神戸の東須磨小教員4人に対する「分限休職処分」は、公務員の身分保障の枠組みを毀損する大いなる勇み足。事件の醜悪さとは別問題。

昨日、末尾に書いた神戸・東須磨小の教員いじめ事件に関わる「給料差し止め」の件ついてもう少し。

 

今回の市議会の決定は、彼ら4人に対して「起訴される恐れがある」などという理由で「分限休職処分」を行なえるようにしたということ。

 

一般的な休職ならば、一定の給与(休職給)は支払われるが、分限に関わるものだとゼロということになる。「分限処分」は、起こしてしまった行為が非違行為にあたるとされる「懲戒」ではなく、資質的に適格性を欠くというもの。ふつうの処分であれば、分限停職となるのが一般的。

 

この決定を認めてしまうと、行政は処分のフローなど無視して、フリーハンドでいつでも給料を差し止められるということになり、公務員の身分保障の枠組みを完全に毀損してしまうことになる。地公法とのあいだに大きな矛盾を生むことになるのではないか。

 

神戸の友人によると、市会自民党の議員がワイドショーで語り、それをマスコミが煽るなかで、議員すら質疑や意見が言えないまま決められたもののようだ。


神戸市職員が組織する10組合に対していずれも事前協議、交渉もしていないという。

 

公明党(与党)が「懲戒審査会に必ず付議すること」との付帯決議案を提案したそうだが、そんなことを付帯決議しなくてはならないほど、「叩き潰せ」の世論に市長や議会が無批判に乗っかったということだ。だって懲戒審査会に通さない処分なんてふつうあり得ないというのが常識なのではないか。

友人によれば、その付帯決議の全会一致ぐらいが、有権者離れを恐れた各党議員の精一杯の抵抗だったようだとのこと。

 

この件を検察が「起訴する可能性があるかどうか」は誰にも分からない。だから、ふつう刑事事件に関わる事案の場合、起訴か不起訴、あるいは起訴猶予かはっきりするまでは処分を待つのが一般的。それまでは、給料が払われるのは当然の権利。出勤させるかどうかは行政の判断だが。

 

「家庭科室の改装」や「給食からカレーを外す」などのピンボケ対応に対する批判が大きかったことも、この勇み足を許す結果になったのだろう。

 

神戸市が、神戸市教育員会が、一小学校で起きた事件の全容を把握できないまま迷走を続けているだけなら、それまでの話。しかし、世論とマスコミにあおられる形で、原理原則を毀損して場当たり的な対応をすれば、今後、同じ轍を踏んでしまう行政や議会が出てこないとも限らない。困ったものだ。これは、今後に禍根を残す大きな問題。