「クビナガリュウとアンモナイトの化石展―白亜の大地に広がる北海道中川町から―」

11月27日   

 夕方、授業が終わったあと、図書館の隣にある文理学部資料館で「クビナガリュウとアンモナイトの化石展―白亜の大地に広がる北海道中川町から―」を見に行く。

 地理学科の学生が企画にかかわったというので誘われ行ったのだが、地球システム科の男子学生3人もいっしょに行くというので5人で。


 通い始めて3年目になるが、非常勤の講師室と教室以外行ったことがない。学食の場所も知らない。4時限目の授業なので学食はちょうど込む時間。一人で若者たちの間で食事をするのも気詰まりだから、昼食は下高井戸の駅前、日高屋などで済ませてくる。


 資料の印刷など準備に1時間余り、あとは授業を90分。講師室に戻り荷物を取って帰る、この繰り返し。講師に知り合いはいないからおしゃべりもしない。往復に3時間以上かかるからなにしろ早く帰りたい。それでも酒欲?に負けて時々駅前の蕎麦屋で“真澄”を呑む。


 初めての図書館と資料室。資料室はさほど広くはないが、照明が落とされていて少し薄暗くいい雰囲気。入場無料なのに、20頁以上あるカラー写真満載の立派なパンフレット。

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 エントランスに北海道の中川町で発掘された大小のアンモナイト、もちろんほんもの。すべて中川町から運ばれたもの。こんなに大きなアンモナイトは初めて。

 中央にナカガワクビナガリュウ、これは実物大のレプリカ。全長11㍍、日本一のクビナガリュウだそうだ。からだの半分ほどが首。1991年に、7200万年前の地層で発見されたのだそうだ。


 考古学など全くの門外漢、ただただ「すごいねえ」を繰り返す。「これ、私が発見したんですよ。石を割ったらそこに」と言って自分が発見したアンモナイトを嬉しそうに説明してれる学生。

 アンモナイト白亜紀1億2000万年前~1億年前の深海底にあったもの。

 中川町のことも知らなかった。聞けば、下高井戸にアンテナショップがあるという。ソフトクリームがうまいらしい。

 

 30分ほどの見学。最後に吉田類の責任編集という中川町のPR誌『旅人類』という冊子をもらう。吉田類さんが中川町のあちこちを、居酒屋だけでなく紹介している。「たびじんるい」と読むのだそうだが「たびびとるい」をかけているのだろう。
「わたし、ツーショット撮ったんです!」と学生がスマホの画面を見せてくれる。テレビで見るほろ酔い加減の吉田類さんと喜色満面の学生のツーショット。町の居酒屋らしい。ちょっとうらやましい。

 

うしろにクビナガリュウ

 出口近くのパソコンに、氷が割れて流れる画面が映し出されている。すごい迫力だ。「流氷?」。町内を流れる日本最北の大河天塩(てしお)川(全長256㎞、日本で4番目に長い川、北海道では石狩川に次ぐ)の映像。この川、は毎年全面結氷するのだそうだ。

 春になって氷が解けだし、一斉に流れだすその様子が映し出されていたのだ。河口のある天塩町付近では、川幅が300㍍にもなるというからまさに流氷のようなものだろう。


「これ、ぜひ」と言われてチラシを渡される。「天塩川 春 発信 in なかがわ2019」とある。


〈・・・この氷は、2月、3月と少しずつ気温が上がるにつれ、徐々に溶け出し、ある日、一気に流れていきます。この天塩川の氷の溶ける日、つまり、北海道中川町に春が訪れる日を予想するのが「天塩川 春 発信 in なかがわ」。応募者の中から、元も近い日時を予想された方には賞金10000円を進呈!近い順に20位まで入賞できると、中川町の特産品が当たります!〉


 ネットでもはがきで応募ができる。お一人様1回とのこと。長い厳寒の冬の終わり、春の訪れを予想する、北の町ゆえのイベント。1月1日から応募開始。
外に出ると、もう星が出ている。学生はみな「研究室に戻ります」と散っていく。私は駅前の蕎麦屋、坂本屋の“真澄”を目指す。

九州場所小括「175㌢の貴景勝が、自分より大きい力士に対して力負けせずに前へ出て突いていき、ここぞというところで見せるいなしと突き落とし、小気味のいい相撲が多かった。」

 前回、ライを入れる袋のことを“ハンモックのような”と書いた。名前を知らなかったのだ。もともとのライの飼い主、紗英と亮成の母親、つまり私たちの長女からラインで「あれはドッグスリングといいます」とメールが入った。調べてみるとバッグスリング、あるいはバックスリングという言い方もあるようだ。
 こう書いてもなかなかイメージがわかないと思うので、Amazonの画像を拝借する。

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若い女性がこんなふうに愛犬を入れて歩けば“さま”になる。しかし私が架けてライを入れると、ライがことのほか小さく見えて、袋と私ばかりが悪目立ちしてしまう。よくよく目を凝らさないとライが目に入らない。スリングというより、散歩に頭陀袋を下げて・・・このおっさんは何を考えているのか、といった具合になる。それでも犬好きの人は、私などには目もくれないで、ライをまっすぐに見ているのだが。


 このスリング、効用としてはからだを密着するので鼓動が伝わり、犬は安心して眠ってしまうというもの。犬を赤ちゃんに置き換えれば、前面仕様の「抱っこひも」のようなもの。

 飼い主にとって小型犬は、どんなに歳をとっても赤ちゃんのようなもの。周りから見ていると、そこまでしなくてもという向きも多いのではないか。私もついこの間まではそう思っていた。もともとチワワはそれほど散歩の必要のない犬。自分たちの散歩の時間を犬に無理強いするわけにもいかないので、40分のうち10分から15分はスリングを使うことになるわけだ。だったら置いていけばいいのに・・・。私もそう思っていた・・・。


 きりがないので、この話はここでやめる。どうも私はライにぞっこんらしい。

 

 九州場所が終わった。白鵬鶴竜、そして稀勢の里、後半には豪栄道も休んでしまった。お金を払っているわけではないから「金返せ!」とは言えないが、なんとも締まらない場所であった。


 日曜日に遊びに来た次女のところの3歳になる暁人は栃ノ心のファンだが、今場所怪力ぶりも影を潜め、成績も8勝7敗と今一つ。つれあいが好きな妙義龍は何とか8勝して勝ち越したが、嘉風は7勝8敗と負け越し。私の好きな北勝富士は7勝8敗。


 これといった用事のないときは、17時ごろからNHKの実況中継を見始める。17時半前には気がつくと手にはハイボール。いよいよ三役力士が登場し始め、いやがうえにも館内の空気は盛り上がり始め…ない。なんだか締まらないのだ。


 そろそろ「時間いっぱいだな」と思ってみていると、また仕切り? 一回分、いつものより多い。大関の取り組みになると2回分ぐらい多い気がする。日本相撲協会NHKとしっかり結託しているから18時にきっちり終了するように調整をしている。延びることはまずない。時間が余るということもあまりない。1,2分の余りならば「ただ今の取り組みをもう一度」ということで録画を見せる、あるいはインタビューを長くする。
しかし横綱3人と大関1人の4人がいなければ余る時間は20分にもなってしまう。
ではこのへんで場つなぎに「北の富士さんのトークショー」でも、なんて挟んでもらえれば嬉しいのだが、そうもいかないのでだらだらと仕切りの回数だけが増えることになる。


