サーロー節子さんの講演を聞いた広島の友人の印象「・・・すごい迫力!政府に対して何の働きかけもしない広島市長を一刀両断。私たちは何ができるかと質問した中年男性に、やれることはいくらでもあるでしょう、と一喝。バスの臨時便まで出て、いつもは静かな女学院大学講堂に1100人のイン高齢者が溢れました(笑)。でも、たしかにすごい人。平和運動もアイディアとクリエイティビティよ!と。」

   今朝、テラスにおいてある温度計の針が8℃を指す。放射冷却。今週一番の寒さ。
 一昨日から遊びに来ている3歳(亮成)と5歳(紗英)の孫とライを連れて、6時40分、つれあいと早朝の散歩。冷たい空気が地を静かに這うように流れているように感じられる。久しぶりにきりっと冷えた悪くない朝の感触。


 犬を連れて散歩していると、犬連れの人はもちろん、そうでなくともこちらに向けられる視線がやわらかい、そんなことを昨日のブログに書いた。今日はレベルアップ?なんと「犬+幼児」である。世間の人々の「小さき者」への慈しみの心の厚さなのだろう。昨日にも増して、今朝の私たちに向けられる視線が温かい。こちらもつい短く御愛想を返したりしてしまう。


 犬や幼児を連れている人は「わたしはあなたに危害を加えません」というサインを出しているようなものか。その人個人の属性云々ではなく、外形自体が安全な存在、安全な老人という一つの記号のようなものとして認識されているのかもしれない。

 この伝でいけば、他人を油断させて悪行に手を染めようとするならば、犬や小さい子どもを連れていればいいということになる。チワワを連れた泥棒、子どもを連れた窃盗犯、映画『万引き家族』はたしかにそうだった。
 

 

 油断と言えば4年ほど前の夏の盛り、紗英がまだ1歳のころ、ライを連れて一緒に近所の町内会館の盆踊りに出掛けたときのこと。

 ライのリードをもつ紗英とベンチに腰かけていると、ふだんなら話しかけてきそうもない妙齢の女性が、笑みを浮かべながらわたしに向かって「おいくつですか?」と訊くではないか。この女性はもちろん犬と孫に警戒心を解いて油断をしていたのだろうが、困ったことに実は私も油断していたのだ。

 質問に答えようとしてつい「ロクジュ・・・」と言いかけてしまったのだ。ほんの0.何秒かの間に「この質問は私の年齢ではなく幼児あるいは犬?の齢を尋ねているのだ」と思いなし前言を呑み込み「1歳になります」と正解(たぶん)を答え、事なきを得たのだった。

 犬と幼児は大人のまともな判断をも危うくするところがある。

 

 話は変わるが、数日前の散歩の途中、奇妙な光景を見た。オレンジ色の橋のたもとでイタリアングレーハウンド(人間ならば10等身のようなグレーの毛並みの細身の足の長い犬)と思しき犬2頭を連れた年配の男性が、橋の欄干に留まっているカラス2羽に、手ずから餌をやっていたのだ。


 カラスの餌付け?そのへんに餌をまけば、ハトやカラスなど警戒しながらもおずおずと近寄ってきて、ついばんだ瞬間飛び去るのがごく当たり前の光景だと思うのだが、手のひらに豆のようなものを乗せて差し出すと、2羽のカラスが飛んできて欄干に留まり餌を直接ついばんでいる。

 散歩の途中、他人に話しかけることなどまずないのだが、この時はつい「珍しいですね」と声をかけた。

 聞くところによるとこの2羽のカラスとは30年ほど前からの「知り合い」なのだそうだ。何かの折りに助けてやってから「知り合い」となり、餌をやり続けているのだという。はあ、そういうものですかと答えてはみるのだが、見慣れた光景ではないし、カラスが30年生きるというのは初めて聞いた。


 帰宅して調べてみると、賢いと言われるカラスは習慣ともなれば、こんなふうに人の手から餌を食べるらしい。ただ警戒心が強いため直接手からということは少ないようだ。
 見ていれば、珍しい光景なのだが、これも野生動物の餌付けと同じ。続ければ、自分で餌を捕らずに人間に頼ってしまうもの。何世代か続けばそういう習性が植えつけられてしまうとすれば、これは困ったことになる。あの方が「4羽」と限定したのはそういうことがあってのことかもしれない。

