『THE GUILTY ギルティ』(2018年・デンマーク・88分)上質なサスペンス。(ネタバレ少しあり)

   『THE GUILTY ギルティ』(2018年・デンマーク・88分)を「あつぎのえいがかん

kiki」でみた。封切りから2か月。ようやく2番館にやってきた。


 原題は「Den skyldige」、グーグルのデンマーク語翻訳にかけてみて「犯人」という意味だということが分かった。

 配給会社の命名だと思うが、邪魔だし、踏み込みすぎだ。

 日本では「解釈」が邦題に出てしまう、その結果、映画をみる方のイメージを狭めてしまうことが多い。

 欧米の映画の題名は、基本的に最低限の情報を提示するさっぱりしたものが多い。主人公の名前とか舞台となる土地の名前とかだ。日本ではそういうのはあまり受けない。「これでどうだ?ほうら、見たくなっただろう?」という、えげつないものが多い。だから淡白なタイトルはあまり受けない。悪循環。

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 この映画に限って言えば「犯人」のほうが、全編見終わってみれば深みがあるかなと思う。『THE GUILTY ギルティ』はあざとすぎる。

 

 過去のある事件をきっかけに警察官として一線を退いたアスガーは、いまは緊急通報指令室のオペレーターとして、交通事故の搬送を遠隔手配するなど、電話越しに小さな事件に応対する日々を送っている。そんなある日、アスガーは、今まさに誘拐されているという女性からの通報を受ける。車の発進音や女性の声、そして犯人の息づかいなど、電話から聞こえるかすかな音だけを頼りに、アスガーは事件に対処しなければならず……。(映画。COMから)

予告編  https://www.youtube.com/watch?v=bocuEY3Itsc

 

 これを読んだだけでも、映画というよりどちらかと云えば演劇的な作品であることがわかる。事実、ほとんどのシーンがアスガ―(ヤコブ・セーダーグレン)の表情を追う。加害者も被害者も犯行現場も出てこない。だから観客は、アスガ―に仮託、同化しながら事件の経緯、変化を追体験しなければならない。


 警察の緊急通報指令室。ヘッドセットをつけた警察官が何人かいて市民からの通報を受けている。アスガーは熱心とは言えず、私用電話がかかってくると上司から注意される。周りとアスガーの関係はぎくしゃくしている。アスガーは「一線を退いた」のではなく、業務上のミス、間違って若者を射殺してしまった事件で起訴されており、その裁判が続いていることが後々分かってくる。アスガー自身が鬱屈したものを抱えているなかで、ある通報を受けることから事件が始まる。

   
 冒頭から感じられるアスガーのバランスの悪さ。仕事熱心であり、正義感も強いのだが、むらっ気というか全体的な状況をフェアに判断できないところがある。いろいろやっても報われない仕事、それでも忙しく立ち回らなくてはならない警察官全般に共通する「疲労」のようなものを、作り手は意識しているのではないかと思った。それは、アルコールや薬にかぎらず、警察官ならそれぐらいやれと言った得手勝手な言い分への嫌気、市民の放埓な権利意識に対する疲労でもある。

 

 事件は、イーベンと名乗る女性からの通報から始まる。イーベンは元の夫であるミカエルに拉致されたクルマの中から電話をしている。緊急事態と判断したアスガーは、なぜかこれを一人で仕切ろうとする。このへんが全くバランスが悪いのだが、周囲もその異様な雰囲気に気づいてもよさそうなものなのに、途中から別室にこもってイーベンやミカエルとやり取りするアスガーを、特に咎めることもない。

 

 アスガーはイーベンに自宅にいる子どもと話しているようにミカエルには見せかけるように細工する。何とかしてイーベンが逃げ出せるきっかけを電話で必死に伝えようとするアスガー。でも、どこかイーベンの反応がうつろでもある。そのうちに家の中の「蛇」の話になり・・・。

 一方、携帯電話をも駆使しながら同時にアスガーは、友人の警官にイーベンの自宅を訪問させる。そこには・・・。


 アスガーは自分の思い違いがとんでもない事態に向かっていることに気づき、動転する。そうして、イーベンに対して自分の起こした発砲事件の真相についてまで吐露してしまう。友人に頼んだ偽証も自ら破棄してしまう。アスガーの中では、あれもこれもみな取っ散らかってしまって、何一つ整理されない。


 サスペンスドラマとしてとっても上質のものだと思った。演劇的ではあるけれども、実際に芝居にしてしまえば、かえって盛り上がりのないものになってしまうかもしれない。
 カメラと音声、とりわけ情報を音声に頼らざるを得ない映画なのだが、無機質な通信の音と、そこに挟み込まれる肉声が緊密な空間をつくっていて惹き込まれる。さらに、アスガーに限らずイーベンやミカエルが抱える回復不能の「疲労」、デンマークの社会全体に広がる病理的な「疲労」のようなものが感じられた。ラストも救いはない。

 

 