 そのうえ最近また「手つき」の判断があいまいになっている。
 片方の力士が両手をしっかりついて待っているのに、自分のタイミングだけで、手をつかずに立とうとする力士もいる。これを制してやり直しを命ずる行司もいれば、そのまま「立ち合い成立」としてしまう行司もいる。勝負審判員が思わず手をあげて止める場面もある。

f:id:keisuke42001:20181127104156j:plain私の好きな行司6代木村玉治郎


 力士からすれば、立ち合いのやり直しは体力、気力、作戦すべて今一度クリアすることになるから負担が大きい。出来れば止めてほしくないし、行司は行司で18時までと限られた時間のこともあるから、まあこのへんでいいっかと立たせることになる。ところが、今場所は時間がある、よし、せっかくだからきっちり行こうか、という会話があったのかどうかは分からないが、やり直しが多いような気がする。


 いつも思うことだが、相撲の“立ち合い”というやりかた。多くのスポーツの中でも特異なものだ。ふつうは審判が「始め!」「プレイボール!」と声をかけたり、「ジャンプボール」を仕切る。ホイッスルも吹く。ところが相撲は違う。「行司の軍配返りました!」と言っても、それで勝負が始まるわけではない。行司は双方が準備をする前に軍配を返して待つだけ。あとは両者が呼吸を「合わせて立つ」。つまり試合の始まりはぶつかり合う力士同士が決めるのだ。
早く先手を取りたいと思えば、手をつかずに立ちたいもの。両方がそう思えば、早めに手をつかないで立つことになる。私が小さかったころ、手つきはそれほど重視されていなかったように思う。しっかり手をつく力士は少なかった。
しかしこれが高じていくとどんどん手をつかないで立つことになる。手をつく力士とつかない力士の差も出てきてしまう。嘉風逸ノ城などはしっかり両手をついて待っているが、栃煌山などは相手がどれほど早く手をついていようとも、じりじり足の指でタイミングをはかってなかなか立たない(うちでは栃煌山を別名じりじり山と呼んでいる)。どこかで規制しなければということで「手つき」をきちんとやらせようということになったのだろう。


 で、この手つきをどうジャッジするかが行事や勝負審判で基準があいまいなことが、「締まらない」につながっていく。

 

 千秋楽に貴景勝は好調の錦木に勝った。高安は番付が下の御嶽海に力負け。これで貴景勝の優勝が決まった。貴乃花親方の退職、部屋がえ、そして貴乃花夫妻の離婚という激動の中での優勝。今日の東京新聞の「筆洗」は、貴景勝父子を親子鷹と讃え、さらに貴乃花親方の指導を大きく評価、「親子貴」と結んでいる。

 175㌢の貴景勝が、自分より大きい力士に対して力負けせずに前へ出て突いていき、ここぞというところで見せるいなしと突き落とし、小気味のいい相撲が多かった。先場所優勝した御嶽海は負け越し。2年目のジンクスならぬ次の場所での勝負、またテレビであの丸っこい姿が見られるのを楽しみにしている。


 付け足し、三段目で宇良が優勝している。幕下で蒼国来が優勝している。二人とも幕内で活躍していた力士だ。
残念ながら郷土の力士、序の口西28枚目服部桜は全敗の7敗。一番下の29枚目の矢田が服部桜に勝って1勝しているため、来場所はまた番付最下位ということになる。

f:id:keisuke42001:20181127104332p:plain3月場所の服部桜

 

 

 

サーロー節子さんの講演を聞いた広島の友人の印象「・・・すごい迫力!政府に対して何の働きかけもしない広島市長を一刀両断。私たちは何ができるかと質問した中年男性に、やれることはいくらでもあるでしょう、と一喝。バスの臨時便まで出て、いつもは静かな女学院大学講堂に1100人のイン高齢者が溢れました(笑)。でも、たしかにすごい人。平和運動もアイディアとクリエイティビティよ!と。」

   今朝、テラスにおいてある温度計の針が8℃を指す。放射冷却。今週一番の寒さ。
 一昨日から遊びに来ている3歳(亮成)と5歳(紗英)の孫とライを連れて、6時40分、つれあいと早朝の散歩。冷たい空気が地を静かに這うように流れているように感じられる。久しぶりにきりっと冷えた悪くない朝の感触。


 犬を連れて散歩していると、犬連れの人はもちろん、そうでなくともこちらに向けられる視線がやわらかい、そんなことを昨日のブログに書いた。今日はレベルアップ?なんと「犬+幼児」である。世間の人々の「小さき者」への慈しみの心の厚さなのだろう。昨日にも増して、今朝の私たちに向けられる視線が温かい。こちらもつい短く御愛想を返したりしてしまう。


 犬や幼児を連れている人は「わたしはあなたに危害を加えません」というサインを出しているようなものか。その人個人の属性云々ではなく、外形自体が安全な存在、安全な老人という一つの記号のようなものとして認識されているのかもしれない。

 この伝でいけば、他人を油断させて悪行に手を染めようとするならば、犬や小さい子どもを連れていればいいということになる。チワワを連れた泥棒、子どもを連れた窃盗犯、映画『万引き家族』はたしかにそうだった。
 

 

 油断と言えば4年ほど前の夏の盛り、紗英がまだ1歳のころ、ライを連れて一緒に近所の町内会館の盆踊りに出掛けたときのこと。

 ライのリードをもつ紗英とベンチに腰かけていると、ふだんなら話しかけてきそうもない妙齢の女性が、笑みを浮かべながらわたしに向かって「おいくつですか?」と訊くではないか。この女性はもちろん犬と孫に警戒心を解いて油断をしていたのだろうが、困ったことに実は私も油断していたのだ。

 質問に答えようとしてつい「ロクジュ・・・」と言いかけてしまったのだ。ほんの0.何秒かの間に「この質問は私の年齢ではなく幼児あるいは犬?の齢を尋ねているのだ」と思いなし前言を呑み込み「1歳になります」と正解(たぶん)を答え、事なきを得たのだった。

 犬と幼児は大人のまともな判断をも危うくするところがある。

 

 話は変わるが、数日前の散歩の途中、奇妙な光景を見た。オレンジ色の橋のたもとでイタリアングレーハウンド(人間ならば10等身のようなグレーの毛並みの細身の足の長い犬)と思しき犬2頭を連れた年配の男性が、橋の欄干に留まっているカラス2羽に、手ずから餌をやっていたのだ。


 カラスの餌付け?そのへんに餌をまけば、ハトやカラスなど警戒しながらもおずおずと近寄ってきて、ついばんだ瞬間飛び去るのがごく当たり前の光景だと思うのだが、手のひらに豆のようなものを乗せて差し出すと、2羽のカラスが飛んできて欄干に留まり餌を直接ついばんでいる。

