韓国映画『わたしたち 우리들』は、静より動、淡より濃、穏より激という韓国映画への印象は偏見なのかもしれないなあと思わされる

「わたしたち」(2015年・韓国・原題:「우리들」(わたしたち)「The World of Us」・94分)は、忘れられない映画である。ディテールは忘れかけているが、みて半年も経つのにまだなんとなくみたときの肌感覚が残っている。

 11歳の女の子たちの話である。

 映画の中に流れる韓国映画っぽくない何とも言えないゆったりとしたリズムと、子どもの表情を捉えるカメラがとにかくいいのだ。何度も何度も重ねられる主演のソンを演じるチェ・スインのアップは、驚くほど雄弁で想像力を刺激する。ソンの弟に至っては、小さな存在なのに映画全体を包み込む不思議な存在になっている。

 監督ユ・ガウンの子どもの世界を捉える視点は、『君はいい子』の呉美保、『万引き家族』の是枝裕和に通じるものがある。あたたかくて鋭い。

f:id:keisuke42001:20180715094953j:plain右側がソン、左側がジエ

 啓蒙的な映画ではない。知識や経験のない(少ない)子どもには独特の世界観があり、時間の流れがある。時にそれが破滅的な方向へ向かう時もあれば、融和的な方向へ向かうことも。親や社会の影響をまともに受けながらも、大人とは違う関係の結びつき、あり方を子どもは探る。残酷な子どもがいるのではない、子どもが残酷であることは、ある意味自然なことでもあるのだ。それは関係のありかたの一態様であり、だからいつも簡単に逆転することもある。
 

 韓国では、20年ほど前には「いじめ」という言葉がそのまま使われていた時代があったという。現在は「ワンタ(완타)」と呼ばれるらしいが、同じ東アジアにあって集団を優先する発想を抱えもってきた民族として、いじめはこの国でも「目立つこと」を忌避することから生まれるようだ。

 映画はいじめを縦糸にして流れていくが、厳しい労働のはざまでアルコールに依存気味の父親の言動が気にかかるし、その病気の父親(ソンの祖父)との親子間のいかんともしがたい齟齬が示唆され、いじめっ子のジア(ソン・ヘイン)をめぐる家庭の事情も理屈っぽくなく提示される。いずれも日本社会とそっくりかさなる問題が横糸となっている。

 そのなかでほっとさせられるのが、ソンの母親のなんともいえない自然な包容力と、随所で光る弟の言動だ。

 94分という今では短い部類に入る映画だが、通奏低音は一貫して豊かな響きを醸し出している。静より動、淡より濃、穏より激という韓国映画への印象は偏見なのかもしれないなあと思わされるほどにしっとりした映画である。ユ・ガウンの次回作が楽しみである。

 

f:id:keisuke42001:20180715095337j:plain庭でとれたみょうが。