ルミナスコールの定期演奏会 戦争を知らない子供たち

www.youtube.com    朝の気温が18℃近い。ずいぶん温かくなった。

    散歩も今朝はシャツ一枚。ライのスリングを肩にかけると少し暑いくらいだ。

 境川には鴨の子どもが目だつようになった。今朝、雄雌3羽が並んで水面を滑っているのを見た。マガモの子だろうか、コガモの子だろうか。よくわからない。


 河畔のあちこちで八重桜が満開だ。木によって花びらのまとまりの大きさがずい分違う。鶴間小学校の八重桜は、ピンクもひときわ濃く、大きい。

 

 若いころ、八重桜はどぎつすぎてあまり好きではなかった。

 50代も半ばを過ぎたころから八重もなかなかいいものだと思うようになった。

 年をとれば淡白なものに目がいきそうだが、そうでもないようだ。自分の中に、どぎついまでのエネルギッシュなものが枯渇してくると、逆に自分の外にそうしたものを求めるのだろうか。


 かつて、中学の教員をしていたころ、中学生が自然の風物に眼がいかないのは、中学生自身が子ども性を保った、いわば自然そのものだからなのではないか、と考えたことがあった。自然は自然に驚かない、ということだ。

 それとは少し違うような気もするが、自分の中にあるものと失われたものとの関係が、視覚的な関心や興味にも関連するような気がする。

 

 カワウが、浅瀬で羽を広げている。羽を干しているのだそうだ。カモやサギではそういう姿は見たことがないから、カワウ独特の行動なのだろう。つれあいに写真を撮ってもらったが、スマホのカメラではこれが限界。カワウを包むどこか奇妙で不吉な感じの空気は写るべくもない。

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 中州いっぱいに菜の花が咲いている。その奥に水管橋、もっと奥に田園都市線が走っている。

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 3日に恩田川の桜とライの写真を載せてから20日が経つ。たった20日だが、確実に季節はめぐっている。

 

 

 14日、友人のIさんの奥さんK子さんが入っている合唱団ルミナスコールの定期演奏会が、戸塚駅に隣接する桜ホールであった。お二人にはなかなかお会いする機会はないのだが、毎年招待券を送っていただくので、ほぼ欠かさず二人で出かける。春の愉しみの一つ。

 戸塚までは直線では15㌔㍍ほどだが、私のところからだと、小田急線鶴間までバス、湘南台横浜市営地下鉄に乗り換えて戸塚という1時間弱の経路をたどる。横浜は路線を縦に結ぶ電車が少ない。


 ルミナスコールは30人ほどで構成される混声合唱団。いわゆる市民合唱団だ。今年も例年に増して丁寧な演奏に惹き込まれた。

 団員の方々はみなそれぞれ仕事などをもったアマチュアにも拘らず、プロのヴォイストレーナーと指揮者を迎えて、日々(と云っても通常週1回、演奏会前は合宿練習もするらしい)練習を積み重ねておられることが窺える演奏だった。

 粗削りという言葉とは対極の、精確な音程とやわらかなハーモニーは、入り口で足止めを食らわない。すっと音楽に入っていける。

 ヨゼフ・ガブリエル・ライベルガーのMissa brevisは、作曲者はもちろん曲も初めてだったが、何とも心地よい気持ちで聴くことができた。

 第2ステージは三善晃作曲混声合唱曲集『木とともに 人ともに』作詞は谷川俊太郎。最終曲の「生きる」はよく知られた「生きているということ」。小室等が70年代にこの詩に曲をつけてうたったが、それとはまた別のおもむきがあって楽しめた。

 第3ステージでホームソングメドレー、そして最終ステージが「混声合唱とピアノのために出発(たびだち)の歌」―1971年生まれのポップソングーと題された信長貴富編曲の作品。全部で5曲。「翼をください」「花嫁」「虹と雪のバラード」「戦争を知らない子供たち」「出発の歌」。71年と云えば私は高校3年生。どれもみななつかしい歌だ。

 

 ステージは何人かの団員の71年に関わるエピソードや写真を交えたナレーションが入り、とっても楽しいものだったのだが、驚いたのは「戦争を知らない子供たち」。

 この曲は、当時はもちろん大流行して現在に至るまで歌い継がれている。テレビのフォークソング特集などでは定番の曲なのだが、私は昔からこの曲があまり好きではない。端的に、杉田次郎の「戦争が終わって♪~」の「せ」に強いアクセントが来るうたい方が嫌いだった。

 それともうひとつ、自分の生まれた世代を「戦争を知らない子供たち」と規定することへの違和感がずっとあった。間違ってはいないけれど、「♪こど~もぉ たちぃさぁ~♪」と終わるのが気恥しいというか、あっけらかんと開き直っているようで乗れなかった。私は根暗い高校生だったのだ。

 

 今回、信長貴富の編曲を聴いて、驚いた。これは、こんな曲だったか?こんな編曲があるのか。なんだ?歌詞は同じなのに聴こえ方が違うぞ。

 信長は原曲を全く損なわずに、信長の世代から71年という時代に対してのひとつの批評というか、解釈のようなものを編曲というかたちで提示してくれているのではないかと思った。