 散歩の途中、他人に話しかけることなどまずないのだが、この時はつい「珍しいですね」と声をかけた。

 聞くところによるとこの2羽のカラスとは30年ほど前からの「知り合い」なのだそうだ。何かの折りに助けてやってから「知り合い」となり、餌をやり続けているのだという。はあ、そういうものですかと答えてはみるのだが、見慣れた光景ではないし、カラスが30年生きるというのは初めて聞いた。


 帰宅して調べてみると、賢いと言われるカラスは習慣ともなれば、こんなふうに人の手から餌を食べるらしい。ただ警戒心が強いため直接手からということは少ないようだ。
 見ていれば、珍しい光景なのだが、これも野生動物の餌付けと同じ。続ければ、自分で餌を捕らずに人間に頼ってしまうもの。何世代か続けばそういう習性が植えつけられてしまうとすれば、これは困ったことになる。あの方が「4羽」と限定したのはそういうことがあってのことかもしれない。

  カラスは2頭のイタリアングレーハウンドにも警戒心を解いていたように見えたのも不思議だった。

 

 昨日の東京新聞に、カナダ在住のサーロー節子さんが広島女学院大学で講演を行ったという記事が載っていた。サーローさんは、ノーベル平和賞を受賞したNGO核兵器廃絶国際キャンペーン(I CAN)と連携して核兵器禁止条約の採択に尽力、ノーベル平和賞授賞式で被爆者として初めて演説を行った人。昨年の今頃、迫力のある演説の映像が何度もテレビで放映された。


 13歳の時に学徒動員先で被爆。大学卒業後、米国留学を経てカナダへ移住、各地で被爆証言を続けてこられた。広島女学院大学の卒業生ということで、今回の講演が実現したとのこと。

 私が90年代の初めからヒロシマ修学旅行でお世話になってきたたくさんの語り部の方のうち、今、語り部としてはぎりぎりで活躍されている世代、学徒動員世代の方々と同じ世代ということになる。今年86歳。


 東京新聞には「・・・条約に入っていない日本政府には『被爆者が73年も核の非人道性を訴えてきたのに無視している。国民を裏切っている』と怒りを込めた。その上で国民が沈黙すれば政府の方針を認めることになるとして『皆さんの声も発信していって』と呼び掛けた」とある。

 これが友人から送ってもらった現地の朝日新聞の記事になると、「条約に賛同していない日本政府を『国民の声を無視し、被爆者と国民を裏切っている。無数の人間を大量虐殺する用意があるという(核抑止論)の戦略に頼り切っているが、誤った幻想だ』と批判した。続けて「核のない世界に向けて、市民一人ひとりが具体的な行動を起こすことの必要性も訴えた。『日本人は行儀がよく、政治家と話すのは自分たちの仕事じゃないと思っている。沈黙を続けるということは悪い政治を続けさせるということ』と語りかけた。」
と、より具体的になる。中国新聞は忖度路線とのこと。事実は一つでも伝わり方はいろいろ。
 

 さらに友人のラインでのレポートになると「・・・すごい迫力!政府に対して何の働きかけもしない広島市長を一刀両断。私たちは何ができるかと質問した中年男性に、やれることはいくらでもあるでしょう、と一喝。バスの臨時便まで出て、いつもは静かな女学院大学講堂に1100人のインテリ?高齢者が溢れました(笑)。でも、たしかにすごい人。平和運動もアイディアとクリエイティビティよ!と。」


 3つのレポートのうち、最も臨場感を感じさせてくれたのは最後の友人のものでした。

f:id:keisuke42001:20181125171038j:plainサーロー節子さん


 調べてみるとこの講演会、定員が1000人。無料ではあるけれど事前申し込みが必要とのこと。10月4日には早々と定員に達したとのことで締め切り。1000人にはがきの受付票が送付されたという。関係者を入れれば1100人という大変な大イベントだったわけだが、報道としてはそれほど大きくは取り上げられていない。

 28日にも原爆資料館で講演を行うとのこと。被爆者として国際的な政治にも踏み込んで発言する人はそうはいない。お話を起こしたものを全文紹介する、あるいは特集番組として取り上げる、そういうマスメディアの取り組みが行われるだけの重みのあるお話だと思うのだが。


 11月22日の産経新聞にはサーローさんの広島市長への表敬訪問の記事が載っている。

「昨年12月のノーベル平和賞授賞式で被爆者として初めて演説したカナダ在住のサーロー節子さん(86)が21日、広島市松井一実市長を表敬訪問した。授賞式後初めての被爆地訪問で「若い人たちに励ましの言葉を伝えたい」と抱負を語った。
松井市長は「核兵器禁止条約を発効し、核保有国と非核保有国の話し合いを実現する上で今が正念場だ」と指摘。サーローさんには「戦争体験のない若い世代に核廃絶への思いを発信してほしい」と期待を寄せた。」

 

 朝日は表敬訪問で市長がサーロー節子さんに、あなたは被爆地の市長として、どう政府に働きかけたかと問い詰められ、タジタジになったことも市内版に書かれていたとは友人の話。

 

事実は一つでも伝えられることは、新聞社によって変わってしまう。

間違ってはいないけれど正しくはない。そんなふうに世論が形成されていくのかもしれない。

  

 

五合庵の月<11月22日>

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 をつれt

ライとの散歩・ジャズのビッグバンド・南アルプスの上の青空

 

 空を見上げることが増えた。
 季節が進んで青さを増した雲一つない空は目に染みて気持ちがいいのだが、晴天に雲が浮いているのも高さが実感できて思わず空の奥まで目を凝らしてしまう。何も見えないのだけれど。


 このところ、チワワのライと一緒に散歩に出かけることが増えた。
 11月に入って、長い間食べさせてきたドッグフードをやめて鶏肉を与えることにした。犬にとって肉食が自然なことだと聞いたからだ。手羽先やむね肉、もも肉などをいろいろまぜあわせて試行錯誤を重ねて、ようやく安定した便が出るようになった。

 食いつきはドッグフードに比べて天地の差。餌をやるときの「お手、お変わり、ハイタッチ」の3つの動作を、こちらが要求していないうちから手早くやってしまうほど。

 動きにもキレが出てきて膝に乗るのも勢いが違う。ただ体重増が少し気になるので、散歩はそれほど必要ないと言われる犬種ではあるけれど、ふたりで散歩に連れ出すことにしたのだ。

 

 「散歩に行くよ!」と声をかけると、その都度ライは何度もひざ元に飛びついてきて喜びを発散する。そして早くリードをつけろとせがむ。寒くなってきたからセーターも着せなければならない。今はもう慣れたが、初めの頃は足を上手くいれるのに難儀した。

 

 マンションの廊下は歩かせてはいけないきまりだから、どちらかがエントランスまで抱いていく。一人は犬用ハンモック?を袈裟懸けにかけてトイレットペーパーや水、便を入れる袋などを入れたバッグを持つ。3㌔に満たない犬一匹でも、散歩に出かけるにはそれなりの準備が必要になる。

 

