3・11の事故のあと、いずれこうした集団的な発病の事態が起きたとしても「原発時の影響とまでは云い切れない」として放置されていくのではないかという懸念が巷で言い交されたが、今まさにそうなっているのではないか

 

f:id:keisuke42001:20190316101222j:plain


 今朝の新聞に水泳の池江璃花子選手の記事があった。無菌室での厳しい治療、闘病生活が続いているという記事だ。


 私にも、友人や親せきに白血病と闘った人、闘い続けている人がいる。彼らの話を聴くだに、この病気との闘い、治療は大変なものだとつくづく思う。

 

 池江選手は2月の半ばに病状を公表した。

 直後に五輪相の発言があり、不適切だとの批判を浴びた。

 

 「正直なところ、びっくりしましたね。聞いて。本当に。病気のことなので、早く治療に専念していただいて、一日も早く元気な姿に戻ってもらいたいというのが、私の率直な気持ちですね」

 --競泳の中ではですね…

 「本当に、そう、金メダル候補ですからねえ。日本が本当に期待している選手ですからねえ。本当にがっかりしております。やはり、早く治療に専念していただいて、頑張っていただきたい。また元気な姿を見たいですよ。そうですね」

 --大臣はこれまで、池江選手の活躍をどのようにご覧になられてましたか

 「いやあ、日本が誇るべきスポーツの選手だと思いますよね。われわれがほんとに誇りとするものなので。最近水泳が非常に盛り上がっているときでもありますし、オリンピック担当大臣としては、オリンピックで水泳の部分をね、非常に期待している部分があるんですよね。一人リードする選手がいると、みんなその人につられてね、全体が盛り上がりますからね。そういった盛り上がりがね、若干下火にならないかなと思って、ちょっと心配していますよね。ですから、われわれも一生懸命頑張って、いろんな環境整備をやりますけど。とにかく治療に専念して、元気な姿を見せていただいて、また、スポーツ界の花形として、頑張っていただきたいというのが私の考えですね」

 

たしかに呑み屋で話しているような、一ファンのような発言で、責任ある政治家のものは思えなかった。とは言えあんなによってたかってしなくてもとも思った。桜田大臣だからこその強いバッシングという印象だった。

 それよりも私は以下の橋本聖子議員の発言の方に大きな違和感を感じた。

 

「スポーツや五輪、パラリンピックに神様がいるとするならば、今回、池江璃花子の体を使って、五輪、パラリンピックをもっと大きな視点で考えなさい、と言ってきたのかなと思いました」

「あらゆる問題が去年から起きていました。あらゆる面で心配、ご迷惑をおかけしてきました。悩んでいる選手もいる。どうしたら良いのか分からない人もスポーツ界にはいる。ガバナンス、コンプライアンスをしっかりしないといけないと思って、五輪、パラリンピックを1年半前を迎えているスポーツ界」

「池江選手が素晴らしい発信をしてくれたことによって、スポーツ界全体がそんなことで悩んでいるべきじゃないんだ、そんなことで、大きな事ではあるけど、ガバナンスやコンプライアンスで悩んでいる場合じゃない、もっと前向きにしっかりやりなさいよ、という発信を、池江選手を使って私達に叱咤激励してきてくれているのかとさえ思いました」

 

 我田引水。自分の言いたいことのために池江選手を利用しているという点で、桜田発言より政治的で悪質なものを感じる。


 それ以降は、池江選手についてのコメントはどこからも出てこない。個人の病状に対して「言い方を気をつけないと大変だよ」といったいわば「唇寒し」の空気があることは否めない。


 それとは別に、彼女は江戸川区民で、彼女が幼少時から練習を続けてきたのは区内のプールであり、それもセシウム汚染が激しいと云われていた江戸川の金町浄水場エリアだったこと、についてはマスコミは全く触れていないことが異様に思われる。

 

 ネット上ではさまざまに指摘されているのにマスコミが触れないという構造は、よくあることで、底にはいつも何か根深いものがあって、さまざまな微妙な判断とある立場への忖度があるのが常だ。


 彼女が必死で病気と闘っているときに、東電福島第一原発の事故との関連を言い出すのは得策ではない、むしろ彼女の治療への意気を阻喪するものだという考えもわからないでもない。それよりも、一つの「物語」の進行に対して、それに冷水をかけるようなことをしてバッシングを呼び込みたくない、という空気があるのではないだろうか。

 

 それは現在、多くのマスコミが、フクシマの事故の影響による甲状腺がんなどの増加について報道を控えている問題とつながっていると思う。

 

 何より池江選手の白血病が東電の事故と関連があるとなれば、東京オリンピックをフクシマ隠しに利用してきた政権にとっては大打撃となるからだ。無意識の忖度?嫌々意識的だと私は思う。


 東京オリンピックまで500日を切った!

 聖火リレーのスタート地点は福島のJビレッジ!

 

と華々しく報じられ、東京マラソンをはじめ、オリンピック、パラリンピックの各種目の選手選定のデッドヒート、そして改元を含めた皇室のリニューアル、そんな中では、震災後8年を経ていまだ帰還を果たせない多くの避難民がいることや、2563人もの行方不明者のこと、補助金打ち切りによる多くの生活困難者のこと、融資の返済が立ち行かなくなって倒産する多くの企業のこと、福島県内のモニタリングポストの多くが撤去されることに対して反対の声をあげている人々がいること、事故直後から続く被爆データ隠しも含めた「暗い」ニュースは端の方に追いやられる。


 そうした中で、池江選手は、圧倒的な能力を発揮した水泳にとどまらない、難病と闘う意欲の高さと純粋さという、トップアスリートとしての優れた個人を超えた愛すべき純粋無垢な若者の物語として語られていく。

 

 彼女の寛解を願わない人はいない。しかし若い世代には発病の可能性におびえている多くの若者たち、また実際にがんを発症しながら、それもまた「個人」の物語にすり替えられている人々、彼らの池江選手への思いは、私たちとは違ったもっと切実なものがあるはずだ。

 

 3・11の事故のあと、いずれこうした集団的な発病の事態が起きたとしても「原発時の影響とまでは云い切れない」として放置されていくのではないかという懸念が巷で言い交されたが、今まさにそうなっていること、政権の悪辣さだけでなく、人々の善意すらそうした懸念を覆い隠していることに否を唱えないといけないのではないかと思う。

 

f:id:keisuke42001:20190316111037j:plain