熊本市議会、のど飴で8時間の休会、懲罰動議が出され、議員は出席停止に。これってどういう問題なのか。学生と考えてみた。

  授業のはじめに、今、世間で話題になっていることについて新聞記事などの資料を読み、コメントを書き、ひとしきり意見交換をするという時間をつくっている。2,30分ほどの時間だが、本チャンに入る前のウォーミングアップのようなもの。

 今年度の最初の話題は、熊本市議会緒方夕佳議員ののど飴をめぐる議会紛糾問題について考えてみた。緒方議員は、昨年11月に赤ちゃんを連れて議会に出席、大きな問題を提起をしたのだが、議会はその後赤ちゃん連れの出席を禁止、一人会派の緒方議員は悪戦苦闘の議員活動を続けている。その中で起きたこの問題。賛否両論ありますが、

学生はこの問題をどう考えるのか。

ブログ掲載については学生に了解を得た。(   )は授業でコメントを書く時のニックネーム。私のコメントも末尾に。

 

 

西日本新聞9月29日付

熊本市議会は28日、9月定例会の最終本会議を開き総額14億697万円を増額する本年度一般会計補正予算案などを可決した。緒方夕佳議員(43)が演壇でのどあめを口に含んで質疑したことを発端に懲罰動議が出され、緒方氏は28日のみ1日間の出席停止となった。審議は緒方氏が質疑していた午前11時半ごろから中断を繰り返し、午後8時前に閉会した。

 緒方氏は、自身が紹介議員となった議会基本条例の制定などを求める請願計7件が、今議会の議運委で不採択となったことに反発し質疑に立った。緒方氏があめをなめていることに他の議員が気付いて批判。本会議が中断した。

 熊本市議会会議規則には議場での飲食を禁じる条文はないが、議運委は「議員は、議会の品位を重んじなければならない」とする条文に抵触すると判断。緒方氏に議運委での陳謝を求めたが、緒方氏は拒否した。

 本会議では、緒方氏に「軽率な行為であり深く反省いたします」などとする陳謝文を朗読する懲罰が議決されたが、緒方氏は拒否。その後、本会議で出席停止とする懲罰が議決された。

 緒方氏は報道陣の取材に「風邪をひいており、せきが出ないよう、のどあめをなめた。出席停止で質疑や表決が果たせなくなり、非常に残念」と話した。

f:id:keisuke42001:20181017050724j:plain右から2人目が緒方議員

 

 

         熊本市議会、のど飴問題から考えたこと

緒方市議は強い人間というのが第一印象です。多数派対少数派どころではなく、多数派対一人という状況の中で自分の意見を曲げずに討論できることはすばらしいと思います。しかし緒方市議は幼児同伴の件でよい意味ではなく話題になっていたので、自分の行動が批判されないかもっと慎重になるべきだったと思います。昼頃には終わる予定だったはずなので我慢もできたと思いますし、そこまでひどかったら一言断ってから口にすることもできたと思います。(雨の日苦手)

 

私はこの問題の記事を読んだ時に小学生のクラスでこのようなことをやったなぁとなつかしく思い出しました。ということは、この議会のやっていることは小学生のたわむれなんだと思い、少し残念に思っています。年老いた人たちが今まで私より一回りも二回りも多く生きている人たちが、こんなに相手の気持ちを考えられないのかとも思っています。この小さい集団の中で人の気持ちを考えられない人たちが市民の気持ちになって話し合いができるとも思いません。この熊本市議会の問題を国民や東京や他の地方議員たちが他人ごとのように考えているのも問題だと思います。この問題と同じような言い合いは日常生活などにもどこにでもあふれていると思います。人間、現実を受け入れるのに時間がかかる生き物だと思います。(トムソーヤ)

 