 エントランスを出たところから、晴れていると富士山が見える。頂上がわずかに頭をのぞかせている程度なのだが、最近は雪の色の濃さが目立つようになってきている。

 目の前に横浜ステンレスという従業員10数人の鉄工所がある。毎朝、経営者と思しき高齢の女性が、どこからか自転車でやってきて大きなシャッターを開ける。6時45分頃。認知症を患っていた義母が生きているころから、いつも声をかけてくださる方だ。かなり年配にみえるのだが、細身で動きがシャープ。4時に起きて孫の弁当を作り、6時半には家を出てくるのだと話すのを聞いたことがある。気さくな方で、最近はライにもよく声をかけてくれる。

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 抱いているライを下ろし狭い坂を3人?で下り始める。とすぐにブレーキ。おっとと後ろに引っ張られる。ライは4本の足をぐっと踏ん張って前に進もうとしない。毎日のこと。ほおっておくと一人でエントランスの方に戻ろうとする。散歩、嬉しんじゃないの?犬の気持ちはよくわからない。リードを強く引っ張るとあきらめて前を歩く。これを何度か繰り返す。


 いったん歩き始めると、スピードはかなり速い。大人の速足程度。一気に坂を駆け降りて旧国道246号に出る。国道246号に並行して走っている旧道。ここまでくるともう一度抱っこかハンモック。クルマの音が嫌なのか排気ガスのにおいが嫌なのか全身で震えだすからだ。


 246号の高架下をくぐるとすぐ境川河畔。ここからはもうクルマの音もほとんど聞こえなくなる。ようやく散歩。鳥や花や魚の世界である。背の高い皇帝ダリアがあちこちに咲き始めている。


 ライを連れて散歩するようになってから、いろいろな方に挨拶をされるようになった。犬連れの散歩は、つくづく世間との距離を狭めてくれるものだと思う。

 ひとりで散歩しているときは誰も声などかけてくれなかった。私も仏頂面して歩いているのだろう、不審者とまではいかなくても声などかけにくい印象があったのだろう。

 二人で歩いてもそれはあまり変わらなかった。つれあいは私より愛想もよく、すれ違う人はみな私を見ずにつれあいを見て軽く会釈をしたりする。

 これがライと歩くようになっててきめんに変化した。年齢や性別に関係なくみなニコッと微笑んで、おはようございますと声をかけてくれる。どの方も親しい同胞であることを確認するかのような親密な表情だ。

 犬を飼っているというただそれだけでこんなに親しく話が出来るなんて。

 この間は一眼レフをもって散歩されている方がライを撮ってくれ、次にお会いした時には印画紙に焼いて手渡してくださったものだ。 

 

 40分ほどの行程のうち、25分ほど歩いたところに私たちがひそかに“境川のドッグラン”と名付けている小さな原っぱがある。幅10㍍長さ50㍍にも満たない所有者も不明な土地なのだが、ライにはちょうど良い「思いっきり走り」の場所になる。

 いけないとは思うのだが、リードを外して二人の間を何度か行き来させる。全速力。ペットでなく、やはり動物,けものである。走る姿を見てほれぼれとしている自分に驚く。こんなに犬が好きだったっけ?


 ここからはハンモックに入れて家まで。ライを追いかけてずっと下ばかりだった視線がようやく上向く。空を見上げる。「空が高くなったね」。毎度同じセリフをつぶやく。


 1か月ほど前、最後の赴任校で着任直後に中3を担任した時の生徒からラインが入った。ビッグバンドのライブをやりますのでよろしかったら、というお誘いだ。2年ほど前にも新宿の“ピットイン”でやるというので出かけたことがある。そのあと、2回ほど誘われたがいずれも都合がつかず、断った。
 卒業してから12年が経つ。音大のピアノ科に進み、ジャズコースに転科。卒業後はジャズピアニストとして活動しているという。ライブは彼女が率いる若者ばかりの総勢20人ほどのビッグバンド、指揮をしながらピアノを弾く姿は、まるで秋吉敏子じゃないか!昼時に私のもっていったスープを「センセ、飲まして!」と勝手に飲んでしまうような大胆な?生徒だったが。


 11月18日、中延にあるボナペティというライブハウスが会場。直前に連絡をして前売り券を手配してもらった。

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ジャズは嫌いではないし、よく聴くのだが、ビッグバンドはほとんど聴かない。
日曜日の午後、少し雨もよいだったが、出かけた。休日なので南町田から急行で溝ノ口、大井町行きの急行に乗り換え旗の台、普通に乗り換えて3つ目?の中延。仕事で一度来た覚えがある。駅から歩いて4分ほど、アーケードのかかる長い商店街の中ほどの地下にボナペティを見つけた。


 単なる印象でしかないが、2年前のまだ粗削りな演奏に比べて今回はずいぶんこなれた印象を受けた。オリジナリティという点でもよくやっているなという印象。ボーカルが入る曲が何曲かあったが、これはあまりいただけなかったが。


 ついつい卒業生のピアノに目が行ってしまうのだが、中学時代の大胆さは微塵もなく(笑)、ソロ部分も緻密にかつ軽やかにこなし全体をしっかりまとめているように見えた。このグループ、彼女のオリジナル曲も含めてスタンダードより新しい音作りを志向しているようだ。


 ラインには、今年何かのコンペにオリジナル曲で参加、見事優勝したのだとか。シンガポール旅行をプレゼントされたらしい。

 12月に浅草公会堂で開催される浅草JAZZコンテストの本選出場(予選は音源審査だそうだ)も決まっているとのこと。調べてみたらこのコンテスト、今年で38年目となるよく知られたコンテストらしい。ボーカル、バンドそれぞれ8組が出場、グランプリ受賞グループは来年夏のUENO JAZZ INN‘19という大きなコンテストに参加できるのだとか。


 こんなに若い人たちがジャズをやっていることにも驚くが、チームを作って音楽をつくっていることに少し感動を覚えた。

 若い人のジャズと言えば、石塚真一の「BLUE GIANT  SUPREME」を隔週楽しみにしている。2013年にビッグコミック誌で第一期の「BLUE GIANT」の連載が始まったときからのファンだ。仙台出身のサキソフォン奏者の宮本大が、プロのミュージシャンを目指して、日本からドイツにわたり徐々に大きなステージに昇っていく、その過程の人間模様を音楽とともに描いた作品だ。大は連載開始時には高校三年生だったから現在23歳になる。引き込まれるのは物語のつくりのうまさ以上に、まるで演奏の音が聴こえてくるような気にさせられてしまう臨場感いっぱいの絵だ。

石塚の作品は、山岳救助を扱った「岳 みんなの山」も面白かった。

 


 久しぶりに昼間からビールとハイボール、知り合いもいなかったから、だれとも話をせずにジャズを楽しんだ午後だった。

 

 11月22日、ふたりで信州高遠の五合庵へ。いつものようにお風呂と料理を楽しむ。

 標高1000㍍を超える高地にあるため、この季節朝夕の気温は零下となる。何度も来ているのにこの季節は初めて。ご夫妻のお話は尽きることなくいつも新しいお話が上書きされている。

 今回は6年間夫婦でお金をためて366日間の世界一周旅行をしている人たちの話が面白かった。ごくごく親しくしている方たちだそうで、お二人を実の親のように慕っているとのこと。お二人も目を細めて我が子の話をするように話をされる。ラインで連絡を取っているとかで「既読」がお二人が元気で過ごしている証拠になっているとか。

 366日、つまり一年を一日でも多ければ住民税などの国民の義務は免除されるのだとか。これも初めて聞いた話。

 

 帰り際『夏に来たことがありません』と云うと、御主人『では、今度は真夏にエアコンなしで寝てみますか』とのこと。夏の料理は何になるのか。今から楽しみである。

 

 帰途、連休の初日ということもあって下りは込んでいる。そのうえ圏央道海老名JCT付近で事故のため、東名下りと圏央道が大渋滞。県央厚木で降りて246に乗ったらこれまた下りは大渋滞。上りは全く込まず、高遠を出るときの帰宅予定時間に休憩を入れた時間で戻ることができた。

 何度も空を見上げた小旅行だった。

 

 境川PA からの南アルプス。右から北岳、間の岳、農鳥岳(たぶん)

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今回、かなり長い。それにさしたる盛り上がりもない、心して目を通されよ。在庫一掃の備忘録!

