。オヤジさんはまだ40代。大きなおなかで豪放磊落という言葉がぴったりだった。
”あの頃は出前も多くて、二階でよく宴会もやっていたよ”
安くやってくれるのでよく通った。今、蕎麦屋にしろ中華屋にしろ街中で出前を見なくなった。
”わたしはね、酒、呑まないけど、カラオケが好きでねえ、よく歌いに行った。それと松原商店街の魚屋に1年間修業で通ったことがあったから、うちは中華屋だけどほら宴会でもよく刺身も出したよね。”
憶えている。8畳ぐらいの座敷に14,5人が入った。8トラックのカラオケが出始めたころ。宴会の雰囲気も今とはずいぶん違うものだった。
”出前はもう20年前にやめちゃったよ。コンビニは出来るし、このへんファミレスが多いし”
そうですね。ずい分増えましたね。ファミレスは値段も安いから。
”いや、安いけど、材料見たらひどいもんだよ”
オヤジさんのところはもちろん美味しかったけど、盛りも良かったからね、よく食べました。
”今は、若い人、あんまり食べなくなったねえ。お酒を呑む人も少なくなったし。こんな調子だし、そろそろ店じまいかなあと思っているんだけど”
そんなこと言わないで下さいよ。
そうか、若者か。私たち二人も若かった。
100%加入組合の浜教組(日教組)から脱退したのが、1977年。教員になって2年目。Iさんと二人でできたばかりの新しい独立系の少数組合に加入した。
主任制闘争の頃のこと。80人近い職場で新人教員同様の2人が大きな組合をやめた。
職場の中ですってんてんに浮いた。嫌がらせもずいぶん受けた。教員の底意地の悪さを感じたのはこの時だ。
それでも完全に孤立はしなかった。遠くから見ていてそっとカンパを渡してくれる教員が何人もいた。無謀な若者への同情もあっただろう。
出世をするには浜教組加入は必須という時代。若いうちから出世をあきらめてどうすると、脱退を止めてくれたのが校長だったという笑えない話もあった。
その組合も、昨年結成40周年を迎えた。
”もう クルマやめてくださいって云ってるんだけどねえ”と奥さん。
オヤジさんはアルバムを出してきて娘さんや友達、親戚の人の話。釣りや盆栽の写真もある。うれしそうだ。
いつも、お店何時に閉めるんですか?
”早いよ、7時半だな”
最後の宴会はたしか1986年、あれは送別会だったか。お開きはいつも10時を過ぎていた。10年過ごした職場には気心の知れた仲間もたくさんいた。
お燗をつけたお酒を呑みたかったのだが、お酒はもうやっていないという。ビールと焼酎だけ。う~ん。
モヤシ炒め、かに玉、酢豚などを注文するが、手早く作って出てくる。オヤジさんの腕は落ちていない。
サービスだよと奥さんがいろいろ出してくれる。オヤジさんも、
”この間釣ってきたマスがあるけど食べるかい?”
立派なから揚げのマスが皿に盛られて4人前。
ありがたいが、こっちもいい歳、食べきれない。
また来ますと言って7時半になる前に暇乞い。奥さんの明るい声に送り出されてお店の外へ。ぶるっと胴震いを一つ。
ちょっと寂しくもある、でもどこかあったかい会食だった。
自宅までは国道16号を走るバス1本。Iさん夫妻は道を隔てた向こう側のバス停。上りは本数が多い。私たちは下り方面。二人がバスの窓から手を振ってくれる。次に会うのはいつになるか。バスは15分ほども待ってやってきた。冷え込んでいる。
暖房のきいているバスを降りると、冷気が押し寄せる。
ポケットに手を突っ込んで、とぼとぼと二人で帰宅。
ふたご座流星群のことを思い出したのは、帰宅してからだった。
ネットからの借りものです。