この人たちの政治的感度なんてこの程度のもの。政治、政治といっても最大の関心事は政局と我が事、人事(じんじ)だけで、ほかのことは他人事(ひとごと)だ。

西日本豪雨で亡くなった方は223名、行方不明の方もまだ14名いる。

   大変な豪雨になるだろうという予報が出た7月5日夜、“赤坂自民亭”というところで、安倍首相も出席して酒盛りが繰り広げられていたという。

   親切にも官房副長官ツイッターでその様子を国民に知らせてくれた。安倍首相の初めての出席という事態に、副長官、舞い上がってしまったのだろうか。

   次期総裁候補の岸田外務大臣もいて、「獺祭」(山口)と「賀茂鶴」(広島)どっちを飲む?といったつまらない冗談に盛り上がっていたのだろう。カワウソとカモだかツルが集まってのさや当て、なんとも滑稽、且つ醜悪だ。

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ぼーっと生きてんじゃねえーよとチコちゃんに言われるよ

 

   この人たちの政治的感度なんてこの程度のもの。政治、政治といっても最大の関心事は政局と我が事、人事(じんじ)だけで、ほかのことは他人事(ひとごと)だ。

   赤坂自民亭の“女将”は、上川法務大臣だという。オウムの7人の死刑囚の刑の執行の署名をしたあの人である。
   戦後最大規模の死刑執行の署名は7月3日。執行の6日までの3日間、この国でたった一人だけが与えられている権限を行使してどんな気持ちだったろうか、なんて心配はいらなかったようだ。

  報道によれば、5日夜、つまり執行前日、この法務大臣は自民亭で「万歳」の発声を担当したのだとか。一人で長い夜を過ごすのがつらかったのだろうか。それとも署名したこと、忘れてた?

   2001年、えひめ丸の事故の時、ゴルフ場で報告を受けた首相森喜朗は、ラウンドをやめなかった。一斉に激しい批判が沸き起こるとこれに抗するのは難しい。弁明すればするほどアリ地獄に陥る。森は辞任した。
安倍首相はどうか。

「発災以来、政府として一丸となって取り組んできた」

と述べた。これで一件落着である。おいおい、そんなんで許しちゃっていいのかい?

 傍からどう見えるか?いやいや“我が事”からしか物事をみないのがこの人の常套。かけももりもそうだった。

 自分の“人事”が最大の関心事の西村官房副長官は陳謝。

 すべて“他人事”の上川法務大臣は何も言わない。
 
 こういう人たちの下で、豪雨被害は広がり続け、オウム死刑囚らは刑を執行された。お手盛り極まりない議員定数6増法案や、IR法案はほとんどまともな議論なく通過した。力の論理、横暴は明らかで、品位を欠いた国会運営は歴史に残る。

 この政権の厚顔無恥を下支えしているのは誰だ?

 

 

 20日に千葉の長女のところへ二人で出かけた。孫のダンスの発表会があるという。

 猛暑の中、まだ同居して3か月のチワワを残していくのが心配だったが、エアコンの温度設定を少し高めにして、えさと水をしっかり用意、30時間後には必ず帰ってくるからなと声をかけて出かけた。

 21日の夕方帰宅。34時間後だ。
玄関のドアを開けると飛びついてくる。ああ、よかった、一安心。なのだが、エサは? と見ると、昨日二つの皿に盛ったエサがそのままの形で残っている。水は減っているようだが、エサには全く手がついていない。

 頭をなでて抱いてやると、猛烈な勢いでエサを食べ始める。
 犬全般がこういう動物なのか、それともこの犬の特徴なのか。人間の4歳か5歳ほどの知恵があると言われているが、大きな荷物をたくさん持って出かけた私たちの姿が、不安な気持ちを増幅させてしまったのかもしれない。 

 犬を飼う、というのは簡単なことではないのだなと思った。

 

 21日夜は、横浜中華街で元同僚の退職を祝う会。3年間一緒に仕事をした女性、いろいろな仕事にともに取り組んだ方ゆえ、感慨深い。大病にもめげずに、任期満了の定年退職。心からお疲れ様という思い。だが、4月から再任用で同じ職場で働いているとのこと。今ではほとんどの退職者が再任用で働いている。