私自身もここ数日間風邪をひいており、のど飴がないとせきが出てしまう状態なので緒方さんの気持ちがとても良くわかります。のど飴がなかった場合にはより大きな迷惑をかけてしまう場合もありうるため、緒方さんの判断は正しかったと思います。議会の品位を下げることにのど飴をなめることが含まれるのであれば、大多数の人には解釈できないと思うので、きちんと明記していただく必要があると思います。ただこのあと8時間も延長したとなると緒方さんがこのことに対して具体的にどのような対応をとったのかは疑問が残ります。(バジリスク

 

まず記事を読んでも思ったことは、議会はくだらないことをしているということです。ニュースなどで議会でヤジを飛ばしている映像を見たことがありますが、何かを決めるために選ばれた人たちが集まっているのにこの件を含め違う党派の粗探しをしている印象を受けます。のど飴問題については問題になるような行為ではないと考えます。完全に緒方議員に対しての粗探しだと思います。話の中で男女の問題や平等の問題に派生するとありましたが、今は解消されなくても自分たち世代がの大多数はこういった問題に寛容なのでこのようなことは減ると思います。(せいうちん)

 

その年に赤ちゃんを連れてくるという行動で他の議員達から悪い印象をもたれていたであろう状況で今回のような問題が起きたことを考えると、古いい風習がガチガチになっている議会のルールがいかにおかしいものなのかということが良くわかる。緒方議員もいきなり飴をなめていたのではなく前に「咳をするな」とヤジを飛ばされていたため、その予防のためにのど飴をなめていたとすれば今回の「品位」を落とすという批判は矛盾した的外れな考え方だと思える。古い縦社会で成り立っている場所では、風通しが悪くなり今回のような柔軟な考え方は受け入れられないのだと感じた。(猫大好き)

 

正直意味が分からないです。問題であるという認識をこの事態によって持つことができない。「品位」という非常に具体性のない言葉の便利さで緒方議員への制裁を加えようとしたとしか思えない。何か口に含む状態は集中力をあげるという利点もあるためこの事態により否定的な意見をもつ。ただ、大学以外の学校の授業中に何か口に含んだ状態でいることを許す学校は少ないと感じている。いずれ学校にも報道陣のメスが入るのだろうか。(ラスク)

 

まず緒方市議の乳児問題とのど飴問題は全く別のものであると考える。乳児の方は最近の女性進出を掲げる政府に対して制度が追いついていないということを主張するためのものだったととらえる。緒方市議は派閥にも属せず、発言力が乏しいという背景を考えると、市議会のルールを破ってまで子供を連れてきたことは、ただ女性にまつわる制度不足だけでなく、女性議員の権力不足を表すものだったと思われる。結果としてはルールを破り、批判もされたわけだが、いわばどうしようもない現状を示す問題だと言える。
それに対して今回ののど前の問題は緒方市議が事前に風邪で咳に文句を言われたことからの判断だということはある。だがこの問題は男女はあまり関係ない。飴がOKかどうかというのは明文化されていなく、他の議員の発言から議員全体に明確なルールの周知はなかったと思われる。緒方市議がこのルールをしっかり把握していたかは分からないが、少なくとも飴をなめること自体は問題はないと考える。私が問題と考えたのは、OKかどうかわからないのに事前に許可をなぜ求めなかったのかというところである。私の社会常識で考えるならば不明なことは事前に問うものである。のど飴をなめるという判断はともかくとして、記事の中の真意を読む限りでは緒方市議には事前に問うという考えはなく、これは非常識にあたり、問題になったところであると考える。一方で陳謝についてはあまりルールを知らないので何とも言えないが、ただ文を読むのではなく、自分のことばでというところは賛成であり、強制すべきものではなかったと思う。(マル)

 

むやみやたらにお菓子を食べていたわけではなく、理由があったうえで飴を食べているという点を考えると、議会を中断し8時間もそれについて言及される必要がはたしてあったのか、また、ほかにもっと話し合うことがあったのではないかと考えました。たしかに口に何かを入れた状態というのは日本社会からすると非常識ととらえられるというのも分かります。しかし、8時間それについて時間を割くというのもまた非常識的だと思えるのです。緒方議員から、事前にのど飴の申告をするといったこともできたかもしれませんが、この状況を見ると仮に申告したところで、許可は出なさそうですし、やはりどのみち、緒方議員を追い詰める何かしらの理由がほしかったのかなと感じました。(むぎ)