若者たち ~昭和歌謡に見る4つの群像~ 【編曲委嘱初演】 / 合唱団お江戸コラリアーず - YouTube

 


 信長貴富という作曲家はとっても人気があるようだ。私はいつだったか彼の『くちびるに歌を─Hab' ein Lied auf den Lippen─』(2008年・初演は男声合唱)を聴いて鳥肌がたったことがある。これは大震災のあとにつくられた合唱曲『くちびるに歌を持て』(内藤淳一)とは全く別もので、歌詞も山本有三の訳とは別に信長が構成をしている。ドイツ語も交えた素晴らしい曲である。

くちびるに歌を - YouTube

 

 

 ということで、春の日曜日の午後、いい合唱を堪能できました。K子さん、来年も楽しみにしています。

 

防衛省、宮古島に弾薬庫建設。住民をだまし討ち。「明示的に説明しなかった」との防衛相の厚顔無恥ぶり。


    朝の気温が5℃。この時期としてはかなり低い。

 いつもの坂道の途中の畑のそら豆に、花がつき始めた。

 

 境川の水が珍しく濁っている。昨夜、上流で雨が降ったのだろう。

 今朝もカワセミを見つけた。葦の穂先に留まっている姿は、青い宝石。

 最近、毎日のように見かける。境川の水がきれいなせいか、それとも山に棲めなくなっているせいか。

 

 昨日、いつもカメラを持っている年配の顔見知りの方に、カワセミが餌を食べる瞬間のショットを見せて貰った。口に入りきらないほどの大きさの魚を呑み込もうとしているところ。

「いま、そこに留まっているんだけど、おなかが重くてすぐには飛び立てないみたいだよ」

 

 気温が低い分、桜が長持ちしているようだ。ほぼ満開のようだが、よくよく見てみると日当たりのせいなのか、まだつぼみをもっている桜もある。

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 午後、とりかかっている原稿が進まないので、ライを連れて恩田川の桜を見に行くことに。

 南多摩と云われるこの地域では、横浜の海軍道路と並んで、恩田川が桜の名所で通っている。

 桜並木の間を車が通る海軍道路と違い、恩田川は水流の両側から水面にかぶさるように桜が咲く。ゆったり味わえる400本のソメイヨシノだ。

 

 近くのスーパーにクルマをおかせてもらう。もちろん飲み物やお菓子に今夜のつまみも買って義理は果たす。

 ここから200mほど歩けば河畔に出る。

 駐車場を出たところで、年配の女性に声を掛けられる。「可愛いですね、この犬」なんてところだと思ったら、目に少し険がある。

 「あの、ワンちゃんのうんちが…」

 振り返るとライのものらしいうんちが3本、落ちている。いつもはクルクル回ってからするのだが、今日は歩きながらしたらしい。店から出たつれあいが片づけてくれる。

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 平日だがかなりの人出だ。密集した花びらが手に取るように見られるのがここの良いところ。花びらに包まれる感覚。

f:id:keisuke42001:20190403174010j:plain  へたくそですみません。ネットにはもっとずっときれいな写真が載っています。

 20分ほど歩いて休憩。昨年は弁当をつくってきたが、今日はお茶とお菓子。公園のようにゆったり坐る場所はないから、これくらいがちょうどいい。

 ライの視線に桜がどう映っているのかわからないが、つれあいが写真を撮っていて遅れると、四肢を踏ん張って待っている。桜よりつれあいを見ている。

 二人(つれあいとライ)のツーショットを撮る。私にしてはいい出来なのだが、非公開だとのこと。

 15時過ぎには帰宅する。1時間半ほどの花見だった。

 

 すぐに家電が鳴る。Sさんだ。会津での葬儀の途中で、お父様が亡くなったとの知らせを友人のAさんからもらった。

 家族葬とのことで供花を送ったのだが、その花が着いたとの電話だ。

 すこし呑んでいるようだ。気持ちはわかる。

 明日がお通夜で葬儀は明後日。まだまだ何も片付かないが、呑まずにいられないという。

 15分ほど、亡くなった経緯、おもに病院とのやり取りを聞く。話していると涙が出てきて困るという。

 呑みすぎないでね、と言って電話を切る。

 

 2月、3月と不祝儀が続いた。親しかった人が3人も亡くなった。みな大切な人たちだった。彼らは今、どこを歩いているのだろう。

 若いころに比べ、亡くなった人たちが遠いところへ行ってしまったという気がなくなった。 

 

 

 今日書きたかったのは、宮古島の弾薬庫問題だ。周辺住民に対して防衛省は、新設した陸上自衛隊宮古島駐屯地に「造らない」と説明してきた弾薬庫を造ったことが明らかになった。

 反対派の住民が入手した駐屯地内部の見取り図が、現状とかなり違う点に気がついたことが発端。

 まさに絵にかいたような「だまし討ち」である。

 