  カラスは2頭のイタリアングレーハウンドにも警戒心を解いていたように見えたのも不思議だった。

 

 昨日の東京新聞に、カナダ在住のサーロー節子さんが広島女学院大学で講演を行ったという記事が載っていた。サーローさんは、ノーベル平和賞を受賞したNGO核兵器廃絶国際キャンペーン(I CAN)と連携して核兵器禁止条約の採択に尽力、ノーベル平和賞授賞式で被爆者として初めて演説を行った人。昨年の今頃、迫力のある演説の映像が何度もテレビで放映された。


 13歳の時に学徒動員先で被爆。大学卒業後、米国留学を経てカナダへ移住、各地で被爆証言を続けてこられた。広島女学院大学の卒業生ということで、今回の講演が実現したとのこと。

 私が90年代の初めからヒロシマ修学旅行でお世話になってきたたくさんの語り部の方のうち、今、語り部としてはぎりぎりで活躍されている世代、学徒動員世代の方々と同じ世代ということになる。今年86歳。


 東京新聞には「・・・条約に入っていない日本政府には『被爆者が73年も核の非人道性を訴えてきたのに無視している。国民を裏切っている』と怒りを込めた。その上で国民が沈黙すれば政府の方針を認めることになるとして『皆さんの声も発信していって』と呼び掛けた」とある。

 これが友人から送ってもらった現地の朝日新聞の記事になると、「条約に賛同していない日本政府を『国民の声を無視し、被爆者と国民を裏切っている。無数の人間を大量虐殺する用意があるという(核抑止論)の戦略に頼り切っているが、誤った幻想だ』と批判した。続けて「核のない世界に向けて、市民一人ひとりが具体的な行動を起こすことの必要性も訴えた。『日本人は行儀がよく、政治家と話すのは自分たちの仕事じゃないと思っている。沈黙を続けるということは悪い政治を続けさせるということ』と語りかけた。」
と、より具体的になる。中国新聞は忖度路線とのこと。事実は一つでも伝わり方はいろいろ。
 

 さらに友人のラインでのレポートになると「・・・すごい迫力!政府に対して何の働きかけもしない広島市長を一刀両断。私たちは何ができるかと質問した中年男性に、やれることはいくらでもあるでしょう、と一喝。バスの臨時便まで出て、いつもは静かな女学院大学講堂に1100人のインテリ?高齢者が溢れました(笑)。でも、たしかにすごい人。平和運動もアイディアとクリエイティビティよ!と。」


 3つのレポートのうち、最も臨場感を感じさせてくれたのは最後の友人のものでした。

f:id:keisuke42001:20181125171038j:plainサーロー節子さん


 調べてみるとこの講演会、定員が1000人。無料ではあるけれど事前申し込みが必要とのこと。10月4日には早々と定員に達したとのことで締め切り。1000人にはがきの受付票が送付されたという。関係者を入れれば1100人という大変な大イベントだったわけだが、報道としてはそれほど大きくは取り上げられていない。

 28日にも原爆資料館で講演を行うとのこと。被爆者として国際的な政治にも踏み込んで発言する人はそうはいない。お話を起こしたものを全文紹介する、あるいは特集番組として取り上げる、そういうマスメディアの取り組みが行われるだけの重みのあるお話だと思うのだが。


 11月22日の産経新聞にはサーローさんの広島市長への表敬訪問の記事が載っている。

「昨年12月のノーベル平和賞授賞式で被爆者として初めて演説したカナダ在住のサーロー節子さん(86)が21日、広島市松井一実市長を表敬訪問した。授賞式後初めての被爆地訪問で「若い人たちに励ましの言葉を伝えたい」と抱負を語った。
松井市長は「核兵器禁止条約を発効し、核保有国と非核保有国の話し合いを実現する上で今が正念場だ」と指摘。サーローさんには「戦争体験のない若い世代に核廃絶への思いを発信してほしい」と期待を寄せた。」

 

 朝日は表敬訪問で市長がサーロー節子さんに、あなたは被爆地の市長として、どう政府に働きかけたかと問い詰められ、タジタジになったことも市内版に書かれていたとは友人の話。

 

事実は一つでも伝えられることは、新聞社によって変わってしまう。

間違ってはいないけれど正しくはない。そんなふうに世論が形成されていくのかもしれない。

  

 

五合庵の月<11月22日>

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