武田珈琲(石垣島・崎枝)のコーヒーと陶風舎(松江市東川津町)のコーヒーカップ? そして目の前にいるM君と、遠い昔のY君のこと。

 昨日一日、全国的に大荒れの天気。横浜も朝から暴風雨。

 

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 午後はからっと晴れた。気温は18度。久しぶりに午後の散歩。空も雲も秋空のように高い。渇水気味の境川にも潤いが戻った。ミモザの黄色が鮮やかだ。気持ちのいい午後。

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 ふたつ、紹介したいものがある。というかコマーシャルである。

 

 石垣島に出掛ける直前、つれあいが、公立学校に勤務していた退職者に配られる「公立学校共済だより」なる雑誌に、石垣島でコーヒーをつくっている若者の記事を見つけた。行ってみたいと云う。

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 滞在4日目に国立公園の一部となっている景勝地川平湾と、島いちばんの高さの於茂登岳(525.5㍍)登山口を訪れた。

 この日は朝から雨。こんな日は雨が止むとハブがよく出るという話を聞いたので、於茂登岳は登山口「車窓見学」ですませた。安価なツアーのようである。


 川平湾は透明度が高くグラスボートがよく知られているが、雨がパラパラ来ていたため砂浜に降りて写真を撮っただけ。客の呼び込みの人たちもはなから諦めているようで、手持無沙汰の体。


 近くに高峰酒造所の看板を見つける。泡盛「於茂登」をつくっているところ。

 40年前、初めて石垣島に来た時に、当時、若い市会議員だった当主にお話を伺った。

 沖縄自立論がしきりに語られた時期、地域政党沖縄社会大衆党が元気だったころの話だ。当時、30代半ばだった方だから、今では80歳近いだろうか。

 

「武田珈琲、探してみようよ」。

出かける前につれあいは武田コーヒーの情報をネットで集めたという。「とにかく難しい」「見つけにくい」。まるで泡盛の「入手困難」酒のよう。言われれば呑みたくなる、行きたくなる。


 住所をナビに入れる。枝番が・・・ない、というより一つ違いはあるのだが、そのものは出てこない。ナビにも載らないところか。

 まあ、一つ手前の番地を入れればなんとなるだろう。

 

 天気が少しずつ回復してくる。島を周遊する幹線道路から横道に入る。道はそこそこ広い。崎枝というのが集落の名前だ。少し行ったところに分かれ道。地面すれすれのところに10㌢四方の小さな表示。手がかり発見。字が消えかかっているが武田珈琲と読める。

 矢印に沿って進む。前にも後にもクルマはいない。両側に幅のある歩道。車が通らないのに歩道?延々と続く。帰途、本格的な自転車旅の人たちと何人もすれ違ったが、みな車道を走っていた。歩道には段差があるから走りづらいのだろう。となると歩道は誰のため?

 

 さきほどの表示から3,4キロ走っただろうか。

「入るとこ、見落としたかもしれないね」と言い合った頃、海側になる右側に小さな表示「武田珈琲」を見つける。
「あったね」「うん、あった」
今度は全くすれ違えない狭さ。前からクルマがきたら大変だ。両側は背の高い笹?がびっしり茂っている。
「ほんとにこんなところにあるのかね」
3分ほど走ると、建物が見えてくる。海に向かったテラスに男性の姿が。武田珈琲、到着。

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武田さんご夫妻

 久しぶりの客を迎えるように、気持ちのこもった「いらっしゃませ!」


 テラスで珈琲の試飲をいただきながら、武田さんの石垣島でコーヒーをつくるに至った経緯や測り知れない苦労について、何度も「もうやめた、帰ろう」と思った話や、生計を立てるためにやっている家庭教師のバイトのこと(高峰酒造書にもいっているらしい)、石垣島にきてすぐに結婚を決めたという奥さんは、元々ご両親がいくつか喫茶店をされていて自分も珈琲にどっぷりハマってきたという。コーヒーいのちの人生に訪れた大きな転換となった石垣島でのコーヒー修行と、家財道具を湘南ナンバーの軽乗用車に乗せてフェリーで渡ってきた話などを伺う。

 湘南ナンバーから話は盛り上がり、拙宅至近のグランベリーモールにもよく来たという話にも。今改装中で「グランベリーパーク」にリニューアルしていると云うと、「ええ、行ってみたあい!」。人里離れたところでコーヒーをつくっている人とは思えないほどの落差に大笑いする。

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 雨はすっかり上がり、青空が見え始めている。テラスを吹き抜ける風は少し湿り気を帯びていて、気持ちがいい。