 造ってしまえばこっちのもの、という住民をバカにしたでたらめなやり口。さらに肚が立ったのは岩屋防衛相が衆議院安全保障委員会で謝罪した次の言葉。

 「保管を明示的に説明していなかった」

この官僚言葉の厚顔ぶりはなかなかのものだ。みな安倍に似てくる。

 ちゃんと翻訳すれば、

「ウソをついてでも、つくってしまえばこっちのものだと思ってやったが、それがどうかしたか?」

 こんなところだろう。

 防衛省は、弾薬庫は一時島外にもって行き、いずれは島内に持ち込むつもりだとか。反対派はもちろん、受けいれ派の住民も反対に転じるだろう。

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 割れていた地元に無理やりねじ込んだ建設、受け入れ派との信頼関係が音を立てて崩れた以上、行政は白紙撤回とするのが常識だ。いったん造られたものの危険性は半永久的に島を縛ることになる。こんな悪辣なやり口を許してはいけない。担当者の処分はもちろん、防衛大臣の更迭も射程に入れるのが筋だが、安倍政権では何をやっても、どんなでたらめを言っても守られてしまう。

 与那国、宮古、石垣と沖縄への基地負担が増えている。補助金や地元に落ちる隊員のお金と引き換えに、だ。

 先日も住民へのきちんとした説明がなされないまま、行政トップと手を打った防衛省石垣島への陸上自衛隊の配備を始めた。

 辺野古新基地建設を米軍普天間基地の返還をたてに進めようとする安倍政権、沖縄の基地負担を軽減すると言いながら、自衛隊の配備は息をひそめながら目立たぬように進めている。

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新元号。自分の時間は自分が支配する。自分の人生は自分のものなのだから。

 昨日(1日)は早朝から、テレビはどこのチャンネルも元号一色。

   NHKも「発表まであと〇時間ですね」などとやっている。

  早朝に出てから深夜までの一泊二日、新幹線と高速バスに長時間揺られて会津を往復した身には、なんとも喧しいことこの上ない。

 

 

 

 お昼にテレビのスイッチを入れると、テレ東の『昼めし旅』という番組。「あなたのご飯、見せてください」というやつだ。さすがテレ東、いつも些末なことには動ぜず娯楽に徹する姿勢、留飲を下げたのだが、その後ネットを見ると『昼めし旅』に喰い込んで報道番組を延長させたらしい。

 

      テレ東も新元号には負けるのか

 

 新元号は令和というらしい。万葉集大伴旅人の文章からとったという。

これに対して中国の反応は、

 

「このことは日本の内政だ。私たちはコメントしない」(中国外務省 耿爽報道官)

 

 木で鼻をくくるとはこのこと。中国らしい。それはそれでいいのではと思っていたら、少し経って

「新元号の出典が漢籍ではなく初めて日本古典となったことについて、中国紙の環球時報(電子版)は「中国の痕跡は消せない」の見出しで、引用元の「万葉集」も中国詩歌の影響を受けていると指摘。ネットユーザーの間では新元号のもともとの出典は後漢の文学者、張衡の韻文「帰田賦」だとの主張も目立った。」(産経新聞

 

 

中国の人たちのなかには、黙っていられない人が多いのか。

 トランプのアメリカファースト同様、中華思想からすれば小さな属国に過ぎない日本。所詮、文字も文化もみな我が国からの輸入品ではないか、えらそうにするなということだ。

 韓国の左派系新聞ハンギョレ

 

「新元号の出典について「安倍晋三政権の保守的色が日本の古典を出典とする年号誕生の背景にあるようだ」との分析を掲載した。」という。

 

 こちらは素直に日本の古典を出典とするということを認めたうえで、その保守的色を指摘。今の不安定な関係からすれば当然かもしれない。しかし欧米のマスコミの捉え方もこれに似ていて安倍政権のナショナリズム志向を指摘しているようだ。

 

 菅官房長官に続く記者会見で、滔々と令和について話す安倍首相を夕方のニュースでみた。懸命に出典を暗唱して、smapの「世界にひとつだけの花」につなげて思いっ切りの我田引水、安倍首相でなくとも、このタイミングでこの談話、下品だなと思う。

 憲法を持ち出すまでもなく、皇室の政治利用に抵触するのではないかとは毫も思わないのだ。逆にそのことを突きつけられれば、「新元号を寿ぐことのどこがいけない、私は首相という国の政治に責任を持つ立場から、率直な思いを述べたにすぎない。皆さんがツイッターなどでやっていることと同じ」などと早口で開き直りの口上をまくしたてるのだろう。率直だからいいとは言えない。率直さがかえって国の政治をゆがめることもあるのだ。

 

 さて、元号を日本の古典に出典を求めるというのなら、漢字ではなく日本でつくられたひらがながいいのではないか。

 ひらがなは漢字をもとにしたカタカナから出来たもの。カタカナも元のかたちが残っていて面白いけれど、戦時中に漢字と一緒に多用されたことを考えると、女文字と云われたひらがなの元号が良いのではないだろうか。それならば漢語ではなく和語が使える。