 今回、かなり長い。それにさしたる盛り上がりもない。7000字超、心して目を通されよ。

 

 散歩の途中でオナガが目の高さより少し低い柵にとまった。飛んでいるオナガはたまに見かけるが、こんな近くで目にするのは初めて。頭部は黒くみえるが、百科事典によると濃紺なのだとか。首から下が少し白く、背中は濃い灰色。特徴的な尾羽は長く青灰色。啼き声がうるさい代わりに見た目は端正な美しさである。特に飛んでいるときの姿は優雅である。

 オナガは、私が住んでいる横浜市瀬谷区と隣の大和市のそれぞれ区の鳥、市の鳥であることを、今回百科事典で知った。

 

 6月から始めたこのブログ、11月になってからの更新が少ない。何やかやと雑用が多く、出歩くことが多いせいだろうか。

 放っておくと忘れてしまう映画や本の数々、今回は備忘録本領発揮。在庫一掃のメモ仕様、自分のための覚え書きである。

TSUTAYAAmazonプライム、それとテレビの名画劇場などで見たものまとめて。

 

『サニー 永遠の仲間たち』(2011年・韓国・124分・監督カン・ヒョンチョル)

 Amazonプライム。今年の夏に日本版のリメイク『サニー 強い気持ち強い愛』が話題になったが、未見。日本版は90年代半ばのコギャルの時代と現代を行き来する映画のようだが、韓国版の方は設定としてはシビア。舞台は80年代後半。大統領は全斗煥ソウルオリンピックを前に韓国社会は急激な経済成長を遂げつつあり、民主化闘争が激化した時代。25年後の40代前半となった女子高校生のふたつの時代の往還は、豊かになったはずの韓国で本当に豊かだったのはいつだったのかという問い返しが、胸に迫り痛切。

f:id:keisuke42001:20181119063256j:plain韓国版のポスター

 

 ソウルオリンピック直前の1988年3月、初めての海外旅行の行き先として夫婦で韓国を選んだ。全てに新しいものが急激に取って代わろうとするエネルギッシュな韓国と、慶州や釜山などで見た私の幼少時に近い旧態依然とした韓国、ふたつが渾然としていた時代。その後何度か訪れたが、この時ほど印象の強かった訪韓はない。

 

悪の教典』(2012年・日本・129分・監督三池崇史伊藤英明二階堂ふみ・原作貴志祐介

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Amazonプライム貴志祐介の原作は、7,8年前、分厚い小説で楽しめた。700頁もあったと記憶している。『黒い家』『天使の囀り』などのホラー小説、嫌いではないので一時よく読んだが、とにかくディテールまでしっかり書きこんだ臨場感がこの人のいいところ。同じ映画化でも森田芳光監督の『黒い家』(1999年)など小説に負けず劣らず怖くて面白かったが、本作は今一つ。伊藤英明の教師役はハマっていていいが、銃と血の量が多すぎてやや興ざめ。

 

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友罪』(2018年・日本・129分・監督瀬々敬久生田斗真瑛太佐藤浩市

レンタル。薬丸岳の同名小説の映画化。なんというかまどろっこしい。連続児童殺傷事件の犯人と思われる鈴木秀人瑛太)が物語の中心であるのだが、周辺の人々のエピソードをかなり執拗に積み上げる手法、中心がぼけるというか、結果的にらっきょうの皮むきのようで深部に何があるか見えてこない。皮をむいているときはいいのだが。

 全体に緊迫感があるのに「なんだかなあ」というのは、同じ監督の『ロクヨン』(前・後編)同様。

 同じころ、テレビで薬丸岳原作の『Aではない君と』(2018年・テレビ東京・監督塚原あゆ子佐藤浩市天海祐希を見た。テレビの軽便さを感じさせないつくり。二つとも佐藤浩市が出ているのは偶然だろうか。いい歳になって三国廉太郎を彷彿とさせる佐藤、中学生の父親を演じるには無理があるように思える。

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『私を離さないで』(2010年・米英合作・105分・監督マーク・ロマネク・原作カズオ・イシグロ

 ノーベル賞作家の評判の高い原作も読んだが、どうしてか私にはしっくりこなかった。映画は?同じ印象。クローンや臓器提供を題材としていることは分かるが、前提としているところが理解できていないのは、受け手の感性が鈍いのだろう。イングランドの独特の暗い雰囲気(思い込みか?)はよく伝わってくる。シャーロット・ランプリングの校長役はよかった。

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f:id:keisuke42001:20181119080920j:plain私を離さないで から

 

『イン・ザ・ヒーロー』(2014年・日本・124分・監督武正晴唐沢寿明福士蒼汰

 Amazonプライム。こんな映画がつくられていたこと、全く知らなった。主演は唐沢寿明福士蒼汰連続テレビ小説あまちゃん」で自分のことを「ずぶん」と言う上級生の役で印象が強いイケメン。

 

下落合ヒーローアクションクラブの社長にして、その道25年のスーツアクターである本城渉(唐沢寿明)。数年ぶりにヒーロー番組の劇場版作品に出演した彼は、一ノ瀬リョウ(福士蒼汰)という人気若手俳優と出会う。ヒーロー番組に敬意を払わないリョウと対立するも、ある出来事を契機に本城は彼と絆を育むように。そんな中、日本で撮影中のハリウッド大作で、落下して炎にまみれながらノーカットで殺陣を繰り出すクライマックスに出演する予定だった俳優が、恐れをなして降板。慌てたスタッフは、本城の評判を聞き付けて出演をオファーする。

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 どこにでもあるような、かと言ってほんとうにあるかと言われれば「?」となってしまうような話なのだが、最後までみてしまったのは着ぐるみを着て演じる「スーツアクター」という職業のディテールがしっかり描かれているためか。唐沢寿明も魅力的。スケール感は全くないが、無下には出来ない映画。

 

