10月18日、月半ばの木曜日、夕方、月に一度の通院。藤沢まで行く予定。通院だけの一日にはしたくない。予定を立てる。
午前中、田園都市線あざみ野駅から地下鉄グリーンラインで阪東橋。若葉町のジャック&べティで映画を見る。横浜に戻って相鉄で大和へ。下車して駅至近の大和市図書館シリウスで雑誌を渉猟。2時間ほどいて小田急で藤沢のクリニックへ、といういびつな一筆書きのような予定。
途中どこかで昼食・・・と言って重いものはだめ。なるべ軽いものにしないと、グルコースが大きく反応してしまう。何のための通院かということになってしまう。
はてお昼は何にするかと考えながらジャック&べティに11時前に到着。本日の映画は『止められるか、俺たちを』(2018年・日本・119分・監督白石和彌・井浦新・門脇麦)。上映はベティ。11時05分開始。
窓口で「止められるか、おねがいします、シニアです」。1100円を払う。整理券は16番。
ジャックでは『ご主人様と呼ばせてください~私の奴隷になりなさい 第2章』の上映。チケットを買う時、これは少し恥ずかしい。まさかタイトル全部を声には出せない。知らない人が聞いていたらびっくりしてしまう。
自分なら「ご主人様、一枚、シニアです」と低い声で。くれぐれも「ご主人さまぁ」と呼び掛けにならないようにだけ気をつける。“女王さまぁ”でないからまだいいのかもしれないが(笑)。
『私の奴隷になりなさい』シリーズ、壇蜜を輩出した映画、人気が高いらしく「止められるか」より待っている人が多い。
ドアの前に他の人たちとたむろする。10分ほどたって前の演目が終了。何の映画だったのか分からないが、見終わった客はぽつぽつと1人ずつ出てくる。そのたびにたむろしている人たちと目があう。なんだか不思議な空気。
ジャック&ベティ
ベティは座席の近くにトイレの扉がある。今どきの映画館としては珍しいつくり。小さかったころ、私の町には映画館が3つあったが、売店もトイレもみな座席後方にあった。
いざという時のためにその扉のすぐ近くに座席を確保する。
いつものようにバッグの中を手でさぐる。スマホの電源を切るためだ。が、なかなか見つからない。ポケットの多いバッグ。あちこちまさぐるのだが見つからない。そんなはずは…あんなもの落とせば音で気がつくはず。どこか別のところに入れたのか…いや、やっぱりない。「エー!落としちゃったのか?」。メンドー、トラブル、メンドー、トラブルという心の声。
スクリーンには予告編が流れている。どこで落とした?最後に使ったのは?電車の中だ。近所の友人から送られてきた喜寿のお祝いのレストランの写真、「これってもしかしたら”うかい亭”ではありませんか?」と返信したら、そうだという。当たっていたので気をよくして再返信をしたのが最後。あの時…だ。
ついこの間、電車の中でスマホをストンと落としたことを思い出す。このバッグ、いちばん外側がチャック付きのポケット。ここにスマホを入れる。もう一つ内側にポケットがあるのだが、その間に「底がないポケット」がある。つれあいに言わせると、キャリーバッグのアーム部分に通してバッグを乗せるものじゃないかなと。そのために「底がない」のだという。
ということは、電車の中で落とした可能性が高い。立ち上がったときにするっと落ちて、周りの騒音で気がつかなかったのか。拾った人が駅の窓口に届けてくれているかもしれない、駅に電話を入れれば…。
考えているうちにも時間は過ぎていく。スクリーンでは予告編が終わり、映画泥棒の画面でカメラを頭にかぶった人がダンスをしている。
今から駅に戻るか、それとも見てから戻るか。トラブルの場合、初動が大事が常識。遅れれば遅れるほど事態が込み入ってくる…なんて考えるが、始まろうとしている映画をやめてまで出ていく勇気?は私にはない。なんつったって若松孝二だぞ。2時間経って行けばいい。遅れていく勇気?何とかなるさと普段の自分には、らしくない判断をする。
そうは言っても、アタマの片隅にスマホが何度も浮かぶ。蹴散らしながら映画に没頭する。この映画、10月13日の封切り、まだ1週間も経っていない。
