今、学校現場に最も欠落しているものは何か。そして必要とされるものは何か。すさまじいスピードからいったん降りて、考えてほしい。そうしなければ現場の“ほうれん草”は腐り続け、K先生の問題のような心ない“事故”が連発されることになる。

  7月に東京の労組の通信に書いた原稿が掲載されたので転載する。

 テーマは以前にも少し触れたことがある”セクハラ冤罪事件”についてである。

 字数の制限があるため、詳細については省いてある(処分当時の詳しい分析について知りたいという方は、雑誌『現代思想』2014年4月号の拙稿を参照されたい)。

 

 

 2013年10月初め。横浜のK中T先生は管理職に呼び出され、部活動の指導中に女子生徒の身体に触れたのではないかと問い詰められる。あろうことかテーブルの上には処分量定表。どれにあたるか考えてみろと詰問される。
 突然のことだった。T先生は身に覚えがないとして否定するも、校内では北部学校教育事務所(以下事務所)の指示で関係生徒への事情聴取が始められ、T先生はテニス部顧問と中三の学級担任を外される。出勤は禁じられ、事務所での幽閉の日々が始まる。
 たしかに女子部員と軋轢はあった。対応の難しい生徒もいる。たびたび過呼吸熱中症と思われる女子生徒の救護の際、肌に触れ体温の確認はした。しかしいつも保護者や生徒が周囲にいた。セクハラなどとんでもない。
 事情聴取では、生徒指導で最も一番気をつけねばならない中学生の被暗示性、被誘導性、迎合性は一顧だにされなかった。いったん「セクハラ」で動き始めた流れは止まらない
 T先生が最後にたどり着いたのが横校労だった。電話をとった私は、即時加入を勧めた。救護行為は衆人環視の下であり、冤罪の可能性大と判断したからだ。すぐに事務所との折衝を開始した。
 とは言え処分案件は管理運営事項。正式な行政交渉の対象とはならない。予断で事情聴取を進める管理職と北部事務所の間に食い込み、彼らを執拗にけん制するためにこちらの主張を記した詳細な申し入れ書を提出。テーブルを設定させる。併せて校長交渉も。管理職二人の性急な思い込みによる判断ミスがことの始まり。ここが正念場だ。
副校長は、T先生と二人きりになったときに「親が悲しむぞ。早くほんとうのことを言えば助けてあげられる」と発言。容疑者に猫なで声で迫る安っぽい刑事ドラマのようである。
 孤立無援のT先生に味方が現れる。学年主任のY先生だ。彼女は、管理職による生徒への聴取のずさんさを批判して横校労への加入を宣言、T先生支援を校内で表明する。聴取の仕方がおかしいと主張する生徒、校長に対し事情説明を求める保護者も出てきた。そのせいか聴取は異例の3か月の長きに及んだ。
 明けて2014年1月末、市教委は「減給十分の一3か月」の懲戒処分を発する。理由は「不適切な指導によって生徒に不快感を与えた」というもの。予想された「セクハラ行為」による免職処分からかなり「減額」されており、市教委の詰めの甘さ気の弱さ、調査の杜撰さが露呈した処分であった。
 しかし、その裏でT先生に対する陰湿な嫌がらせが続く。処分は「不適切行為」なのに「セクハラ」が隠然とつきまとう。T先生の現場への復帰は認められず、卒業アルバムから写真が削除された。4月の異動に伴う離任式(公的な学校行事)の保護者への案内から名前が削除され、式への出席も拒否された。
 二重処分とも言えるこうした市教委、学校側の対応にT先生は反発、3月横校労とともに処分取り消しの審査請求を人事委員会に求める。3年半の優に30cmに近い厚さの書面のやり取りを経て、2017年12月ようやく事件は公開口頭審理までたどり着く。
 4日間10時間に及ぶ尋問は、市教委側:校長、副校長、養護教諭、T先生側:3年学年Y主任、1年学年H主任、テニス部部長(当時:現大学生)と学校を二分して争われる異例なものに。
 2018年4月、横浜市人事委員会は、減給処分を取り消し戒告とする裁決書を双方に送付した。市教委側代理人が主張し続けたT先生のセクハラを含む「不適切な行為」はすべて否定され、市教委による処分は「裁量権の逸脱」と断罪された。