 

のど飴をなめていたことに対しては議員として、ルールを守れないというのは良くないことであると思った。しかし子供を連れてきたりして注目されていたことを考えると、批判した周りの議員の嫌がらせ的な感情も入っていると思った。この一連の流れで問題をみていくと、いじめ問題、男女平等、ルールやマナーの問題、子育て問題など多く考えなければならないきっかけになったと思う。
男女が働く社会になるということは、男女が平等に子育てを行い、過去にあった男性の方が上で女性が下だと考えていた概念を考え直さなければならないと思う。さまざまな社会の仕組みを変えていく必要があると思うので議会でこのような問題について議論すべきだと思いました。(シュシュ)

 

今回ののど飴問題以前にも、緒方市議が子どもを連れて議会に参加していたということもあり、目立ってしまっていたために、このような議会が8時間も続くという事態になってしまったのだと思う。日本では男女平等や女性への議員を増やそうということをさかんに言っているのに、女性が働きやすい環境が整っていなかったり、昔の古い考え方が残ってしまっているのだと思う。なので、一刻も早く環境を整えることが必要だと思う。緒方市議のように自分の意見や考え方が少数派だったとしても、正しいと思ったことを行動するということも大切であると思った。(プー)

 

ただおなかがすいたからや、眠くなってしまうからという理由で飴をなめていたなら反対されてもしょうがないと思いますが、体調が悪くても議会を欠席することはできず、以前咳がうるさいと言われた結果の対策で、議会のためにしていたことなので、反対されるのはおかしいと思いました。品位というものが何なのか人によって考えているものが違うと思うため、ルールをもう一度見直すべきだと思いました。また子供連れの出席についても、外国では当たり前のようにされているものにもかかわらず、日本でここまで問題になってしまうことに疑問を感じました。これがもし男性議員だったらどうなっているのかと思いました。(あられ)

 

品位が損なわれる行為としてのど飴をなめながらの質疑が挙げられたのですが、そもそも品位とは何かについて市議会として明確にしてない以上は、これ以上論じることは難しいと思います。しかしながら品位とは、ということを棚に上げたままのど飴をなめていた女性議員をバッシングしている現状があります。そこには「品位」を超えた女性差別、育児問題などの背景があるように感じます。一人の女性を囲むようなバッシングは品位を欠くと思いました。また事前に理由を伝え、のど飴をなめなかった女性も品位を欠くと思います。

ものすごくもったいない時間でしかないと私は強く思いました。地震に対する対応が今回の話し合いであったならばなおさらそうであると思います。一日も早く動き出すべき時にそれを決める場所でこのようなことがあったことは少し悲しくなりました。今やるべきことを考えたときに時間を割いてのど飴について話し合うのか、災害復旧について話し合うのか、その結果前者になってしまったことはおかしいともいました。                            (シンジ)

 

飴をなめるのは良いと思うが、自分が話す立場になったらいったん口から出すべきだったと思う。自分が風邪である旨をまず伝えて理解が得られたのちまた飴をなめたらよかったのではないかと思う。周りの議員さんたちは次々と前例のないことをする緒方議員をねたんでいると考える。飴に関して言えば「え、なめていいの!?オレもなめたい~」と感じたおじさんが紛糾したのだろうなと思う。ちなみに私は芯のない人間なので怒られたら即謝罪します。緒方さん、すごい!女に生まれたことを後悔してしまう。
                             (オノヨーコ)

 

緒方議員はもともと赤ちゃんを議場につれてくるなどしていたので、ほかの議員に反感を持たれて、のど飴を問題にされてしまったが、これが別の議員であれば、問題にされなかったような気がする。また元々国連で働いていたこともあって他の議員からすればよそ者、自分たちとは違うものとしてみていたのではないかと思った。議会のことではあるが、学校のいじめの構造と似ているのが興味深いと感じた。学校でも、帰国子女の子は日本の学校になじめずに、いじめられたり、苦しんだりしていることを聞くので、それに似ているのかと思った。(ノース)