2012年に逝去した若松孝二監督が代表を務めていた若松プロダクションが、若松監督の死から6年ぶりに再始動して製作した一作。1969年を時代背景に、何者かになることを夢みて若松プロダクションの門を叩いた少女・吉積めぐみの目を通し、若松孝二ら映画人たちが駆け抜けた時代や彼らの生き様を描いた。門脇むぎが主人公となる助監督の吉積めぐみを演じ、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」「11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち」など若松監督作に出演してきた井浦新が、若き日の若松孝二役を務めた。そのほか、山本浩司が演じる足立正生、岡部尚が演じる沖島勲など、若松プロのメンバーである実在の映画人たちが多数登場する。(以下略)
“映画.com”から
スマホを落として動転していたせいではなく、この映画、私はあまり集中できなかった。60年代後半から70年代にかけての世相や考証はわかるのだが、全体に突っ込み不足というか。若松孝二(井浦新)を描くのか、若松を取り囲む群像のひとりとして助監督の吉積めぐみ(門脇麦)を描くのか、やや焦点がぼけていると思った。
とは言え、門脇麦が演じるめぐみはよかった。21歳で助監督を志望して若松プロに入り、ピンク映画の助監督から自分の監督作品も手掛け、23歳で謎の死を遂げた女性。映画の中では自死のように描かれているが、もっともっとこのめぐみという女性を中心に据えて、そのバックグランドや若松への傾倒、助監督としての成長や交友関係を丹念に描いてほしかった。
白石監督はじめこの映画をつくっている人たちが、この“めぐみ”という人を間近で見ていたぶん、「物語」の中心にはならなかったのか。監督は“めぐみ”が主人公の青春劇とインタビューで語っているが、今一つそうはなっていなかったと思う。
たとえそうであったにしても門脇麦はよかった。「映画は好きだけど、撮りたいもんなんてないんだよ」というめぐみのセリフ、若者の空虚さと歯止めの利かないところを門脇が好演している。
右も左もエロも政治も撮ろうとする雑食の、腹をすかせた獰猛な動物のような若松も、どこかで“めぐみ”を気にかけている。しかし、空洞の?めぐみに対しては、容赦ない。近くにいた人間にしかわからないところであると思った。
一方その若松孝二だが、粗野でケチでせこいが、映画をつくることにかけてはすさまじい才能と情熱を発する。そんな若松を、ともに仕事をしてきた井浦新が演じているのだが、正直、私は成功はしていないと思った。
若松の口癖や声の発し方など物まねが浮いてしまっているのだ。井浦の良さも消えて、下手な物まね演技にしか見えなかった。ミスキャストではないだろうか。
白石和彌監督は、今年役所広司と松坂桃李で『虎狼の血』という傑作やくざ映画を生みだしている。これからたぶん日本の映画を牽引していく人なのだろう。そんな才能豊かな人でさえ、自分が生きてきた“内幕”を描くのは、思い入れが邪魔をして難しいのだろう。
当時の政治セクトや集会,デモ、赤軍、パレスチナ、重信房子氏などの描き方は、少し雑ではないかと思った。全共闘や当時の世辞の季節を懐旧する観客だけでなく、若い世代に若松孝二のすさまじさとある意味の普遍性を見ようとするなら、もっと丁寧に描いてほしいと思った。
ジャック&ベティを出たのは13時過ぎ。まっすぐ阪東橋駅へ。小心者ゆえ足がせくのを止められない。止められるか、おれを?
駅員におそるおそる「スマホの落し物は?」と尋ねる。いろいろと特徴を訊かれる。色は、会社は、待ち受けは?それをメモしてどこかに電話。間もなく「ああそうですか?」と少し高調子に。もしかしてあったのでは。そして「あなたラインやってますか?中川さんという方、お知り合いですか?」中川さんならよく知っている。今朝もメールがあった。「ああそうですか。たぶん間違いないですね。隣の隣の蒔田駅に届いているそうです。これから行ってみてください」。
お礼を言って蒔田駅へ向かう。暗雲はすっきりと晴れ、動きに余裕が出来る。10分後、2時間半ほどの間、行方が知れなかったスマホは我が手に戻った。どなたか拾って届けてくださったのだ。ありがとうございましたと云って蒔田駅事務室を出る。届けてくれた方にお礼を言いたいと思うのだが、名前を言わずに立ち去ったとのこと。感謝、感謝である。
いびつな一筆書きはあきらめ、蒔田駅からそのまま地下鉄で終点湘南台駅へ。そういえばお昼を食べていなかった。軽いもの、蕎麦ぐらいしかない。小田急線名物の箱根蕎麦に入る。藤沢まではここから快速急行で10分もかからない。診察時間まで1時間半もある。ゆっくりゆっくりかみしめるようにそばを手繰った。
らい