映画備忘録4月15日、シネマ・ジャック&ベティの1本目。
『白い牛のバラッド』(2020年製作/105分/G/イラン・フランス合作/原題:Ghasideyeh gave sefid/脚本・監督:マリヤム・モガッダム ベタシュ・サナイハ/出演:マリヤム・モガッダム アリレザ・サニファル プーリア・ラヒミサム/日本公開:2022年2月18日)
テヘランの牛乳工場に勤めるミナは、夫のババクを殺人罪で死刑に処されたシングルマザーである。刑の執行から1年が経とうとしている今も深い喪失感に囚われている彼女は、聴覚障害で口のきけない娘ビタの存在を心のよりどころにしていた。ある日、裁判所に呼び出されたミナは、別の人物が真犯人だと知らされる。ミナはショックのあまり泣き崩れ、理不尽な現実を受け入れられず、謝罪を求めて繰り返し裁判所に足を運ぶが、夫に死刑を宣告した担当判事に会うことさえ叶わなかった。するとミナのもとに夫の友人を名乗る中年男性レザが訪ねてくる。ミナは親切な彼に心を開いていくが、ふたりを結びつける“ある秘密”には気づいていなかった…。(FILMARKS映画から)
緊迫感のある画面が最後まで続く。
2人の主役。監督も務めたマリヤム・モガッダムの演技が素晴らしい。弱さ、強さ、やさしさ、それぞれ深みを感じさせる。夫役アリレザ・サニファルも同様にその苦悩の深さをしっかりと演じている。ビタ役の少女も、大人の演技のテンポに引きずられずに自在、自由に演じているのがいい。
とにかく編集も含めて引くものも足すものもないぎりぎりまで作りこんだ優れた映画。
冒頭とラストに、ストーリーと結びつかないシーンが置かれている。
刑務所と思われる建物の壁に囲まれたグランドのような広さの内庭。その真ん中に白い牛が一頭。ぐるりと取り巻く壁際には人間が隙間なく立っている。
実際のシーンではわからなかったが、公式HPの写真を見ると、人間はぐるりと壁際に立っているのではなく、左側に囚人服の男性が1列で立ち、右側に女性がイスラムの装束でこれも1列で立っている。白い牛は女性の方を向いている。
このシーンが映画のテーマに関わる隠喩と思われる。
おのずと、それぞれのシーンはストレートに主張を出すことなく、何重もの隠喩を重ねていく手法となっていくようだ。
それでも映画は、国家=裁判所は、死刑判断、死刑制度そのものの誤りを、事務的に金で解決しようとする裁判所、係員を通して描きだしている。
また女性への徹底した差別、死んだ夫バハクの父親が妻ミナを裁判所に訴えるとか、知らない男が部屋に入ったことを理由に、大家が店子の母子家庭であるミナ親子を追い出してしまうとか、これまた淡々と描く。追い出す大家の妻がミナトビタに親切なのもかえってイラン社会のリアルな側面を表しているようだ。
ミナが勤める牛乳工場でのストライキにたいし、当局の処分は半数を解雇、半数を逮捕という形で決着していくとか、かなり具体的に現在のイラン社会を描き出しているようだ。
ミナは一年まえに死刑で奪われた夫不在のなか、娘ビタとの生活を鬱々と続けている。
耳の聞こえないビタは学校に行きたがらず、テレビで放映される映画を愉しみにしている。愛らしい少女である。
このビタが、現在のイラン社会のなかの女性の隠喩ととることができる。
ある日、裁判所に呼び出されたミナは、夫の事件の真犯人が出てきたことを知らされる。金を払えばいいだろうという裁判所の態度に納得のいかないミナは、新聞に広告を出し判事を糾弾しようとする。
そんなある日、死んだ夫にお金を借りていたという中年の男、レザが家に現れる。
ミナに借りていたという多額のお金を返済し、さらにレザの突然の訪問で大家に追い出され、住むところを失ったミナ親子に、レザは使っていない部屋だからと広い住居を提供する。
実は、この住居は実はレザの住居であり、彼は自分が底を出てそっくりそのままミナ親子に提供したのだった。
レザには息子がいて、親子の間がうまくいっていない。父親と関わりたくない息子は軍隊に入るというが、数日後、オーバードーズで亡くなってしまう。
レザの苦悩は・・・。
いつしかミナはレザに惹かれ、ビタも慕うようになる。
イラン映画では、男女が接触するシーンも許されないようで、二人が愛し合うようになったことは、ミナが口紅を塗るシーンで表される。
こうした抑制した表現が、多くのことを想像させるのだが、そのテンポと画角が絶妙で見る側の想像をしっかり引き出している。
愛し合うようになった二人の間は、義弟からの1本の電話で崩壊する。
ラストシーンは、これまた不思議なもの。
ミナは食卓で牛乳に混ぜた毒をレザに飲まそうとする。
レザは毒が入っているのを承知の上でそれを呑む。
次のシーンでは、レザとミナとビタが戯れうような明るいシーンが挿入される。
毒殺シーンはミナの妄想だったのか?と思った瞬間、白い牛のシーンが映し出さえっる。
白い牛は、イラン社会を象徴する牛乳工場の暗喩か、それとも無実の罪を負った夫を殺す国家の暗喩か、はたまた毒を入れた牛乳そのものの暗喩か?
いずれにしても、牛が向いているのは一列に並んだ女性の集団のほうだ。
サスペンスというが、それよりもイランの個人と国家、個人と社会の関係を根底から問う社会派の映画だ。
しかし、いったいイランと日本、どれほどの違いがあるか?つぶさに違いを考えさせられるという点で、優れた映画だと思う。
イランでの上映が始まってすぐにこの映画は上映禁止になったという。
共同監督と主演を務めたマリヤム・モガッダムは国外へ脱出しまったという話も。