町田総合高校の先生に:「生徒は明らかにあなたの人間性、教員として積み重ねてきたキャリア、まっとうな市民としての立場を平気で踏みにじるような発言をした。あなたの反撃に理由はたしかにある。多くの批判を甘んじて受けながら後悔と罪悪感に苛まれても、侮辱に対して抗った自分だけは保っておいていほしい」。

 都立町田総合高校での教員による生徒への暴力の報道が波紋を呼んでいる。

 

 当初、生徒への殴打と「ふざけんじゃねえよ、誰に言ってるんだ」という教員の言葉がフレームアップされて報道されたが、その後、被害生徒のグループのひとりが「ツイッターで炎上させよう」という目的で隠れて撮影、当該生徒がそのことを知っていて教員を激しく挑発していたことが判明、マスコミの受け止め方に変化が出てきた。

 

 SNSでは当該生徒による「何様のつもりだ?」「病気じゃねえか」「小さい脳みそでよく考えろよ」といった教員に対する発言がカットされていたことが判明。

 

 タレントや識者の反応は「何があっても暴力はいけない。しかし、生徒の態度にも問題があった。処罰するなら両方ともすべき」といったものが主流になりつつある。
 私は、事件そのものよりこうした反応に違和感を覚える。

 

 

 傍からなら何とでも言える、と思う。

 

 

 私が現場にいたころ、こうした暴力のトラブルは、荒れていると言われている中学校であれば、むしろ日常茶飯事であった。つい最近でも同様の話を聞くことがある。

 

 SNSがなかったころ、生徒は録画などしなかった。だから生徒側の暴言がどれだけひどいものでもいつしか「言った言わない」に終始し、焦点は手を出したかどうかに集まり、ちょっと教員の手が当たっただけでも鬼の首を取ったように「教員が手を出した」として親も子も学校側を批判した。

 

 

 70年代までは、教員は平気で生徒を殴っていたし、親も子どもを殴っていた。いや殴らずとも「言うことをきかないときはガツンとやってください」などと言っていた。教員は処分されることもなかったから、生徒を叩くことにそれほど罪悪感を感じていなかった。私は、むやみに生徒を叩く教員には強く反発したが、では私が生徒を叩かなかったかといえば、そんなことはなかった。

 

 

 80年代初めの<荒れる中学校>を経て、教員は生徒を叩かなくなっていく。いや叩けなくなっていくと言った方が正確かもしれない。

 学校は特別な場所ではなくなり、教員の権威は堕ちていく。教員はただの時代遅れのおっさんおばさんになっていった。

 世の中はバブル以前の高度消費社会の入り口に立ったころだ。地道な努力がいつか実を結ぶといった学校の「物語」がリアリティーを失っていく時期だ。
 

 それでも学校は閉店休業するわけにはいかない。
 

 そのころの学校では「暴力はいけない」というテーゼは、近代的な人権意識に基づいた人道主義的なものではく、一つのノウハウとしてあった。

 「興奮状態の生徒に教員が手を出せば、問題をこじらせるばかりだ。あとあと親も含めてきちんと指導するためにはこちらからは決して手を出さないことだ」という暗黙の了解が先んじていた。
 

 罵詈雑言という言葉があるが、生徒の「暴言」をそんなふうにまとめられては立つ瀬がない、というのが教員の側の実感だった。体力的に勝っている教員や生徒にうまくとりいる教員ならいざ知らず、ごく普通の非力な教員、女性教員に対するヘイト発言には、それほどすさまじいものがあった。


 暴言嫌暴力にどれほど傷ついたとしても、こちらから手を出せば先が見えなくなる。手を出さないどころか殴られても反撃をせず、言葉で生徒に対峙しようとする教員が多かった。

 長い間、私は学年職員のリーダーを務めたが、最も意を砕いたのは、学年チームが互いに支え合う気持ちのつながりが切れてしまわないようにすることだった。

 その一つの手立てのとして、暴力に対しては原則警察対応、暴言に対してはその内容を細大漏らさず記録してもらい、それを親に正確に伝える役割を担った。
 

 それは防御ではなく「攻め」であると、当時私は考えていた。

 

 90年代に入ると、「荒れ」は徐々に沈静化し、それと同時に処分行政が徹底し始め、校長は官僚化し、身内の教員をかばうことをしなくなっていく。

 

 管理職の関心は常に保護者の動向に向けられ、保護者のクレームに対して恐々として、事情を省みず坊主懺悔の謝罪をするようになる。

 