 ひかり元年、ふるさと15年、いなづま30年、たんぽぽ3年、ほととぎす23年なんてどうだろうか。

 

 西暦がいいと思っているわけではない。相対的に見て他国との比較や対照をするときには便利だと思うから使っている。長い間の性癖としてさまざまな書類に日にちを記入するとき、なるべく元号は使わないようにしてきた。

 平成も後半になってようやく元号、西暦どちらでも標記できるように「   年」とする書類が増えてきた。改元を契機にまた元号使用が増えていくのかもしれない。

 

 

 元号の制定は、制定する側の価値観に基づいて民衆の時間を支配しようとする行為だと私は思う。

 沖縄大学の学長を務めた横浜の元小学校教員加藤彰彦さんが推奨していた元号「戦後」を考えれば頷ける。アジア太平洋戦争を最後の戦争とするべく、戦後74年の時間を非戦という概念で支配するということだ。

 制定する側の価値観に基づいて「時間を支配」するという点でフェアな発想だと思う。

 そう考えれば、元号はそれぞれ自分の価値観に基づいて自分で決めればいいということになる。その人(たち)にとって、忘れられない事象をもとに。

 それは震災かもしれないし、地震かもしれないし飛行機事故、あるいは交通事故かもしれない。家族の死かもしれないし、ようやく念願かなって産まれ出た我が子かもしれない。新たな得恋までの失恋、相手の名前もいいだろう。

 この元号、家族や友人だけが知っていさえすればいいし、だれにも知られなくてもいい。たった一人で新年を迎えた時、カレンダーの表紙に「○○何年」と記入する。

自分の時間は自分が支配する。だれかに支配されたくない。自分の人生は自分のものなのだから。

 

3月がいく。さまざまなことあった桜かな、である。

   3月が終わる。一週間ほど前から咲き始めた桜が、今日ほぼ満開に。境川河畔の散歩道の枝垂れ桜も真っ白な花びらを散らし始めている。


 3月になって気温が10度を超える日にはライもいっしょに散歩をする。

 朝食を終えて「散歩、いく?」と声をかけると飛び上がって足にまとわりつく。

 マンションのエントランスを出るとすぐにウンチをする。そしてそのまま木蓮が咲いている坂を降りようとすると四肢を踏ん張って行き渋る。帰りたそうにマンションの方を振り返る。ウンチさえすればサンポはどうでもいいのか。サンポという言葉はライにはうんちと聞こえているのかもしれない。いずれにしろ犬の気持ちはむずかしい。

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庭でたった一つなったゆず。3月初めにヒヨドリのえさに。
 

 境川の河畔、大きな犬とすれ違うと、ライは目を合わさないようにして道の端によってやり過ごそうとする。

 わざわざ寄ってきて匂いを嗅ぐ小型犬も多いのだが、人見知りならぬ犬見知りとでもいうのだろうか、ライは迷惑そうにからだを斜に向けてよける。

 歩くときは不安そうに何度も私を見上げる。つれあいの後ろ姿が安心材料のよう。

 

 いつのまにかモノトーンの季節から花々が色鮮やかに咲く季節になった。少しだけ散り始めた花びら、満開の桜にライがよく似合う。親バカか。

 

 Mさんの告別式、日帰りで戻ったのが23日。ひどく疲れた感じがして24日は一日中、寝たり起きたり。

 25日の早朝にまた訃報が。会津に住む従兄が亡くなった。66歳。白血病である。

 一年前に心筋こうそくで倒れ、その後白血病を発症。長い入院生活が始まった。

 

 11月に見舞ったときには驚くほどに意気軒昂、正月に電話をくれた時にも声に張りがあった。しかし3月に入って急に病状が悪化、回復することなく不帰の人となった。

 

 夏から何度か小説を送った。はじめは新刊を送っていたが、お金もばかにならないから、作家を絞って自分が読んだ本を送った。「おれの好み、よくわかったねえ」と云われた。嬉しかった。

 彼は、早く亡くなった私の実母の実家の跡取りなのだが、この家に私は父や継母につれられてよく遊びに行ったものだった。


 親戚、いとこ同士などとというものには微妙な距離感があるものだが、小さい頃はともかく、私たちも物心ついたころにはなんとなく疎遠になった時期があった。

 成人してから親の代わりに親戚づきあいをするようになると、互いの立ち位置がはっきりするのか、また親しく付き合うようになった。同じ系統のいとこ会も細々と続いている。そのいとこたちの中で最初の物故者が彼ということになる。

 

 あすが告別式。一昨日には『雪、-1度』の予報が出ていたが、雪は先送りになった。「曇り一時雨」の予報。翌日は2月に亡くなったつれあいのいとこの納骨。喪服の着通し。何とも気の重い帰省である。

 

 