 ほのかに甘みを感じさせるをコーヒーをいただき、2種類を購入。20分後に訪れた若者のカップルに写真を撮ってもらい辞去。


 ハワイ島でハワイコナの産地の農園を見学したことがある。豊かに実った大きな珈琲の実がつややかに実っていたいたのを憶えている。


 石垣島は、緯度こそハワイとほぼ同じだが、台風銀座でもある。

 石垣島でコーヒーをつくるのは至難の業。さまざまな技術を編み出さなければならないという。それでもこの辺境極まる土地で自分たちの好みのコーヒーをつくろうというお二人の意気込みはかけがえのないものだと思う。平凡な人生を歩んできた私たちからすれば信じられない人生。月並みだが、お二人の未来が素敵なものになることを願わずにはいられない。

 

 石垣島から戻った次の日、卒業生のM君と二俣川で会った。島根・松江在住の彼と会うのは25年ぶり。中2の学級担任、国語の担当というだけのつながりだが、卒業後もたびたび会ってよく話をした。映画の話題が多かったような気がする。馬が合うというか、気心の知れた間柄。どうして25年も会わなかったのだろうと思う。聞けば54歳だという。


 会って10分ほど。ついこの間呑んだよねというほど気を許している。彼のゆったりとした性格のなせる業だ。


 話をしているちに、出雲大社の近くで何段重ねかのそばを食べたということ(割り子そばという名前が出てこなかった)を思い出した。あの時は連絡先をもっておらず失敬したよと話すと、M君はお土産だと云って袋を取り出した。

 

 中には出雲そばとあごだし、そして奥さんが焼いたという蕎麦猪口が二つ。

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 門外漢にもシンプルでセンスの良さが感じられる一品。聞けば、松江の自宅に窯もあり、陶風舎という陶房を営んでいて、お店も開いているという。一緒にいただいた名刺からは作陶家松本尚子さんの穏やかで優しい雰囲気が感じられる。

 彼はこんな素敵な人と結婚していたのか!

f:id:keisuke42001:20190312151840j:plain名刺の表、裏?

 帰宅してもう一度箱を開けてみると、底の方に2枚お皿が入っている。蕎麦猪口の下に敷くものだろうか。いやいや蕎麦猪口に皿を敷くなんて見たことがない。では、別々に使うものか?などとつれあいと話しているうちに、「把手はないけれどコーヒーカップにもなるよね」ということになり、明朝、これでコーヒーを飲んでみた。なかなかよい。10日経つけれど、今日もこれで呑んでいる。

コーヒーカップf:id:keisuke42001:20190312151901j:plain

 

 さて、カウンターで呑んでいたのだが、となりの客がするっと話に入ってきた。アタマを剃りあげた坊さんのような頭をした人。同区内の中学の卒業生でM君の3つ下だという。あまりにきれいに光っているので触らせてもらう。ひとくさりアタマの手入れの苦労話を聞く。いつか役に立つかもしれない。 

 

 けっこうな話し好き。アタマの話が終わったからといって無下にするわけにもいかず、ふたりで彼の話を聞くことに。


 そのうちに、

「そっちの中学にかなりワルいのがいましてね、中3のときに校長を脅かして週に3日くれば卒業させろって約束しちゃったんですよね」

「いい人だったんすけど、私その人にめちゃくちゃ殴られましてね」。

 

 何?その話。よく知っている。Y君のことだ。

 

「それ、私のクラスの子。校長脅した?時も、そこにいたよ」

 

と私。

 地元で呑めばこういうこともある。

 脅したというより、彼にはなるべく早く卒業して働きたいという思いがあって校長に頼み込んだ形だった。校長も、それまでほとんど学校に来ていなかった彼のことだから、3日でもいいからしっかり学校に来なさいと伝えた。

 ただまずかったのは、校長がそれをペーパーにしてしまったことだ。

 

 どこからどうつながったのか、知られるはずもないペーパーが、次の日にはマスコミの知るところとなり、まず読売新聞の社会面トップに「校長脅し念書」というタイトルが躍っていた。あれが念書か?とは思ったが、万事休す。

 

 それから1か月ほどの狂騒曲?は忘れがたい。思い出したくもないが。

 80年代の初め、荒れる中学が全国を席巻した時代。町田の忠生中学事件などが起こったころだ。

 彼は並みのワルではなかったが、手先の器用な頭のいい生徒だった。卒業してから5年ほども付き合っただろうか。来歴はいろいろ支障があるから記さないが、苦労の多い人生を歩んだことは想像できる。

 

 彼とM君は年齢が3つ違うだけ。

 25年ぶりに会ってよもやま話をしているM君がここにいて、最後に会ったのがやはり25年ほど前になるY君は、いない。

 教員と生徒。逆方向の電車に乗っているようなすれ違いもあり、ときには接触事故を起こすようなこともある。かかわりなど全くない別路線のこともある。

 

いずれにしてもかかわりは長くて3年。互いの行き先はわからない。ほとんどの出会いは誤解による。誤解にはいい誤解とまずい誤解があるだけだ。

 

 ○○病の数値が気になるのだが、M君との話が中途半端になってしまい、別れがたく河岸をかえて1時間、話していうちに互いに少しろれつが回らなくなっていった。