 発端となった校長の北部事務所への杜撰な”報告”が「セクハラありき」をねつ造した。”連絡”を受けた北部事務所は、報告を丸呑み、「セクハラありき」が”相談”の中で確定していく。最後は市の教育委員会議が「セクハラありき」を追認する。
 “ほうれん草”は、責任の細分化=無責任体制をつくりだすものだ。腐った“ほうれん草”が導き出した結論がひっくり返っても、誰も責任をとろうとはしないそのためだ。
2002年“教育改革”以降、学校現場はゆとりを失い、学校労働者同士のつながりも変質を極めてきた。

 今、学校現場に最も欠落しているものは何か。そして必要とされるものは何か。すさまじいスピードからいったん降りて、考えてほしい。そうしなければ現場の“ほうれん草”は腐り続け、K先生の問題のような心ない“事故”が連発されることになる。

 

     「アイム‘89東京教育労働者組合」機関紙””あいむ‘89”2018年9月号

 

*転載するにあたって一部手を入れたところがある。

 

 

市民としての当事者性の違いと言えばいいのだろうか。徴兵も軍隊もないに越したことはない。しかし、徴兵も軍隊もない“平和”が、戦勝国であるアメリカや、沖縄の犠牲の上にあるとしたら、その“平和”を喜んで享受していいのだろうか、

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 30年後の同窓会』(アメリカ・125分・原題:Last Flag Flying 監督リチャード・リンクレイターをみた。海兵隊の同期の3人の物語だが、しみじみとしたいい映画だ。でも〈同窓会〉というのは違うのではないか。邦題のつけかた、気に入らない。どう訳せばわからないが、30年前の海兵隊生活を引きずる3人の初老の男たちの、人生にあらためてけじめをつけようとする映画と考えれば、原題のほうがすんなり入ってくる。〈同窓会〉はいけない。イメージが限定されすぎる。
 
 
(略)男ひとりで酒浸りになりながらバーを営むサルと、過去を捨てて牧師となったミューラーのもとに、30年にわたって音信不通だった旧友のドクが突然現れる(2003年のことだ=keisuke註)。ドクは1年前に妻に先立たれ、2日前に遠い地で息子が戦死したことを2人に打ち明け、死んだ息子を故郷に連れ帰る旅に同行してほしいと依頼する。30年前のある事件で大きく人生が変わってしまっていた3人は、ともに旅をし、語り合うことで、人生に再び輝きを取り戻していく。(略)
                                                                                        -映画.comから

 

 ベトナム戦争海兵隊の一員として従軍していた3人の男たち、その一人、酒浸りになりながらバーを経営するサルのもとに衛生兵だったドクが現れる。30年ぶりの再会だがカウンターの中のサルは気がつかない。うまい酒だ、いい店だというドクにつっけんどんな対応をするサル。

   気がついて再会を喜ぶサルはドクに「何年、懲役に行っていた?」と訊く。「どうしてこの男が懲役?行くならサルだろう」と思わせるこの冒頭のシーン、セリフも画面もとってもいい。二人の関係を暗に際立たせるシーンだ。

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 次の日ドクは、酒の抜けないサルに面白いものを見せてやると言って、車で連れ出す。着いたところは教会。牧師となっているリチャード・ミューラー。彼の話が聴衆の気持ちを強く引き付けている。30年前とは打って変わってリチャードが敬虔な牧師となっていることにサルは納得がいかない。


 妻を病気で亡くし、今また息子をイラクで亡くした生真面目なドク、海兵隊時代と変わらず投げやりな生き方で希望のもてない生活を続けるサル、過去の暴れん坊ぶりを神との出会いで悔い改めたとするリチャード。三人三様30年間の人生の経年変化がぶつかり合う。
 人は変わることができるが、ずっと変わらない部分もどこかにもっているもの。
 

 ドクは、息子の遺体を引き取りに行くのを二人に手伝ってほしいと頼む。過去の関係に思いの強いサルは即座に了承するが、関りを避けたいリチャードは逡巡する。サルはドクに「あいつは必ず行くさ」と言いながら、リチャードの妻の説得の仕方まで当ててしまう。サルという人物の一筋縄ではいかない偽悪の深さが見えるところだ。

