『もしも人生に戦争が起こったら~ヒロシマを知るある夫婦の願い~』一人の被爆者の戦争と原爆、夫妻の戦後の痛苦の人生がここにある

 今朝の新聞で、是枝裕和さんがフランスの女優カトリーヌ・ドヌーヴを起用して新作をつくる準備を始めたことを知った。現在脚本執筆中だとか。楽しみである。


   カトリーヌ・ドヌーヴについては、2018年上半期映画寸評で『ルージュの手紙』(2017)に触れたが、癌を抱えながらエネルギッシュで奔放な老女を演じていて素晴らしかった。邦題は恋愛映画の雰囲気だが、原題はThe Midwife(助産師)。シングルマザーの助産師カトリーヌ・フロが演じるクレールと、血のつながらない母親ベアトリス(カトリーヌ・ドヌーヴ)の、互いにすれ違い、傷つけ、許し合うチリチリするような緊張感と情感豊かな演技が印象深かった。寸評でも触れたが、パリで助産師として働く等身大と思われる女性が描かれてことも好感がもてた。

   カトリーヌ・ドヌーヴの大胆で精細な演技は、映画評論ふうに言えば「老いてなお新境地を開拓」というふうな惹句になるのだろうが、『シェルブールの雨傘』(1964年)から50年以上を経て、堂々と老いの深さ豊かさを演じるこの老女優と、是枝監督との、それこそ「新境地」に期待したい。年齢のことを言っては何だが、彼女は1943年生まれ。今年75歳、私より10歳年上である。

 

 

 『もしも人生に戦争が起こったら~ヒロシマを知るある夫婦の願い~』(居森公照・いのちのことば社)という本をいただいた。
   先月この出版社から何度か電話があった。「居森さんの新著であなたのことに少し触れている。差し支えないだろうか」という問い合わせだった。


 公照さんは被爆者の語り部として活動された居森清子さんのおつれあい。15年前の2003年、私は偶然、新聞の県版で清子さんのことを知った。

   清子さんは、爆心直下の島外科から350㍍の本川国民学校被爆、6年生だった。校舎が、当時としては珍しい鉄筋の建物であったこと、ちょうど1階校舎の端の下駄箱付近にいたことから、奇跡的に一命をとりとめる。この距離で戦後を生き延びた人は皆無である。

   人が一瞬にして亡くなることは悲惨極まりないことだが、大惨事の中から生き延びることも、大変な労苦を背負うことになるものだ。その事情についてはぜひ本書を読んでいただきたいが、12歳の少女が69歳になるまで、その被爆体験を一切話してこなかったことからも、その辛苦のすさまじさが想像できる。

   2003年当時、私は中学校の教員としてヒロシマ修学旅行に取り組んで10年ほど。2校目、東鴨居中学校で2回目の修学旅行を前に事前学習に取り組んでいた。

   すぐに新聞社に連絡。朝日新聞の横浜支局だったが、まるで待っていたかのように連絡先を教えてくれた。感度のいい記者がいたのだ。いまなら個人情報云々でそうはいかない。

   居森さんのお宅は、横浜の下町。先般亡くなった落語家の桂歌丸の住まいの近くである。考えるより動くことというのが、それまでの10年間の事前学習の一つの教訓。次の日には、私は居森さんのお宅のリビングに坐っていた。

   1か月後に居森さんご夫妻が来校、小さなからだで原稿をもって椅子に坐ってのお話だった。これが、居森清子さんが語り部として初めて中学生にご自身の体験を話された会となった。 

   1974年以降、清子さんは原爆症放射線障害の諸症状に苦しみ、甲状腺膵臓、大腸(2回)、脳の髄膜とがんの手術を繰り返していた。私がお会いした時にはペインクリニックへも通院されていた。

  たくさんの中学生の前で話すことは大変な負担であるのに、それ以降清子さんは、私の次の赴任校もえぎ野中をはじめ、市内の中学校で長くお話を続けられた。

   講演直前に入院されて取りやめになることもあり、直後に入院されることもあった。

 中学生にとっては、清子さんのお話はもちろん大変な衝撃的なものであったが、それ以上に、いつも手を取り寄り添って歩く公照さんとの姿が印象強く、感想の中にはそのことに触れるものが多かったことを憶えている。

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いのちの子ことば社フォレストブックス 定価(本体1400円+税)

発刊日は2018年8月6日である。ネット上では予約受付中となっている。 

 

長い闘病ののち、2016年4月2日に清子さんは亡くなる。
語り部としての活動は10年に及んだ。

 

   教会で行われた告別式では、40年にわたって清子さんの原爆症の治療にあたってきた鎌田七男医師(元広島大学原爆放射能医学研究所所長、現広島大学名誉教授)の、清子さんを敬してやまない思いのこもった挨拶が印象的だった。

 司会はNHK広島支局時代から、居森さんご夫妻と親子のようにお付き合いを続けてきたアナウンサーの江崎史恵さんが担当した。

  清子さん死去の報は全国紙各紙で報じられたが、告別式は清子さんの遺志でマスコミの入らない小さなものに。私には、公照さんのあいさつも含めて忘れられない告別式となった。

  さきほど久しぶりに公照さんに電話をした。わずかに間をおいて「これはこれは、赤田先生」、声に力が感じられた。

「やっと清子の思いを形にすることにできました」。

 公照さんは清子さんの遺志を継いで、今でも中学生に清子さんの被爆体験を語り継いでいる。本書の中にも、今年3月、神奈川区の錦台中学の体育館で話された写真が載っている。
 

   たくさんの方にこの本を手に取ってほしいと思う。一人の被爆者の戦争と原爆、夫妻の戦後の痛苦の人生がここにあると思うからである。   

 公照さんは、今年83歳になる。

 

 

 

 

 

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今朝のらい