ローン・サバイバー』(2013年・アメリカ・121分・監督ピーター・バーグ

 レンタルビデオアメリカ海軍の特殊部隊ネイビーシールズのアフガンでのレッドウィング作戦、その全貌を映画化した。現場を無視した無謀な作戦ゆえ、米海軍特殊部隊史上最悪と呼ばれた。4人の兵士のうち唯一生還した兵士の回顧録をもとにつくられている。タイトルは「たった一人の生き残り」。アフガン現地の人々との駆け引き、民間人と目される人々を殺すか逃がすかで分かれる作戦の行方、特殊部隊中の人間模様、逃げるところすらない岩場で敵と向かい合う戦闘シーン。戦場の不条理をこれでもかというほど愚直に描いていて、みていて胸苦しくなった。

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謝罪の王様』(2013年・日本・128分・監督水田伸生阿部サダヲ井上真央

 Amazonプライム阿部サダヲの名前を見ると、つい。といってまだ最新作『音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!』(2018年)はみていないのだけれど。脚本は宮藤官九郎。ハナからばかばかしい思ってしまえば、どこまでみてもつまらない映画だが、私はこういう映画、割と好きである。あちこちに小さな布石がいっぱい仕組んであって、これが一つひとつ解かれていくのも楽しい。そういえば『TOO YOUNG TO DIE 若くして死ぬ』(2016年)もやはりクドカンの脚本。クドカンの作品は笑いと寂寥感が裏腹にくっついているようなところがあるが、阿部サダヲという役者は、それをよく表現していると思う。ファンの欲目だと思うが。

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娼年』(2017年・日本・119分・監督三浦大輔松坂桃李・原作石田衣良

 レンタルビデオWikipediaによると「女性客を中心に高い評価を集め、公開6週目には興行収入3億円を突破。応援上映を望む声が相次ぎ、日本で初めてのR18+指定作品女性限定応援上映が5月30日に池袋HUMAXシネマズで開催決定。チケットは即完売した。」らしい。

 途中で寝てしまった。原作は石田衣良直木賞候補作品だとか。石田の作品はほとんど読んだことがない。NHKの「らららクラシック」という番組の司会をしているのを見て拒否感強く忌避。どうしてこの人の作品が好まれるのか、私にはよくわからない。松坂桃李はいい役者だと思うけれど、この映画は松坂のPVのようなものではないかといったら、ファンは怒る?

 

15時17分、パリ行き』(2018年・アメリカ・94分・監督クリント・イーストウッド

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 レンタルビデオ。「「アメリカン・スナイパー」「ハドソン川の奇跡」の巨匠クリント・イーストウッドが、2015年にヨーロッパで起こった無差別テロ「タリス銃乱射事件」で現場に居合わせ、犯人を取り押さえた3人の若者を主役に、事件に至るまでの彼らの半生を、プロの俳優ではなく本人たちを主演に起用して描いたドラマ。2015年8月21日、オランダのアムステルダムからフランスのパリへ向かう高速列車タリスの中で、銃で武装したイスラム過激派の男が無差別殺傷を試みる。しかし、その列車にたまたま乗り合わせていた米空軍兵のスペンサー・ストーンとオレゴン州兵のアレク・スカラトス、そして2人の友人である青年アンソニー・サドラーが男を取り押さえ、未曾有の惨事を防ぐことに成功する。映画は、幼なじみで親友同士のスペンサー、アレク、アンソニーの3人が出会った少年時代や、事件に遭遇することになるヨーロッパ旅行の過程を描きながら、ごく普通の若者たちが、いかにしてテロリストに立ち向かうことができたのかを明らかにする。」(映画.COMから)

 

 あまり話題にならずに上映が終わってしまったという印象があるが、印象に残る作品。94分という短さも、最近の映画ではなかなかない。洋画も邦画も「とりあえず2時間でしょ?」という映画が多い。

 実際のパリ行きの(たしかオランダ、アムステルダムから)電車の中での無差別テロのシーンはそれほど長くはなく、どちらかというと3人が出会った少年時代、とりわけ学校とのかかわり、3人が3人とも学校とは合わず、自分なりのやり方で人生を切り開く。

 日本でいう「個人面談」のシーンがあるが、担任教師は対人関係や素行に問題のある生徒の親に向かって「発達障害だから、病院に行け」といった発言をかなり断定的にする。それに対して親も負けておらず、反論。そして断絶。このあたりをクリント・イーストウッドは親子の側に立たず、主張せず、じっと親子のありようを凝視するようなカメラ使いで追う。これがよかった。この老齢、老練な監督は、昨年の「ハドソン川」もそうだったが、少ないセリフであまり説明をしないで「絵」で見せようとする。

 未曽有の惨事を防いだ3人が褒めたたえられる場面、ヒロイズム的なもちあげ方にはなっておらず、3人の若者の自然な表情が良かった。映画的な盛り上がりに欠けてはいても、老成した監督の穏やかな視線が感じられた。

 

『黄金のアデーレ 名画の帰還』(2015年・米英合作・109分・監督サイモン・カーティス

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 Amazonプライム。これも見逃していた作品。第二次世界大戦中にナチスに奪われたクリムト作の『アデーレ』を取り戻すべく、オーストリア政府を訴えた女性。前代未聞の裁判を起こした82歳のマリア・アルトマンの叔母がこの絵のモデルとなっており、絵は彼女の家に絵に飾られていたもの。マリアを演じるヘレン・ミレンの演技、感情的になりながらなんとか理性を保とうとするところが、理知的。彼女とともに絵を奪還しようと奔走する弁護士ランドル・シェーンベルグ役をライアン・レイノルズが演じているが、好対照でよかった。ランドルはシェーンベルグの孫。

 欧米ではナチスをめぐる物語が今でも年に何本もつくられる。日本では閣僚が「教育勅語にもいいところがある」と平気で発言する。就任早々文科大臣が「教育勅語を学習指導要領や憲法に生かす形で使うことは国として排除すべきではない、というのが政府の公式見解だ」と発言。「ナチスのやったことの中にもいいことがある。それを現在の教育にも役立たせることができるのではないか」などと言ったら?

 

 この映画一つとっても、歴史を見つめる眼の深まり具合の違いを感じてしまう。

 

『14の夜』(2016年・日本・116分・監督足立紳浜田麻里門脇麦

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 Amazonプライム。『100円玉の恋』の足立紳、それに門脇麦で見ようと思ったのだが、全体に雑なつくり。何でもかんでもぶち込んでしまって、散らかってしまった感が強い。なつかしい印象の強いシーンがあちこちにあるのに、なんだかもったいない。

 

奇跡のリンゴ』(2013年・日本・129分・監督中村義弘洋・阿部サダヲ菅野美穂) 

  Amazonプライム阿部サダヲというだけでみ始めたが、感動的な物語ではあっても、今一つ感興はない。

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 最近、斎藤章佳という人の名前をよく見る。今朝の新聞(東京・11/17)にも紙面半分のインタビュー記事が掲載されている。精神保健福祉士として依存症の患者たちに対する治療を医療と連携して行っている。マスコミ的にはいわば「売り出し中」の人。私も『男が痴漢になる理由』(イーストプレス・1512円)を読んだ。というのも、「痴漢も依存症」という発想が面白いと思ったからだ。中学の校長が、入学式の直後に飲酒して痴漢で捕まるといった事件など、報道される痴漢事件には首をかしげるものが多く、痴漢行為が単なる性的関心や興味からではなく、ほかの要因による部分があるのではないかと思っていたからだ。