 

行き過ぎた処分ではあると思う。たしかに飴をなめながら人前で話すことは気持ちがよくないと思う人はいるだろうが、何時間も大勢で責めるような内容ではない。議員、議会がいかに生産性のないものかがわかってしまう出来事であると思う。イギリスからも批判が届いているように議員にはその議会のうちでの「品位」という意味より、それぞれの行いを客観的に見て、自分たちがしていることはどういうことなのかを考えてほしい。(でー)

 

 私はのどアメをなめながら人の話をきいたり、自らが発表することは反対です。自分は議会で発言したりしたことはもちろんありませんが、まじめな話のときや目上の人と話すときは何かをしながらきいたり、まして食べ物を食べながらということは失礼だと思います。またもしのどが痛くてアメをなめる必要があるのならば、周りに一言あってもよかったのではないかと思います。しかし、のどアメをなめていただけで、議会が数時間も休会をしてしまうというのは、なんだか頭が悪いというか、もっとやらなくてはならないことがあるのではないかと考えてしまいます。まとめると、「いけないことだと思うが騒ぎすぎ」だと感じました。(メガネ)

 

 

以下、学生に示した私の見解です。


◆ 事前に「のど飴、いいですか?」と許可を得るべき?
皆さんのコメントで私が一番引っかかったのは「事前に許可を得ればよかったのではないか」というもの。どうなんでしょうか、現実的な問題としてよく考えてみてください。
大人の世界で、「のどが痛いので、のど飴をなめたいのですがよろしいでしょうか」って訊くのは普通のことでしょうか。社会的な常識には確かに幅があります。ある人には常識でも別の人には非常識というものもあります。
ではどちらかはっきりしない場合は、許可を得るべきだと考えるはある意味当然とも思えないこともないのですが、私には少し硬直した考え方ではないかとも思えます。それはとても窮屈なことではないでしょうか。
問題は、のど飴を口にしていることが周りの雰囲気を壊したり、他の人に不快な思いを与えたりする可能性があるかどうか、つまり一般的な社会通念上のマナーの許容範囲を超えているのかどうかということになります。それと自分が抱えている事情との兼ね合いを考え併せることが必要になります。
公的な場で議論をする場合、ガムを噛みながらとか何かを食べながらといったことは、一般的に許容されにくいですね。そこにはおのずと私たちが共有している一定の「線」があるように思えます。
もう少し考えてみましょう。議論をする場で、たとえば質問をする際、演説をする際、のどが渇いたりつまったりしたときにペットボトルでのどを潤すという行為はどうでしょうか。今では、これは十分に許容されますね。数十年前の学校では授業中に飲み物を摂ることは認められませんでしたが、現在は水分摂取は積極的に勧められています。ですからわざわざ担当の先生に「のどが渇くので、水を飲んでもいいですか」と許可を得る必要があるとは、皆さんも考えませんね。これはお互いに「線」を共有しているということですね。
そこで緒方さんののど飴ですが、これが「ガムを噛みながら」と「水を飲む」のどちらに近いか考えてみてください。
のど飴がガムのように礼儀を欠くものであったかどうかといえば、私はそこまでは全くいっていないと思いますし、大の大人が周りに「のど飴、いいですか」と許可を得るのもおかしなことだと思います。
緒方さんは以前に周りの議員に「咳」を注意されたことがあってと、のど飴を口にした理由を語っていますが、「咳」を抑えるという点でのど飴の服用には合理性があります。
私はそのことより、体調を崩している緒方さんに対し「咳をするな」といったという議員の不寛容さが気なります。
私たちの社会の中で、咳をしている人に「咳をするな」と直言することはよくあることではありません。たとえばこの授業で咳の止まらない人がいたとします。私が担当の教員として言うのは、たとえばマスクをしていない場合は「マスをしてください」とは言いますが、「咳をしないで」とは言いません。それは場を共有している以上、引き受けなければならないことだと考えるからです。立場はいつでも逆転します。私たちはいつ同じ立場になるかわかりません。その意味でこの議員の発言が気になりますし、たぶんそれは単なる「咳」に対する不寛容さだけではなかったのではないでしょうか。