 2次会がひけて、中華街を出たのが23時半ごろ。南町田に帰り着いたときには久しぶりの午前様。

 

 22日朝、散歩の時間が必然的に1時間ほども繰り下がった。いつもの緑陰がうすくなり、気温は高い。汗が流れる。鳥の姿も見えない。

 午後から大和市シリウスでアラン・ギルバート指揮の東京都交響楽団のコンサート。先月小菅優のピアノを聴いた芸術文化ホールメインホールだ。天井が高く、奥行きも広いステージに隙間なく譜面台と椅子、いわゆる三管編成。 

 フルート、オーボエクラリネットファゴットの各2名に、派生楽器を併せて3名ずつになるので三管編成というらしい。オケ中央部に管楽器が集中しているがここが厚くなり、その分打楽器の人数や弦楽器の人数も増え、総勢90名ほどになる。第一ヴアイオリンは16名ほど。四管編成というのは聴いたことがないから、私が今まで聴いたオーケストラではこれが最大規模。

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 プログラムは、前半にドヴォルザーク交響曲第9番新世界より》、休憩をはさんでL・バーンスタインの《ウエスト・サイド・ストーリー》より「シンフォニック・ダンス」、最後にG・ガーシュインの『パリのアメリカ人』。

 全て初演はニューヨークでニューヨークフィルが行っている楽曲。8年間ニューヨークフィルで音楽監督を務めたアラン・ギルバートならではのプログラム。

 さて「新世界より」。耳に慣れた曲だが、生で聴くのは久しぶり。学校では国民楽派と習ったドヴォルザークだが、アメリカに職を得て1892年からの3年間、ニューヨークに移り住む。曲の説明には、新世界アメリカのインディアンの音楽や黒人霊歌との関連などが書かれているのだが。

 2楽章の下校の音楽?は有名だが、それ以上に3楽章4楽章の勇壮さに新世界アメリカへのドヴォルザークの思いを聴きとった若いころと違って、今聴くと、なんとも情感あふれる故郷ボヘミアチェコ)への思慕のほうが強く感じられる。スメタナの「我が祖国」に近いようにも思われた。

 それともう一つ、勝手な思い込みだと思うが、曲のあちこちにベートーベンの影響が強く感じられたこと。特に交響曲7番8番の雰囲気が時々浮かび上がってくるように感じられた。ブラームスが、ベートーベンの高い壁を超えようとしたように、ドヴォルザークもベートーベンの高い壁を意識していたのではないかと思った。

 休憩をはさんでの2曲、これはもう極上の音楽。バーンスタインガーシュインもこのアラン・ギルバートという指揮者の手にあっては、自由自在、奔放そのもの、やりたい放題の指揮に演奏家たちが共鳴している。オケの面々の表情にも、「新世界より」以上にからだもこころも指揮者にもっていかれちゃっているなあというふうに感じられた。

 堅苦しさなど微塵もないまさに自由なプレーヤーたち!終わったときには聴いている方も息が切れた。3曲を終えて数度のカーテンコール。なんとアンコールはやらない!最後のカーテンコールでアラン・ギルバードは両掌を合わせてほおにつけ、首を傾ける。もう十分やったからこれからひと眠り、ということか。会場はやんやの喝さいが続いたが、アンコールなしに不満は感じられなった。こんなことはめずらしい。

 指揮者が去り、会場の照明も明るくなり、演奏家たちが三々五々ステージから両袖にはけていくのだが、ここでも珍しい光景が。プロはたいてい、演奏が終われば何事もなかったように帰り支度を始めるものだが、違った。こういう言い方がいいのかどうかわからないが、みなアマチュア演奏家のように肩をたたき合い、笑顔で握手をして互いに祝福しているのだ。

 自分の中にあったもの、いやそれ以上のものを思わず引き出されてしまったよ、久しぶりに興奮した!なんて言っていたのかどうかは分からないが。
いいものを聴かせてもらった。

 

 夜、横浜西口。ルーマニアブカレストから一時帰国した友人Yさんを囲んで5人の宴。未知の国の話は面白い。今日の2次会は星乃珈琲。

 

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船橋市アンデルセン公園の「平和を呼ぶ像」(岡本太郎)7月21日