 

 クルマで引き取りに向かう3人。典型的なロードムービーだ。ベトナム時代の思い出話にふける。30年前の出来事が懐かしくよみがえってくる。アメリカ人にとって軍隊生活は、精神的にも大きな意味をもってしまうことがよくわかる。良きにつけ悪しきにつけだが。

 

 死体がずらっと並んでいる飛行機の格納庫。引き取り先の責任者である海兵隊の大佐はドクに「遺体は見ない方がいい。損傷が激しいから」。ドクは息子の遺体に向き合う。「顔がなかった」。

 ラリーの死は「英雄的な戦死」であるからと執拗にアーリントン墓地への埋葬を勧める大佐、その死に疑問をもつドクはそれを拒否する。ラリーは後ろから頭を撃たれていた。

 アーリントン墓地は国立の戦没者慰霊施設である。埋葬の決定権は国ではなく基本的に遺族にある。また宗教は一切問われない。イスラム教もOKだし、天理教創価学会の墓もある。靖国神社とは基本的に性格が違う。日本には無名戦士の慰霊施設として千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるが、無宗教の国立墓地はない。
 

 ラリーは戦闘で死んだのではなく、戦地で買い物に寄ったお店でイスラム過激派に襲撃されて死んだのだ。そうした事実を覆い隠し、英雄的な戦死として処理しようとする国家に3人は反旗を翻す。自分たちの手でラリーの遺体を故郷に埋葬するために動き出す。

 

 紆余曲折を経て列車で故郷に向かう3人とラリーの同僚のワシントン。

 

 遺体を横において列車の中で海兵隊時代の思い出を語るシーンは、猥談も含めて3人の演技のうまさに驚かされる。しかし楽しい話だけではない。いまだに3人の心の古傷となっていた事件も浮かび上がらせる。

 

 物語はイラクで死んだドクの息子の死をめぐる疑惑と、30年前ベトナムで彼らが関わって起きた“事件”とが重なって進んでいく。

 ベトナム戦争もそうであったように、イラク戦争もまたほとんど大義のない戦争だった。その中でのラリーの死は無駄死にであり、名誉ある戦死ではないことを3人はよく知っている。3人が関わった“兵士の死”もまた名誉あるものではなく、若かった彼らの起こした無駄死にだった。

 衛生兵であるドクが管理していた鎮痛剤をサルとリチャードが乱用してしまい、その結果鎮痛剤を与えられずにもがき苦しみながら死んでいった兵士がいた。そのせいでドクは刑務所に入り、ふたりは除隊している。ドクが罪をかぶったのだ。
 

 彼らは除隊後、長くそのことを悔いてきたのだ。サルの荒れた生活やミューラーの変化、ドクの静かな生活、それぞれがそれぞれの方法で傷を抱えて生きてきた。
 軍や国家は常に政治的な存在であり、その都合に合わせて事実を隠蔽し兵士の人間性を奪っていく。兵士もまた極限状態の中で人間性を失っていく。
 

 サルにとっては、危険と隣り合わせの青春時代を過ごした海兵隊への思いは消し難く、一方国家が、軍隊が暴力装置として人間性を奪っていくことへの強い不信感ももっている。国家というものに対するアンビバレントな思いが、サルだけでなくほかの二人にもあるのである。
 

 この映画には国家と個人という対抗軸が見える。3人が3人ともアメリカという国を愛しながら、国家を無批判に受けいれているわけではない。彼らには市民として、個人として国家を見切ろうとする視点がある。遺体を運ぶ旅に出る3人に共感を寄せるアメリカ人が多いのは、この映画がヒットしたことでもよくわかる。
 

