『教誨師』・・・・『休暇』にも大杉漣は出演している。はて、何の役だったか、思い出せないのだが、「やはり野におけ」というように大杉漣は、脇役の方がいいかなと思った。

    裁判に勝っても、形式的なお金のやり取りや処分の軽重が変わるだけで、実際に被告が原告にきちんと謝ることはまれなことだ。


6月に見た『ニッポン国VS泉南石綿村』(2017年・日本・215分・監督原一男は、アスベスト訴訟の全貌を知らしめてくれた原監督渾身の快作だったが、後半部分で判決が出た後、厚労大臣に謝罪をさせるために原告団厚労省まで何度も足を運ぶシーンがある。

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  「下っ端」の職員から始まり、順々に対応する職員の階級が少しずつ上がっていく。何度も何度も日延べをさせられ、もう無理かとも思われる中、不退転の決意で大臣までたどり着くその様子を原監督は、撮るものと撮られるものの間でもがきながら活写している。215分の時間を全く感じさせない映画だった。最後に厚労大臣塩崎恭久が登場するのだが、その塩崎に原告の一人が怒りをぶつけるのではなく、来てくれてありがとうと感謝の言葉を告げるリアリティには凄いものがあった。  

 

 

    このブログでも紹介した、部活動中のセクハラを疑われ、2014年1月に減給3か月の処分を受けた横浜の教員の人事委員会への処分取り消し請求事件、処分から4年3か月、人事委員会は横浜市教委の「裁量権の逸脱」を認定、処分を取り消し、戒告に直した。


    しかし裁決書という判決にあたるものが人事委員会から当該に送られてきて、支援のわれわれ少数組合が「よかった、よかった」と情宣をしても、市教委は「へ?なにかあった?」ぐらいのもの。当時の北部事務所の所長は横浜市大に移り、その後病没。校長は退職。関係者で残っているのは当時の係長と副校長、現在教育次長となっている指導室長ぐらい。当時の責任を問うのは難しい。

 

   そこで、給与の返還交渉も含めて所管課である教職員人事課に対し、「当該に対してきちんと謝罪をしてほしい」と申し入れたのが6月。以来、何度か足を運んでそろそろ具体的な場の設定にまで話が及んでいる。

 

    2013年に当該が組合に駆け込んできたとき、執行委員長であったことから退職後も支援を続けてきたが、今年4月で執行部からすべて身を引いた。それでもこの件だけはと、長年通い続けた市教委が入っている関内第一ビルに足を運んでいる。

 

 

 12日に、その「場」への対応を協議する当該と代理人の打ち合わせが関内の法律事務所であった。二人の弁護士の方に4年半もの間、この事件に関わっていただいた。お1人はまだお若い女性、もうお一人は70歳前の大ベテラン弁護士、お二人のコンビがいつもどこかほほえましく、打ち合わせは和やかなことが多かった。


 これが最後の打ち合わせになるかと思いながら、映画をチェックしていたら午後に黄金町のジャックアンドベティに教誨師』(2018年・日本・114分・監督佐向大・主演とプロデュース大杉漣があった。時間もちょうどよい。10月6日の封切りだからちょうど1週間、込んでいるかと早目に出かけた。

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 はじめに『教誨師』というタイトルを見たとき、堀川恵子氏の『教誨師』(2014年)が原作、あるいは下地になっているのかと思った。堀川恵子氏には、『裁かれた命 死刑囚から届いた手紙』(2015年)や『永山則夫 封印された鑑定記録』(2017年)の著書があり、いずれも力の入ったもので『教誨師』も大変に充実したドキュメンタリーだった。


 映画『教誨師』のほうは、これとは全く関連がなく、脚本も監督の佐向大が手掛け、先般亡くなった大杉漣が主演、プロデュースをしている。名バイプレーヤーといわれた大杉漣の最後の主演作。


 ファンも多い大杉のことだし、結果的に遺作となってしまったこともあって、ネットのレビューなどを見ても評判が高い。否定的な評価はほとんど見かけない。

 

そんななかでこう書くのは気が重い面もあるが、ずいぶん薄っぺらい映画になったなと思った。

 

 6人の死刑囚と次々に何度か交代に向き合う場面が延々と続くが、単調、映画にする意味が分からないとも思えた。

 大杉演じる教誨師佐伯牧師の回想シーンはあるにはあるが、私にはどうもとってつけたように思えた。全体に作りものっぽく、大杉の演技もはじめから教誨師としての枠組みが緩んでいるように思われた。それが人間的な教誨師、といわれると私は違うと思う。宗教的に自分なりに確固としたものをもとうとしてなったはずの牧師をもっときっちり描いてほしかった。そうでなければ教誨師そのものが見えてこない。6人もの死刑囚と対話を続けているというキャリアとの釣り合いが取れない。


 佐伯自身の生い立ちの中、兄が起こした母親の二人目の夫への殺人事件が教誨師となる契機のように語られるが、そこから佐伯はどうして牧師になり教誨をするようになったのかよくわからない。だから佐伯の人物像に今一つ厚みがない。その兄は服役が終わる直前に自殺しているのだが、兄が幽霊となって教誨室にさらわれるシーンは、映画というより演劇的に感じられた。ここでも自分史への拘泥は見られても、教誨師としての死刑囚への向き合い方は出てこない。


 死刑囚6人はそれぞれどんな事件で死刑囚となったのか、わかる人もいればよくわからない人もいる。烏丸せつこ古舘寛治光石研ら達者な人たちはさすがだが、どういうわけか作りものっぽく感じられるのは芝居をしすぎるからか(烏丸せつこの歯がやけに白いのが気になった)。逆に小川登、字の読めないホームレスを演じた五頭岳夫にリアリティがあった。この五頭という役者、これが二つ目の映画出演。どういう人なのだろう。1948年生まれ。

 

 高宮玲央が演じる津久井やまゆり園事件の植松被告らしき人物との対話、社会制度としての死刑制度などへの根源的疑問などに佐伯は虚を突かれるのだが、その返し方に私は深みを感じなかった。


 正直2時間近く、みているのが辛かった。

 犯罪者に関わるボランティアとして保護司がある。教誨師は保護司とは違って更生を手伝うというより、宗教的な対話から反省を促し死刑囚を死刑台に送る役目である。

 死刑制度そのものに対する考え方も含めて、思想的、思索的な深まりがなければ、死刑囚に向き合うことは難しい。

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執行にも立ち会うわけで、迷いや弱さを前面に出してできる仕事ではない。

 それでもことばによる対話を中心に進める映画ならば、佐伯自身の人物造形も死刑囚のそれももっと緻密になすべきだったのではないか。

 佐向が脚本を担当した刑務官の死刑執行を扱った『休暇』(2008年・日本・115分・監督門井肇に比べて出来栄えとしてはかなり劣ると思った。やはり『休暇』が吉村昭の原作に負うところが大きいからかもしれない。

 

 『休暇』にも大杉漣は出演している。はて、何の役だったか、思い出せないのだが、「やはり野におけ」というように大杉漣は、脇役の方がいいかなと思った。

 

 

 

 

 

 

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本文とは何の関係もありません。

今年の初冠雪は、9月26日だった。これは10月18日、芦ノ湖をのぞむ丘から。