 万引きが「物欲」を根拠とせず、痴漢が「性欲」を根拠とせず、アルコール依存症がお酒への偏愛を根拠とせず・・・つまりこうした行為が「依存症」によるものだと考えれば、厳罰主義あるいは性犯罪の前科をもつ者にGPSを義務付けるなどの社会的な対応の仕方が間違った方向だということがはっきりする。

 刑務所での再犯者への処遇の問題も同様で、この立場に立てば学校での子どもたちに対する対応の方法にも変化が求められるのではないかといったことを考えていた。大学の授業でも龍谷大の浜井浩一さんの所論などにも触れてきたが、最近はこの斎藤さんという方の主張も興味深い。

 

 斎藤さんは、痴漢は万引きなどほかの違法行為に比べて被害者が受ける精神的な痛みは計り知れない卑劣な行為だとしながらも、

 ・痴漢は女性に相手にされない、さみしい男である。

 ・性欲をコントロールできないから、痴漢に走る。

 ・肌を露出した女性は、痴漢に狙われやすい。

 ・電車内に防犯カメラを搭載すれば、痴漢は減る。

 

 といった巷間に流布するものはすべて思い込み、あるいは誤解であるとする。

 本の中では具体的な痴漢像を提示しながら、彼らが特別に強い性欲をもった人間ではなく、ごく普通の父親であったり、会社員であったりすると述べている。どうして?と思われる人が痴漢行為で捕まったという話は決して少なくない。私が長い間勤務した学校でも同様である。その時、ほとんどの場合「ああ、彼はそういう人だったのか」という「ひとはみかけによらない」という驚きで納得してしまうのではなく、もっと違った捉え方が必要なのではないかということをきちんと知らせてくれる本だった。

 斉藤さん、最近露出が急激なのがちょっと気にかかるが。

 

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 併せて、『性犯罪者の頭の中』(2014年・鈴木伸元・幻冬舎新書も読んだ。鈴木さんはフリーのジャーナリスト。タイトルはよくないが、斎藤さんの本とスタンスとしては近く、最後までしっかり読めた。

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『上を向いてアルコール 元アル中コラムニストの告白』(小田嶋隆・ミシマ社)。小田嶋隆さんは十数年前に休刊した『噂の真相』に毎号切れ味の鋭いコラムを連載、愛読していた。

 今まで読んだ吾妻ひでお西原理恵子の本より一歩進んで自己分析がなされている。断酒20年にしてこの本が書けたという。

 

 私は、お酒が好きだけれど依存はしていないと思っている(私だけかもしれないが)。だから断酒はしない。断酒をしてみれば依存しているどうかははっきりすると思うのだが、しないのだから少なくとも依存症ではない。この理屈であっているか?

 

 小田嶋さんが青山正明のことばとして紹介している「依存物質というものはなく、あるのは依存体質」というのがおもしろい。依存しやすい物質というものがないわけではないが、それよりも依存体質をもつ人がいるということ。そういう人はチョコレートでも納豆でも依存してしまう。買い物依存とかギャンブル依存、タイガーウッズのセックス依存など、そう考えると納得できるひと、こと、も多い。

 

 このところ、暇に飽かして門井慶喜をよく読む。このきりは新選組関連を読んだ。新選組颯爽録』(2015年・光文社)。面白い。いわゆる薩長史観に対して『会津士魂』などの早乙女貢のように是非もなく会津偏愛の立場に立つのではなく、薩長中心に行われた明治の近代化そのものを問い返そうというような視点がところどころに顔をのぞかせる。

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 週の半ばに、従兄の見舞いに会津に帰省したのだが、会津若松市では今、『戊辰150周年1868-2018samurai city aizu』というイベントが繰り広げられている。これもまたなんだか大きな勘違いのようだ。

 白虎隊などの”悲劇の会津”も後年になってつくられた「物語」であることが最近論証されつつある。

田中悟の会津という神話 〈二つの戦後〉をめぐる〈死者の政治学〉』(2010年・ミネルヴァ書房には、薩長の勤皇思想と会津のそれはさほど違いがなく、戦後になって「悲劇の会津」が形成されていく過程がしっかり描かれている。もとより松平容保孝明天皇のおぼえめでたく、容保自身も天皇への崇敬の情が強い大名だったはず。白虎隊の悲劇も明治から語り継がれたものではなく、戦後、観光“立国”とともにつくられたことを田中は立証している。西南戦争において旧会津藩のさむらいが討伐軍となって参戦していることからしても、また秩父宮雍仁親王と容保の孫の勢津子の結婚からしても、会津天皇家に対する親近感には強いものがあることは間違いない。

 新選組をめぐる物語も簡単に新選組会津藩=旧幕府といった具合に等号で結び付けられるほど簡単ではない。そのあたりを門井慶喜は当時に資料をもとに新選組の心理をリアルに描いている。

f:id:keisuke42001:20181119082822j:plainこの本、かなり高いです。

 

 

 

 

 

 

彼らと過ごした80年代初頭は、全国的に「荒れる中学」が席巻した時代。毎日のように校内暴力が報道されていたころだ。横浜では83年冬にいわゆる「浮浪者殺傷事件」が起きている。今なら「ホームレス殺傷事件」ということになるが。

 前回紹介した11月10日の広島の集会、友人のお話によると居森公照さん、鎌田七男さん、お二人とも素晴らしいお話だったそうだ。ご高齢ではあるが、これからもずっと続けていただきたいと思う。首都圏でもお二人のお話が聞ける機会があれば出かけるのだが。

 

 同じ日、初任校で1983年3月に卒業した人たちの学年の同窓会があった。早くに出席を決めてしまったので、広島には行けなかった。この回、2年おきに開催されていて今回で5回目だという。毎回案内はいただいていたのだが、都合がつかなかったり、気が重かったりして欠席を続けてきた。今回、行ってみようかと思った。理由は自分でもよくわからない。

 

 卒業生は10クラス450名ほどだった。卒業式から36年が経つ。みな50歳、51歳になる。時たま会う人もわずかにいるが、ほとんどは30年以上ぶりの再会。人生のヤマ場をいくつも乗り越えてきて少しほっとできる年齢か。

 

中一のときの幼くかわいい女の子だったクラスの女生徒は36年ぶり。当時の雰囲気をそのままに残している。こういう人もいる。今年、孫が七五三だという。30代にしか見えない。

 長い間風雪に耐えて、髪の毛もおなかも私とほぼ同輩にみえる男性。親しみがわく。

 突然目の前に現れて「私、わかりますか?」と言われすぐに名前が出てこない。みなどこにでもいる50代前半の男女。街で遇ってもわからない。一瞬、どう反応していいかわからない。当惑が顔に出なければいいのだが。

 うまくバランスの取れない不思議な時間が続く。

 

 彼らと過ごした80年代初頭は、全国的に「荒れる中学」が席巻した時代。毎日のように校内暴力が報道されていたころだ。横浜では83年冬にいわゆる「浮浪者殺傷事件」が起きている。今なら「ホームレス殺傷事件」ということになるが。

 