 

◆ のど飴禁止!とルールに明記しておけばいい?
次に「議会のルールとしてちゃんと決めておくべき」という意見もありました。これも考えてみてください。議会の規則に「のど飴禁止」とあったらどうでしょうか。昨年、一昨年と全国の地方都市の議員が覚せい剤所持、使用で逮捕されるという事件がありました。でもどこの議会も「覚せい剤の使用禁止」といいう規則は決めていません。あたりまえですね。そんなことをしたら、あれもダメこれもダメとたくさん羅列することになってしまいます。禁止事項を全て明記せずに「品位」ぐらいにしておくのが一般的なのではないでしょうか(覚せい剤は品位以前の問題ですが)。


◆ 手続き論と本質論
「許可を得る」と「ルール明示」、ふたつの意見が正しそうに見えることがあります。しかしこれらは本質論ではありません。いわば手続き論なんですね。ではこの問題、手続きが間違っていたという問題なのでしょうか。
手続き論は一見、客観的に問題を捉えているかのように見えますが、そこにはその人自身のこの問題への判断、自分であったならどうするかという当事者としての視点は抜け落ちています。私は物事の是非を判断するときに忘れてならないのは“当事者性”だと考えています。自分をその立場に置き換えて物事を考えてみることです。
この場合、多数派の議員の立場に身を置くか、緒方さんの立場に身を置くか、そこから「どうしてこんなことになったのか」を考えてみることが重要です。
◆品位を保つべき「神聖な場」とはどこだ?
では次に当事者性という点からすると「議会の品位」という点に言及してみましょう。緒方さん以外の議員の人たちは、たとえば共産党(多数派の自民党ではなく)の女性の市議の方が「のど飴を口にしての発言は神聖な議会の品位を汚す」といった意味のことをテレビで言っているのを聞きました。
まず議会を神聖な場だと主張する点ですが、言葉の使い方として私には違和感があります。「神聖」というのは、「尊くておかしがたいこと。清浄でけがれがないこと。特に、宗教・信仰の対象などとして、日常の事柄や事物とは区別して扱われるべき特別の尊い価値をもっていること」という意味でつかわれる言葉です。
一方、議会というのは、互いの政治的な考え方のぶつかり合う場であると同時に、民主主義のルールに則って運営される公的な議論と決定の場であると私は考えます。住民にとって大事なことを決定する「公けの場」ということを思い切り強調すると「神聖な場」ということになってしまうのかもしれませんが、もっと普通に市民が関われる場と考えていいのではないかと思います。
余談ですが、土俵や道場、教室、グランド、仕事場などにも「神聖」という言葉を付して語る人たちもいます。なんでも「神聖」と言えばいいというものではありませんね。これらの使い方は、それぞれの場が「公的な場」「自分を磨く場」「闘いの場」であって「私的な場」ではないということを強調するだけでなく、そこで行われることの精神性を強調しているように思われます(「神」を出すところが日本的と言えば日本的ですね。道場などに神棚が飾ってあったりしますが、日本では至る所に神様がいます。台所にだってお札が貼ってありますが、台所は神聖な場所だからと一般家庭では言いません)。

