ルミナスコールの定期演奏会 戦争を知らない子供たち

www.youtube.com    朝の気温が18℃近い。ずいぶん温かくなった。

    散歩も今朝はシャツ一枚。ライのスリングを肩にかけると少し暑いくらいだ。

 境川には鴨の子どもが目だつようになった。今朝、雄雌3羽が並んで水面を滑っているのを見た。マガモの子だろうか、コガモの子だろうか。よくわからない。


 河畔のあちこちで八重桜が満開だ。木によって花びらのまとまりの大きさがずい分違う。鶴間小学校の八重桜は、ピンクもひときわ濃く、大きい。

 

 若いころ、八重桜はどぎつすぎてあまり好きではなかった。

 50代も半ばを過ぎたころから八重もなかなかいいものだと思うようになった。

 年をとれば淡白なものに目がいきそうだが、そうでもないようだ。自分の中に、どぎついまでのエネルギッシュなものが枯渇してくると、逆に自分の外にそうしたものを求めるのだろうか。


 かつて、中学の教員をしていたころ、中学生が自然の風物に眼がいかないのは、中学生自身が子ども性を保った、いわば自然そのものだからなのではないか、と考えたことがあった。自然は自然に驚かない、ということだ。

 それとは少し違うような気もするが、自分の中にあるものと失われたものとの関係が、視覚的な関心や興味にも関連するような気がする。

 

 カワウが、浅瀬で羽を広げている。羽を干しているのだそうだ。カモやサギではそういう姿は見たことがないから、カワウ独特の行動なのだろう。つれあいに写真を撮ってもらったが、スマホのカメラではこれが限界。カワウを包むどこか奇妙で不吉な感じの空気は写るべくもない。

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 中州いっぱいに菜の花が咲いている。その奥に水管橋、もっと奥に田園都市線が走っている。

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 3日に恩田川の桜とライの写真を載せてから20日が経つ。たった20日だが、確実に季節はめぐっている。

 

 

 14日、友人のIさんの奥さんK子さんが入っている合唱団ルミナスコールの定期演奏会が、戸塚駅に隣接する桜ホールであった。お二人にはなかなかお会いする機会はないのだが、毎年招待券を送っていただくので、ほぼ欠かさず二人で出かける。春の愉しみの一つ。

 戸塚までは直線では15㌔㍍ほどだが、私のところからだと、小田急線鶴間までバス、湘南台横浜市営地下鉄に乗り換えて戸塚という1時間弱の経路をたどる。横浜は路線を縦に結ぶ電車が少ない。


 ルミナスコールは30人ほどで構成される混声合唱団。いわゆる市民合唱団だ。今年も例年に増して丁寧な演奏に惹き込まれた。

 団員の方々はみなそれぞれ仕事などをもったアマチュアにも拘らず、プロのヴォイストレーナーと指揮者を迎えて、日々(と云っても通常週1回、演奏会前は合宿練習もするらしい)練習を積み重ねておられることが窺える演奏だった。

 粗削りという言葉とは対極の、精確な音程とやわらかなハーモニーは、入り口で足止めを食らわない。すっと音楽に入っていける。

 ヨゼフ・ガブリエル・ライベルガーのMissa brevisは、作曲者はもちろん曲も初めてだったが、何とも心地よい気持ちで聴くことができた。

 第2ステージは三善晃作曲混声合唱曲集『木とともに 人ともに』作詞は谷川俊太郎。最終曲の「生きる」はよく知られた「生きているということ」。小室等が70年代にこの詩に曲をつけてうたったが、それとはまた別のおもむきがあって楽しめた。

 第3ステージでホームソングメドレー、そして最終ステージが「混声合唱とピアノのために出発(たびだち)の歌」―1971年生まれのポップソングーと題された信長貴富編曲の作品。全部で5曲。「翼をください」「花嫁」「虹と雪のバラード」「戦争を知らない子供たち」「出発の歌」。71年と云えば私は高校3年生。どれもみななつかしい歌だ。

 

 ステージは何人かの団員の71年に関わるエピソードや写真を交えたナレーションが入り、とっても楽しいものだったのだが、驚いたのは「戦争を知らない子供たち」。

 この曲は、当時はもちろん大流行して現在に至るまで歌い継がれている。テレビのフォークソング特集などでは定番の曲なのだが、私は昔からこの曲があまり好きではない。端的に、杉田次郎の「戦争が終わって♪~」の「せ」に強いアクセントが来るうたい方が嫌いだった。

 それともうひとつ、自分の生まれた世代を「戦争を知らない子供たち」と規定することへの違和感がずっとあった。間違ってはいないけれど、「♪こど~もぉ たちぃさぁ~♪」と終わるのが気恥しいというか、あっけらかんと開き直っているようで乗れなかった。私は根暗い高校生だったのだ。

 

 今回、信長貴富の編曲を聴いて、驚いた。これは、こんな曲だったか?こんな編曲があるのか。なんだ?歌詞は同じなのに聴こえ方が違うぞ。

 信長は原曲を全く損なわずに、信長の世代から71年という時代に対してのひとつの批評というか、解釈のようなものを編曲というかたちで提示してくれているのではないかと思った。

若者たち ~昭和歌謡に見る4つの群像~ 【編曲委嘱初演】 / 合唱団お江戸コラリアーず - YouTube

 


 信長貴富という作曲家はとっても人気があるようだ。私はいつだったか彼の『くちびるに歌を─Hab' ein Lied auf den Lippen─』(2008年・初演は男声合唱)を聴いて鳥肌がたったことがある。これは大震災のあとにつくられた合唱曲『くちびるに歌を持て』(内藤淳一)とは全く別もので、歌詞も山本有三の訳とは別に信長が構成をしている。ドイツ語も交えた素晴らしい曲である。

くちびるに歌を - YouTube

 

 

 ということで、春の日曜日の午後、いい合唱を堪能できました。K子さん、来年も楽しみにしています。