つれあいが「ほら、こんなだよ、Mさんのうち」」と云う。
スマホに写っているのは高槻に住むMさんの家の屋根の修繕の様子を写した写真、フェイスブックにMさんが載せたようだ。この夏から秋にかけて関西は2度の豪雨と台風の襲来で痛めつけられた。
10月の初めに、以前お世話になった方の病気見舞いに大阪へ日帰りで出掛けた。
京都線(東海道線)で茨城に向かう道すがら、車窓から屋根にブルーシートのかかる家を何軒も見た。屋根が壊れた家が多く修繕が間に合わない、業者はてんてこ舞いとのこと。見積もりを取ると業者によって倍も開きがあることがあるという。
Mさんの友人の話によると高槻市だけで屋根の被害が2万軒だそうで、これらの修復に一年はかかると言われているそうだ。
もう豪雨も台風も報道はされないが、被害を受けた方たちはボディブローを食らったように立ち直れないでいる。
福島・喜多方に住む五十嵐進さんから、同人誌『駱駝の瘤』16号と俳句同人誌『らん』83号を送っていただいた。前者は3・11を契機としての創刊だから7年、年に2~3回の発行。後者は季刊で20年以上も続く老舗の結社の機関誌である。
五十嵐さんは、この二つの雑誌で、ご自分の作品のほかに編集も手掛け、さらに「農を続けながら・・・フクシマにて」という同じ表題での連載を続けている。二つとも毎号、読みごたえがある。前者は16回目、後者は29回目となる。
実はもうひとつ連載があった。私が所属する横浜学校労働者組合の機関紙「月刊横校労」(当時、現在は隔月刊)でも「喜多方から~農を続けながらフクシマを生きる」と題して連載をしていただいた。こちらは2011年からあしかけ4年にわたっての連載で25回を数えた(掲載された文章を中心に2014年に『雪を耕す』(影書房)が刊行されている。また、連載25回分を合本とした冊子も発行されている)。
五十嵐さんが3つもの詩誌でフクシマをめぐる連載を続けたこと、続けていること、その端緒となる文章を『駱駝の瘤』から少し引いてみる。
・・・私は会津・喜多方に住み、昨年社会的な職も人並みに勤め上げて、今は土を耕している。父祖伝来の土である。この土が㋂11日の福島第一原子力発電所の水素爆発により吐き出された放射性物質によって汚染の土と化してしまった。100㌔離れた地点とはいえ、爆発前にはなかった放射線の数値が毎日検知されている。0.15マイクロシーベルト/h前後の数値である。高い数値の土地に比べれば低い数値かもしれないが、それは相対的な問題である。爆発前の数値0.03くらいからすると5倍、と思えば安心してはいられない。まず子どもや孫に送っていた土地の産物は送ることはできない。小さい子どもに遊びに来い、とは言えなくなってしまった。芋掘りをさせよう、とうもろこしを畑からとってきて、七輪で焼いて醤油を塗って食べさせよう、畑から西瓜をとってきて小さな手で包丁を持たせて切らせよう。その歓声を、笑顔を見られない。何年か後に死ぬ、死ぬまでの生涯のささやかな楽しみを奪われてしまった。近くでキャンプ生活も計画していた。それももうできない。一瞬にして奪われてしまった一人の男の無念さ。それで済んでいる、と言われればそうである。故郷を追放された人たちさえいるのだ。そう思いつつも、今ある自分から考えるしかない。土を起こし、畝をつくりながら考える。耕して放射性物質を鋤き込んでしまっていいのか迷いつつ。・・・
(「いや、うちの孫、将来お嫁さんをもらうときに福島の人はもらえないなあ」という発言に)いまだけの鎮静を求める政治屋には10年先、20年先に起こるだろうこういう福島人差別は全く見えないだろう。広島・長崎に起こったと同じ新たな被曝者差別がきっと出てくるだろう。悲惨なことだ。これはそんな先の話ではない。もうすでに福島県の男性と結婚しようとした女性の親が福島に住むことになるならこの結婚には反対だと言って事態が膠着しているという事実がある。小さくは、福島ナンバーへの理不尽な差別をはじめ、日本人はやるのだ、こういう闘うべき相手の錯誤の中でおろかに同士討ちする卑小さの露呈を。・・・
ここ喜多方においては、すでに肉牛のえさに使った稲藁の放射性セシウム汚染が明らかになっている。みな寡黙ながらこの放射能の影響が農作物に、特に米どころとして米にどれだけの影響が出るか、不安な思いで作物と向かい合う日々が続く。
今回五十嵐さんは「らん」のほうで、モニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム、空間線量を測る装置)撤去をめぐる福島の動きを報告している。
原子力規制庁が原発事故で避難指示が出た12市町村以外の約2400台のモニタリングポストを2020年度末までに撤去する方針を出していることをめぐって、福島は揺れている。
県内59町村にモニタリングポストが設置されていて、4割超の23市町村が「反対」、3町村が「賛成」、23市町村が「どちらとも言えない」6町村が「住民の意見を聞いて判断する」と、それぞれ方針が分かれているという。
五十嵐さんの住む喜多方市では、7月半ばに「リアルタイム線量測定システムの配置の見直しに関する住民説明会」が開かれ、100人の住民が集まったという。
この中で出された意見を五十嵐さんがまとめているので、少し紹介したい。
飯舘村のモニタリングポスト。後ろは汚染土。2016年。山本晋さん撮影。
・「原子力規制委員会、原子力規制庁とは何をする機関ですか」という質問。五十嵐さ ん、議論のスタートとしていい質問だと。
・モニタリングポスト撤去前提の話し合いというのはおかしい。
・「線量が低い」「線量が安定的に推移している」(主催者側の説明)というが廃炉まで何があるかわからない。自分の目で確かめられるポストが必要。
・「原子力緊急事態宣言」がいまだ発令中である。
・線量を平均値で説明するのはおかしい。
・撤去後に個人用の線量計を貸し出すというが、個別で測った数値は正式なものとして扱われるか。
・学校での放射線教育にモニタリングポストは教材として必要だ。
・薬草を扱う業者の方は具体的な数値を挙げて発言。長野、新潟の県境付近の薬草、北 塩原村(喜多方市の隣村)の薬草はいまだ線量が高く薬草として使えない。ポストを減らすどころかもっと増やして監視を強化すべきだ。
・区間線量だけで論じているが、土壌線量を細かいメッシュで調査し、合わせて公表すべき。
・山、森林は除染していない。これから自然災害が発生した時、モニタリングポストがなければ、市民は判断できない。
この記事では「反対」は25市町村に。
規制庁本庁の個別交渉に出掛けた人の報告として「中国人観光客がモニタリングポストのある所は放射能の危険のある所と思っているので、その意味でも撤去すべき」と規制庁の役人が言ったという話も出たそうだ。
こんな話は昼のワイドショーでも朝のニュースでもやってはいない。豪雨や台風の話でさえすぐに消えてしまう。8年近くも過ぎた『福島第一原発の重大な事故』のことなど埋め草にさえならない。
年を越せば、オリンピック熱はさらに上昇するのだろう。無意味な増税と止まらない少子高齢化の波という無策、そして政治と官僚の腐敗を、オリパラのアスリートたちの演技で歓喜とともに押し流そうというわけだ。
そんな中で、今、福島の避難指示地域以外のところでこんな議論がなされていること、そのことを小さなメディアで伝え続けている五十嵐さんの健筆が頼もしい。
最近の五十嵐さんの句から一つ。
俺とは何でできているのか古稀の春
落っこちないで!
庭で見つけたオンブバッタ。