 訴訟保険が管理職だけでなく、一般教員にも加入が勧められていく00年代には、事案の前後の脈絡が忖度されることはなくなり、体罰はどの程度であれ処分の対象であり、「あってはならないもの」になっていく。
 

 10年代前後から、生徒に対し「怒鳴らない」「大声を上げない」ことが推奨されるようになっている。教員が威圧的に生徒に対するのは指導力がないからだといわれるようになった。
 

 変われば変わるものである。坊主の説教ではあるまいに、成長過程の子ども集団を静かに教えさとすことでいうことをきかせられる教員がどれだけいるだろうか。長年教員をやってきたが、私にそんな力はない。


 管理職は言う。だから口だけ動かしていてはだめ、からだをうごかせ、と。

 

 つまりは手厚いサービスである。

 痒いところに手が届くサービスを学校は手掛け始める。

 

 学校のコンビニ化と言ったことがあるが、それは多岐にわたるサービスを24時間提供するという意味でもある。常に強盗やクレームに対処するノウハウ準備しているという点で、敬意をこめて言っている。


 生徒が登校して来なければ電話を掛けるのは当たり前。時には寝ているのを起こしに生徒の家まで行く。忘れ物があれば届け、欠席生徒には事細かく次の日の連絡を入れる。何か困っていることはないかとアンテナを常に高く掲げ、受容と共感のカウンセリングマインドが最上のものとして崇められる。

 

 通信簿に欠点や問題点を記すことは指導の不十分さを露呈することであり、何より生徒の心を傷つけること。いいところを見つけてほめてあげる事が人を育てる要諦と教えられる。

 「学校は何もしてくれない」が保護者のクレームの最後の切り札。何を云ってもこれが出れば、ゲームセット。ひたすらに報われないサービスにサービスを重ねることがトラブルを防ぐ最大の方策、究極の事なかれ主義と友達親子ならぬ友達子弟が学校の中を闊歩するようになった。
 

 こうした空気が流れる日常に、わずかに亀裂が走ったのが今回の事件である。今回もこの教員には処分が出されるはずだ。「減刑」嘆願はあるだろうが、行政の一罰百戒の姿勢は動かないだろう。

 

 問題は、当該生徒に対する対応だ。もちろん「ツイッターで炎上させよう」と発言した生徒、録画した生徒、同調して拡散に励んだ生徒、これらに対してどのような指導が可能か、さらに高校生であるのだからどのような処分が可能か。

 またまた第三者委員会の設置だろうか。毎日顔を合わせる教員、生徒たち。どのような解決策が出されるのだろうか。

 

 呑み屋の教育談義やワイドショーでのおしゃべりならば、始めは「教員は何をやっているんだ!」という論調から、前後の脈絡が明らかになってくると、

「だいたいが生徒が図に乗っているんだよ。うちの息子もそうだけど、大人を大人と  思っていないんだ」

「高い金払ってもたせているスマホをどんだけ悪用しているのか」

「あの言い方は何だ?教員に対する最低限の礼儀というものがなっていない」

「でも先生もあそこでキレちゃだめだな」

「50代だろう?もう少し分別もたなきゃ」。

そして

「どっちもどっちじゃないの?とにかく今の夜中、暴力はダメ!手を出しちゃいけないの!すみません!お銚子二本ください!」

 「暴力は絶対にいけない」。間違ってはいないのだろう。

 しかし生々しい暴力の近くにいる駅員やコンビニのスタッフや教員にとっては、「暴力は絶対にいけない」という言葉は神社のお札ほどにも役に立たない。「ほんとうにそう思っているのなら身をもって止めに入ってくれ。そうしないのであれば、せめて当事者への謙虚な想像力をもってほしい。


 暴言にしろ暴力にしろそのすさまじいエネルギーに対抗するには、それなりのノウハウと思考が必要なのだ。そういうことに思いの至らない急ごしらえの人権主義者の言葉など現場では何の役にも立たないということだ。
 

 あなたは、この暴力をふるってしまった教員にどのような言葉をかけるだろうか。

「生徒は明らかにあなたの人間性、教員として積み重ねてきたキャリア、まっとうな市民としての立場を平気で踏みにじるような発言をした。あなたの反撃に理由はたしかにある。多くの批判を甘んじて受けながら後悔と罪悪感に苛まれても、侮辱に対して抗った自分だけは保っておいていほしい」。