『ベートヴェン捏造~名プロデューサーは嘘をつく』あたかもこれをミステリーのように、読者とともに19世紀のウイーンの街を歩いて謎解きをしているかのように、臨場感と説得力をもって読ませてくれる。それでいて語り口は重苦しいどころかとにかく軽快かつ明快なのだ。

 『ベートヴェン捏造~名プロデューサーは嘘をつく』(かげはら史帆・柏書房・2018年・1700円+税)
 11月に読んだ本の中で最も強烈な印象の本。著者は1982年生まれ。これが初めての単著なのだとか。そんなことを全く感じさせない、かなりの練達の書き手といった印象。


 私たちが慣れ親しんできたベートーヴェンをめぐる言説の多くは、実はベート-ヴェン死後、「楽聖ベートーヴェンをつくりあげるためにかなり意図的につくられたものだと言われている。

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 1977年、ベートーヴェン死後150年のアニヴァーサリー・イヤーのこの年、4月6日付けのワシントンポストは、「研究者ら、ベートーヴェンのノートは「ねつ造」かどうかをめぐって論戦となる」と報じた。この「論戦」の舞台となったのは、東ベルリンで開催された「国際ベートーヴェン学会」。東ドイツが国家の威信をかけて開催された学会の中で、小さな研究グループの発表が激震の震源となったという。

ここからこの「物語」は始まる。

  
 たとえば5番の交響曲の冒頭の「ジャジャジャジャーン」を「運命が扉をたたく」とベートーヴェンが言ったとする説も、今では事実ではないというのが通説だ。
 しかしながら長年、この交響曲は「運命」と呼ばれてきた。その根拠は、晩年ベートーヴェンの秘書役を務めたアントン・シンドラーという人物が、ベートーヴェンに「冒頭の4つの音は何を表すのか」と尋ねたところ、「このように運命は扉をたたく」と答えたという史実を根拠としている。


 後年のベートーヴェンは耳疾がかなり悪化し、発声はするが聴こえないという状況にあり、会話を成立させるために「会話帳」なるノートを用意していた。このノート、200冊近く残っていたとされるが、ほとんどはシンドラーがもっていたもの。シンドラーは、いつでも好きなようにこのノートを改ざんすることができた。

 

 何のために?これがこの本の根幹だ。内容的には研究書と云ってもいいほどのものなのだが、それを著者は、あたかもこれをミステリーのように、読者とともに19世紀のウイーンの街を歩いて謎解きをしているかのように、臨場感と説得力をもって読ませてくれる。それでいて語り口は重苦しいどころかとにかく軽快かつ明快なのだ。


 巻末に示される膨大な資料を渉猟するだけでも大変な作業なのに、「読ませるもの」に仕立て上げる力量はタダ者ではないと思う。すごい書き手が現れたものだ。読後に残るシンドラーの悲哀がまたいい。

『反音楽史-さらばベートーヴェン』(石井宏・新潮社・2004年)と併せて読むと面白いかもしれない。


 長年、5番を「運命」と呼ぶことに違和感があった。第4楽章まで数えきれないほど聴いたが、聴き終わったあとの気分は「ようし、元気が出たぞ!」なのだ。たぶん、同じような高揚感をもって聴く人が圧倒的に多いはずだ。これは、気分がちょっと落ち込んだ時に励ましてくれる音楽なのだ。シンドラーの奴め、ちゃんと最後まで聴いたのか?

 

この本、まだあまり話題にならないけど、そのうちに・・・・。