◆のど飴は品位を汚す行為か?
次に「品位」についてですが、これが一番難しい。この点を鋭く指摘している人が何人もいました。
品位とは「人や物に備わっている上品さ、気高さ」のこと。わかるような気もしますが、非常に抽象的な言葉です。この言葉、「品位を保つ」というケースより「品位がない、品位を汚す」という否定的なフレーズとして使われることが多いように思われます。
では、一般的に「品位を汚す」行為というものが議会に存在するとしたら、それはどういうものでしょうか。
たとえば聞かれたことにきちんと答えずにごまかしの答弁を延々と続けるとか、特定の生徒や個人に対して根拠のない誹謗中傷を続けるとか、そういうことですね。この一年、国会でのモリカケ問題や自衛隊日報問題、大臣のセクハラや収賄事件などでかなり「品位」を欠くものが多かったのでわかりやすいと思います。
今回、熊本市議会の緒方さんを除く前議員は、緒方さんののど飴を口にした行為を「品位を欠く」としたわけですが、私など一般市民からすれば、議員の行為として居眠りや下品なヤジ、恣意的な欠席と比べてみたらどうなの?と思ってしまいます。
のど飴を口にするという行為に対して『いかがなものか』と感じる人たちがいることは理解できます。でも多くの議員たちは緒方さんがのど飴を口にしていることに気がつかなかった、誰かの指摘を受けて議長が確認、緒方さんが認めたため、出席者に伝わったということですね。それも「咳を止める」という理由で口にしたもの。それは「品位に欠ける」とまではとても言えない行為であると私は考えます。
それよりも品位という点では、緒方さんがのど飴を口にしていることが分かった時点で、鬼の首でもとったかのように「暫時休会だ!」といった怒号が浴びせられる異常さ、それにさして深く考えることなく乗ってしまう見識のなさ、陳謝の文章を強制しようとするやりかたのおかしさ、それに対してだれ一人異議を唱えず8時間も議会を止めてしまうでたらめさ(のど飴で止められた8時間は、当然事務局の人たちの超過勤務手当に始まって議員の報酬、多額の諸経費が掛かっています。それらすべてが税金で賄われる)こそ、私にはこれ以上ないほどの低劣な「品位」に思えます。
しかし、品位を汚したかどうかは議会では多数決で決まります。どんなひどい行為も、多数が「問題なし」とすれば問題ではなくなります。これも国会を見ているとよくわかります。社会は矛盾と不条理に満ちているものです。

 

◆当事者の視点を忘れずに
緒方さんは、子どもを育てる女性が議会で普通に活動ができることを求めていました。何度か議会に申し入れをしても容れられず、昨年11月に「強行突破」して問題提起をしました。女性が活躍する社会を標榜する現在の政権からすれば、非常に重要な提起であったのですが、それを主張する自民党市議団を中心にすべての党派がこの提起を敵視し、子連れでの議会出席が出来ないような決定を行いました。昨今の政界の潮流からしても、これがどれほど流れに逆行するものかは、2講での資料でもわかりましたね。
以下、私の推測に過ぎませんが、一種のムラ社会である熊本市議会は、会派のない個人で原則的な問題提起をする緒方さんが煙たくて仕方がなかったのでしょう。彼女を通じてさまざまな請願が出されることも面白くなかった。なんとかして彼女をぎゃふんと言わせたい、とっちめてやりたいものだという空気が、議会の中に充満していたのではないでしょうか。だから「暫時休会だ!」に一も二もなく乗ってしまったのでしょう。 
 しかし、緒方さんは陳謝の強制にも応じない。議会は振り上げたこぶしの落としどころがない。なにがなんでもつぶすしかない。それならば出席停止だということに。残念で仕方がありません。これは言論の府である議会が、自ら言論を封殺する行為に走ったということですから。
 議会だけでなく、職場でも地域でもこうしたことは珍しくありません。少数派がいつも正しいということはありませんが、少数派の主張に真実が隠されていることが少なくありません。だからこそ民主主義の原則として、少数意見の尊重ということがあるわけです。
繰り返しますが、私には熊本市議会が全会一致で緒方さんの出席停止を決定したという点が気になります。誰一人、「おかしいじゃないか」という人がいなかったのか。
皆さんが職場、とりわけ学校で働くことになったとき、学校はまだわずかですが議論するという文化が残っていますから、こういう場面に出くわさないとも限りません。その時、手続き論に終始せず、当事者として考え、発言する視点、スタイルを忘れないでほしいと思います。
以上、長くなりましたが、のど飴問題の私的見解でした。