 私は初任から2まわり目の学級担任。二十代後半。彼らが口々に語る当時の様子や思い。その中に浮き出てくる自分の姿は、若々しいには違いないが、なんと前のめりで思い込みのきつい青年教師であることか。

「先生、組合、ほかの先生たちと違ったんだよね」「一人でストライキやっていたのを知ってる。職員室の机の上に煙突みたいの立ててさ」

 

 教員になって2年目に日教組系の100%組合浜教組を脱退、少数派の独立組合に加入。嫌がらせや差別は教員の世界でも例外ではなかった。“組合を割る”は、悪そのもの。止めてくれたのは校長だった。

 仕事で負けてなるものかと日常の生徒との付き合いと仕事、そして組合活動に気負いだけで取りついていた。

 クラスには不登校から復帰してそのままツッパリとなった男子がいた。夏休み明けに剃りこみを入れた坊主頭に刺しゅう入りのシャツ、シンナーを吸いながら登校した。この子の処遇をめぐって管理職や生徒指導部とことごとく反目した。少年鑑別所、施設、少年院、いろいろなところに面会にも行った。この生徒については拙著『不適格教員宣言』にも書いた。彼はこの会には一度も出席していないらしい。

 

 この学校、校内暴力こそさほどではなかったが、バイクやシンナー、暴力事件などいろいろなことがあった。その中のひとり2,3年と受け持ったS君。仕事の都合で少し遅れてきた。30年ぶりに話を聞く。

 現在、不動産会社を経営しているという。細身のダークスーツに身を固め、静かにゆっくり話す口ぶりには当時の面影はない。商売っ気も感じさせない。刮目してみる。

 中学卒業後、ようやくの思いで入学した私立の男子校を、教員とのトラブルでやめ、数年後に県立の定時制高校に入学。周囲の生徒のほとんどが退学していく中、彼は21歳で卒業。同時に宅建を取得して不動産会社に就職。20年ほど勤めて独立したという。自らは酒を呑まず私に酌をしながら、気負いも感じさせずに淡々と来し方を話す姿、かっこいいなと思う。

 

 60人近くの出席、話は途切れない。。当時の授業のこと、生徒指導のこと、文化祭の行事のこと、部活動のこと。顧問が転勤でいなくなり、このままだとつぶれてしまうというので引き受けた吹奏楽部の顧問。それまでもっていた40人ほどの合唱部と50人以上の吹奏楽部、練習掛け持ちの夏休み、今なら“ブラック文化部”と揶揄されても仕方がない。そしてコンクール。県民ホールでの演奏のことを熱く語る女生徒を前にして、課題曲の曲名が思わず口をついて出てきたのに驚いた。前頭葉が刺激されたようだ。何年も思い出したこともなかったのに。

 

 1983年3月に朝日ジャーナルに文章を書いたことを憶えていた生徒がいた。そんな話は授業ではしなかった。「親が読んでた」という。浮浪者殺傷事件と現場の矛盾、中学生のありようを書いた30枚ほどの原稿だった。記者と一緒に徹夜をして仕上げたことを思い出した。少しだけ年上の記者のアドバイスに従って夢中で書きあげた原稿だった。ワープロもパソコンもない時代。狭い組合事務所のデスクの横で、彼は私の悪筆を次々と清書していく。ほとんどとどまることなく一気に書いた。気がつけば夜が明けていた。編集者の存在の意味を感じた最初の濃密な時間だった。

 

 会は際限なく続く。みなどんどん声が大きくなる。楽しい話ばかりではない。結婚、離婚、死別、再婚、転職・・・こっちはうなずきながら聞くだけだ。電車がなくなるので2次会の途中で中座したのだが、6時間以上も話をしていたことになる。

 

 昔話をしただけと言えばそれ以下でも以上でもない。酒を呑んで断片的なエピソードを一緒に笑い飛ばしてしまえばそれで終わり。次に会うのはいつかも分からない。それでいいはずなのに、どこかに疼痛のような感覚がある。悪い癖だ。日付を越えた電車に乗るのは久しぶりだった。

鎌田七男さんと居森公照さんの講演会「本川小学校たった一人の被爆生存者に寄り添って-夫と医師の証言」11月10日:広島平和記念資料館地下メモリアルホール

 ここ数日、早朝の気温が1度ずつ下がっている。夜が明けかかったころにカーテンを開け、外の温度計を見る。変化があるというのはうれしいもの。まだ薄暗い中に青空がのぞくのもうれしい。早朝の風雨はまがまがしくて好きになれない。


 早朝の散歩、晩秋の境川にはカワウやサギ、カモ、セキレイカワセミがよく姿を見せる。カワセミは一羽でえさを捕る姿しか見たことがなかったが、先日2羽連れ立って水面すれすれを羽ばたきなしの高速滑空する姿を見た。一瞬のことなのだが、青い羽が水面によく映えていた。

 


 最近は“らい”を連れて散歩に出かける。チワワは元来、散歩のいらない犬種と言われているが、私たちが散歩にでかける素振りを見せると、足にまとわりついて「連れてって」アピールをする。

 40分の散歩は長すぎるので、ハンモックのような犬入れ?を私が肩からつるして、頃合いを見てそこに突っ込む。らいは首だけを出しておとなしくしている。地面から数㌢の視界に比べて、130㌢ほどの高さから見える風景は新鮮に見えてた楽しいのではないか。人間の勝手な想像。ただ我慢しているだけかもしれない。


 いつもすれ違う、同じマンションに住む70代の痩躯の男性が写真を撮ってプレゼントしてくれた。いつも一眼レフカメラを首からつるしている。散歩の途中の犬を撮って、これで30何頭目だとか。らいは感謝も何も、ただただビビりなので、尻尾をまいてその方から遠ざかろうとしている。飼い主は愚犬が被写体となったことを、内心喜んでいるのだが。


とうに降霜は過ぎたが、ここ横浜では霜はまだ降りない。来週7日は立冬である。

 

 

 

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 広島在住の友人から、鎌田七男さんと居森公照さんの講演会「本川小学校たった一人の被爆生存者に寄り添って-夫と医師の証言」のチラシを送っていただいた。

 7月16日のこのブログで、居森清子さんの夫、公照さんが上梓した『もしも人生に戦争が起こったらーヒロシマを知るある夫婦の願い』(いのちのことば社フォレストブックス)を紹介した。「原爆」や「被曝者」ということばがタイトルに入らない本の控え目なたたずまいに、居森さんご夫婦の50年に及ぶ生活のエッセンスのようなものを見る思いがした。


 紹介の中で、居森さんご夫婦との出会いや鎌田七男さんの葬儀でのご挨拶のことなどを記した。


 そのお二人がお話をされるという。ぜひとも伺って謦咳に接したいのだが、この日すでに出席を約束した会があって、訪広はかなわない。そこで、ブログを通じて集いを紹介することにした。ささやかなブログではあるが、ひょっとしたらどなたかこれを見て集いに出掛けてみようかと思う人がいないとも限らない。そんな方がおられたら、ぜひ集いの様子や感想などをコメントとしてお寄せいただきたい。

 

遅ればせながら、10月26日 鬼怒川の満月

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