 暇に飽かせてだらだらと本を読み映画をみる。忘れる。まれに「これは読んだかな」と思いながら、最後まで読んでしまうこともある。読むこと、みることに意味はあるのか?ほとんど、ない。

 1月から見た映画、読んだ本の記録。

凍原(桜木紫乃・2012年・小学館)★★★★手練れ、というのだろうか。
俺俺(星野智幸・(2013年・新潮社)★★★★★小説の可能性。
呪文(星野智幸2015年・河出書房新社)★★★★面白い。

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地球星人(村田紗耶香・2018年・新潮社)★★★★★やっぱりすごい。
消滅世界(村田紗耶香・2015年・河出書房新社)★★★★ただものではない。
同時代小説(斉藤美奈子・2018年・岩波新書)★★★★力業。
小説の聖典いとうせいこう奥泉光・2005年集英社)★★★★大事な仕事。
それを愛とは呼ばず(桜木紫乃・2015年・幻冬舎)★★★ストーリーテラー
霧・ウラル(桜木紫乃・2015年・小学館)★★★★道東の空気。
坂の途中の家(角田光代・2016年・朝日新聞出版)★★★★★綿密、丹念。

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森に眠る魚(角田光代・2008年・双葉社)★★★★★同上。
死の島(小池真理子・2018年・双葉社)★★★★良い。けれど高村薫の『土の記』を再読したくなる。

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ラブレス(桜木紫乃・2013年・新潮社)★★★★
ルポ思想としての朝鮮籍中村一成・2017年・岩波書店)★★★★貴重な仕事。
在日一世の記録(小熊英二姜尚中編2008年・集英社)★★★★
バラカ(桐野夏生・2016年・集英社)★★★震災小説?成功しているのだろうか?
星の子(今村夏子・2017年・朝日新聞出版)★★★★★注目!

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硝子の葦(桜木紫乃・2014年・新潮社)★★★★
起終点ターミナル(桜木紫乃・2015年・小学館)★★★★★ずぬけて文章がいい。

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島々清しゃ(2016年・日本・100分・監督:新藤風・主演:伊藤葵・安藤サクラ)★★★
ふくろう(2003年・日本・119分・監督:新藤兼人・主演:大竹しのぶ)★これは駄作でしょう。
ザ・ウオーク(2015年・アメリカ・123分・原題:The Walk・監督:ロバート・ゼメキス・主演:ジョセフ・ゴードンレビット)★★★★楽しめた。しかし、やはり高所映画?は苦手だ。『クリフハンガー』もそうだった。

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アジョシ(2010年・韓国・119分・原題:THE MAN FROM NOWHERE・監督・イ・ジョンボム・主演:ウオン・ビン)★★★★韓国映画らしい味のある映画。

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三文役者(2000年・日本・126分・監督新藤兼人・主演:竹中直人・荻野目慶子)★★
傷だらけの二人(2014年・韓国・120分・原題:Man in Love・監督:ハン・ドンウク・主演:ファンジョンミン・ハン・ヘジン)★★★★先が読めるけれど、みてしまう。
義兄弟(2010年・韓国・116分・原題:SECRET REUNION・監督:チャン・フン・主演ソ:ン・ガンホ)★★★★ソン・ガンホカン・ドンウォンが対照的で魅力的。
皇帝のために(2014年・韓国・104分・原題:For the Emperor・監督:パク・サンジュン・主演:イ・ミンギ・パク・ソンウン)★★★野球のシーンがもっとあるといいのに。

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あぜ道のダンディ(2011年・日本・106分・監督:石井裕也・主演:光石研)★★★わかるけど、ほらここツボだよ、というあざとさを感じてしまう。
ミッションインポッシブル・ゴーストプロトコル(2011年・アメリカ・135分・監督:ブラッド・バード・主演:トム・クルーズ)★★★★これ、見逃していた。唸る。
7S(2015年・日本・96分・監督:藤井直人・主演:深水元基)★★こなれていない。
長い散歩(2006年・日本・136分・監督:奥田瑛二・主演:緒形拳高岡早紀)★★★長すぎる。
ナチスの犬(2012年・オランダ・118分・原題:Suskind・監督:ルドルフ・バン・デン・ブルグ・主演:ユルン・スピッツエンベル)★★★★邦題、イメージを狭めている。

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ミザリー(1990年・アメリカ・108分・原題:Misery・監督:ロブ・ライナー・主演:キャシー・ベイツ)★★★★何度目だろう。キャシー・ベイツが見たくなる。
インターステラー(2014年・米英合作・監督クリストファー・ノーラン・主演マシュー・デヴィッド・マコノヒー・アン・ハサウエイ)★★★★★ついていくのが精いっぱい。いやついていけたのか?

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まく子(2019年・日本・108分・監督鶴岡慧子・主演南雲慧ほか)★★★子どもはリアリティがあるのに大人は・・・。期待外れ。
グリーンブック(2018年・アメリカ・130分・監督ピーターファレリー・主演ビゴ・モーテンセン)★★★お前はどこに立ってこの映画をみているのか?と自問自答。いい気持ちにさせられる寸前でしばし沈思黙考。

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 大阪場所。早朝のNHK、相撲ダイジェストをよく見た。

 貴景勝大関昇進の口上。相撲に「武士道精神」はいらないでしょう。悩み続ける等身大の若者、貴景勝でいい。

 白鵬の三本締め。横綱審議会からクレームがついた。処分が出るかもしれないとのこと。『まだ「神送り」が終わっていないのに一力士が勝手にしめるな』とのこと。そんなに神がかっているなら暴力根絶など簡単な話だ。いや旧日本軍を考えれば、神がいるからこその暴力温存か。
 服部桜、今場所も負け続けている。宇良、休場。照ノ富士、序二段で優勝。二人とも早く戻ってきてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

人生は痛快な出会いと不思議な展開にあふれている。楽しい出会いだった。Mさん、またいつか一献、豪快に飲みましょう。楽しみにしています。

   昨日の朝、大阪のMさんが亡くなったとのメールを、高槻のHさんからいただいた。

 

 昨年の10月に茨木のご自宅にお見舞いに伺った。お酒はなかったが、いつものように気の置けない仲間たちとの談論風発。久しぶりに楽しい時間だった。

 

 まさかこんなに早いお別れになるとは思わなかった。

 

 Mさんは中学教員を40数年つとめた。 

 1989年、日教組が分裂した際、独立組合大阪教育合同労組を結成、初代執行委員長となり長く務めた。大阪教育合同は、週刊新潮をして「日本で最も過激な組合」と言わしめた混合組合。その12年前に独立した横校労ほか全国の少数の独立組合と気脈を通じるようになっていく。

 

 その後、Mさんは教員の独立組合の連合体「全学労組」の代表を務めた。私は事務局長として長くコンビを組んだ。
 

 Hさんから、Mさんのお連れ合い、Sさんからのメールを転送してもらったのは、ついこの間3日前のことだ。

 そこには、あと1週間かあるいは10日ほど、とあった。

 正直、動転した。

 あのMさんが、死ぬのかと思った。私のよく知っているMさんが、がんとの闘いに負けるはずはないと思っていた。

 それほど生きる力の横溢する人だった。

 厳しい闘いではあるけれど、最後はMさんの勝利を信じていた。
 

 しかし、おつれあいのメールには、見舞いは近親者のみで、とあった。

 

 Mさんと出会って20数年になる。初めて親しくお話をしたのは、初めて文科省交渉に臨む会議の場だった。近づきがたい雰囲気をもった方だった。

 その後、互いに一組織の代表、事務局長となって支え合うことなど、想像もしていなかった。

 

 年回りは一回り近くも離れていたが、中学の現場の教員としての感覚は驚くほど似ていた。

 

 呑めば若干言葉数が増えたが、ふだんは寡黙な方だった。

 

 どこかでいつもつながっているという感覚、信頼している、されているという感覚があった。失礼かもしれないが、古い言葉で言えば「同志」という思いがあった。

 

 私にとっては、Mさんはまた一つの新しい世界だった。

 

 いずれにしろ、お別れは誰にでもいつかは訪れる。

 

 あす、告別式。大阪はもちろん九州や静岡、埼玉、千葉、静岡、愛知から集まる仲間とともにしっかり見送ってあげたい。

 

 Mさん、ありがとうございました。とってもいいお付き合いでした。

 おかげで私の人生にも少し幅ができました。

 いつかそちらでまた一献。

 Mさん、横浜・野毛の萬里、夕暮れ時

「ビール、10本!」

 の野太い声が聞こえそうです。

 

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3・11の事故のあと、いずれこうした集団的な発病の事態が起きたとしても「原発時の影響とまでは云い切れない」として放置されていくのではないかという懸念が巷で言い交されたが、今まさにそうなっているのではないか

 

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 今朝の新聞に水泳の池江璃花子選手の記事があった。無菌室での厳しい治療、闘病生活が続いているという記事だ。


 私にも、友人や親せきに白血病と闘った人、闘い続けている人がいる。彼らの話を聴くだに、この病気との闘い、治療は大変なものだとつくづく思う。

 

 池江選手は2月の半ばに病状を公表した。

 直後に五輪相の発言があり、不適切だとの批判を浴びた。

 

 「正直なところ、びっくりしましたね。聞いて。本当に。病気のことなので、早く治療に専念していただいて、一日も早く元気な姿に戻ってもらいたいというのが、私の率直な気持ちですね」

 --競泳の中ではですね…

 「本当に、そう、金メダル候補ですからねえ。日本が本当に期待している選手ですからねえ。本当にがっかりしております。やはり、早く治療に専念していただいて、頑張っていただきたい。また元気な姿を見たいですよ。そうですね」

 --大臣はこれまで、池江選手の活躍をどのようにご覧になられてましたか

 「いやあ、日本が誇るべきスポーツの選手だと思いますよね。われわれがほんとに誇りとするものなので。最近水泳が非常に盛り上がっているときでもありますし、オリンピック担当大臣としては、オリンピックで水泳の部分をね、非常に期待している部分があるんですよね。一人リードする選手がいると、みんなその人につられてね、全体が盛り上がりますからね。そういった盛り上がりがね、若干下火にならないかなと思って、ちょっと心配していますよね。ですから、われわれも一生懸命頑張って、いろんな環境整備をやりますけど。とにかく治療に専念して、元気な姿を見せていただいて、また、スポーツ界の花形として、頑張っていただきたいというのが私の考えですね」

 

たしかに呑み屋で話しているような、一ファンのような発言で、責任ある政治家のものは思えなかった。とは言えあんなによってたかってしなくてもとも思った。桜田大臣だからこその強いバッシングという印象だった。

 それよりも私は以下の橋本聖子議員の発言の方に大きな違和感を感じた。

 

「スポーツや五輪、パラリンピックに神様がいるとするならば、今回、池江璃花子の体を使って、五輪、パラリンピックをもっと大きな視点で考えなさい、と言ってきたのかなと思いました」

「あらゆる問題が去年から起きていました。あらゆる面で心配、ご迷惑をおかけしてきました。悩んでいる選手もいる。どうしたら良いのか分からない人もスポーツ界にはいる。ガバナンス、コンプライアンスをしっかりしないといけないと思って、五輪、パラリンピックを1年半前を迎えているスポーツ界」

「池江選手が素晴らしい発信をしてくれたことによって、スポーツ界全体がそんなことで悩んでいるべきじゃないんだ、そんなことで、大きな事ではあるけど、ガバナンスやコンプライアンスで悩んでいる場合じゃない、もっと前向きにしっかりやりなさいよ、という発信を、池江選手を使って私達に叱咤激励してきてくれているのかとさえ思いました」

 

 我田引水。自分の言いたいことのために池江選手を利用しているという点で、桜田発言より政治的で悪質なものを感じる。


 それ以降は、池江選手についてのコメントはどこからも出てこない。個人の病状に対して「言い方を気をつけないと大変だよ」といったいわば「唇寒し」の空気があることは否めない。


 それとは別に、彼女は江戸川区民で、彼女が幼少時から練習を続けてきたのは区内のプールであり、それもセシウム汚染が激しいと云われていた江戸川の金町浄水場エリアだったこと、についてはマスコミは全く触れていないことが異様に思われる。

 

 ネット上ではさまざまに指摘されているのにマスコミが触れないという構造は、よくあることで、底にはいつも何か根深いものがあって、さまざまな微妙な判断とある立場への忖度があるのが常だ。


 彼女が必死で病気と闘っているときに、東電福島第一原発の事故との関連を言い出すのは得策ではない、むしろ彼女の治療への意気を阻喪するものだという考えもわからないでもない。それよりも、一つの「物語」の進行に対して、それに冷水をかけるようなことをしてバッシングを呼び込みたくない、という空気があるのではないだろうか。

 

 それは現在、多くのマスコミが、フクシマの事故の影響による甲状腺がんなどの増加について報道を控えている問題とつながっていると思う。

 

 何より池江選手の白血病が東電の事故と関連があるとなれば、東京オリンピックをフクシマ隠しに利用してきた政権にとっては大打撃となるからだ。無意識の忖度?嫌々意識的だと私は思う。


 東京オリンピックまで500日を切った!

 聖火リレーのスタート地点は福島のJビレッジ!

 

と華々しく報じられ、東京マラソンをはじめ、オリンピック、パラリンピックの各種目の選手選定のデッドヒート、そして改元を含めた皇室のリニューアル、そんな中では、震災後8年を経ていまだ帰還を果たせない多くの避難民がいることや、2563人もの行方不明者のこと、補助金打ち切りによる多くの生活困難者のこと、融資の返済が立ち行かなくなって倒産する多くの企業のこと、福島県内のモニタリングポストの多くが撤去されることに対して反対の声をあげている人々がいること、事故直後から続く被爆データ隠しも含めた「暗い」ニュースは端の方に追いやられる。


 そうした中で、池江選手は、圧倒的な能力を発揮した水泳にとどまらない、難病と闘う意欲の高さと純粋さという、トップアスリートとしての優れた個人を超えた愛すべき純粋無垢な若者の物語として語られていく。

 

 彼女の寛解を願わない人はいない。しかし若い世代には発病の可能性におびえている多くの若者たち、また実際にがんを発症しながら、それもまた「個人」の物語にすり替えられている人々、彼らの池江選手への思いは、私たちとは違ったもっと切実なものがあるはずだ。

 

 3・11の事故のあと、いずれこうした集団的な発病の事態が起きたとしても「原発時の影響とまでは云い切れない」として放置されていくのではないかという懸念が巷で言い交されたが、今まさにそうなっていること、政権の悪辣さだけでなく、人々の善意すらそうした懸念を覆い隠していることに否を唱えないといけないのではないかと思う。

 

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