 このあたりが日本とは決定的に違う。軍隊の存否の是非はともかく、軍隊の中で市民が思想や生き方を形成する細いけれど長い流れがアメリカにはある。国家権力の暴力装置としての軍隊を対象化して見ようとする思考だ。
 これに対して日本の軍隊の歴史は短い。73年前まで存在していた大日本帝国の軍隊を舞台にした思想形成に至る文学的な作物は多々あるが、この70年以上、軍隊のなかった日本にはそれはなかった。
 それどころか、戦後の日本は対米従属を旨とする政治体制の中で、外交や対外戦略について市民一人ひとりが身体をかけた思考をしてこなかった。不平等条約である安保・日米地位協定を他人事とし、多くの危険を沖縄に押し付けてきた歴史は原発を過疎の地域に押し付けてきたこととよく似ている。白井聡が「戦後レジームとは安保と原発」と言っているが、その通りだと思う。
 

こうした違いが、アメリカにおいて個人が戦争と向き合う際にしみ出てくる文学や映画の底の深さにつながっているし、日本においては、戦争をめぐる文学や映画が73年前で止まってしまい、その多くが過去の観念的なものとなってしまっている。 

 戦争をしてこなかったからのだからそれでいいじゃないか、とは私には思えない。平和憲法の名のもとに武力行使はしてこなかったが、何度も間接的に戦争に加担し、その結果、経済発展を得てきた歴史がこの国にはある。
 

 市民としての当事者性の違いと言えばいいのだろうか。徴兵も軍隊もないに越したことはない。しかし、徴兵も軍隊もない“平和”が、戦勝国であるアメリカや、沖縄の犠牲の上にあるとしたら、その“平和”を喜んで享受していいのだろうか、と私は思う。
 
 彼ら3人が掲げようとした“旗”とは何だったのか。「やっぱり、アメリカ映画って面白いよね」で片づけてはいけないものが、この映画にはあると思った。

 

力士が大型化しているだけに、けがが多いと聞く。朝弁慶に照ノ富士、捲土重来、まさに土煙を巻き上げるように土俵に復帰を期してもらいたいものだ。

    大相撲も今日で7日目。なかなかじっくり見ることができない。忙しいわけではないのだけれど、こまごまとしたことに時間を割かれている。幸いにも前半戦はほとんど波瀾はなかったから、後半戦が楽しみではある。


 郷土の力士服部桜はというと、今日午前中にすでに負けていて4敗。幕下以下は7番勝負なので負け越し決定。現在東序の口27枚目、序の口は力士の一番下の番付。彼より下には9人しかいない。


 毎日、新聞の神奈川県版の片隅にある“郷土の力士”欄を見る。幕下に9人、三段目に5人、序二段に11人そして序の口に服部桜を入れて4人が在籍している。800万人を超える神奈川県民のなか、力士率?は低く、現在関取(十両以上)はいない。
 

  しこ名をみて覚えてしまう力士がいる。一人は幕下の高砂部屋所属の朝弁慶、東幕下45枚目。最高位は西十両7枚目。掲載欄のいちばん上に名前が載っていることが多かった。関取だったのである。

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   平塚出身29歳。2015年に十両に昇進。二桁勝利をあげたこともある。8場所ほど十両にいたがその後幕下に陥落。からだが大きいだけに、けがに悩まされているようだ(190cm186㎏)。

 朝弁慶というしこ名が私にはしっくりこない。朝青龍朝赤龍のようにしこ名のはじめに“朝”がつく。元大関4代目朝潮(大ちゃん)が師匠を務める高砂部屋では伝統的な名づけ方。
 ただ、どうだろうか。“弁慶“には強そうな印象があるのだが、朝弁慶というとなにか“内弁慶”のように聞こえてしまってあまり強そうではない。また朝だけ弁慶?のようで、なんだか軽いのである。
 

    朝弁慶の実家は平塚で中華料理店を開いていたようだが(現在閉店)、ライバル店があってその名前が“弁慶”だったとかで両親に怒られたという逸話が残っている。名付けたのは部屋付の行司4代目木村朝之助、これも朝がついている。十両格以上の名跡だけに“ライバル店の名前なので”とは言えなかったのだろう。 

    朝弁慶,今場所は休場。けがのようだ。このままだと幕下の幕尻か三段目に落ちてしまう。
 

    もう一人印象の残るしこ名が、湘南乃海だ。大磯出身。湘南のリゾートサイト大磯ロングビーチのあるところ。湘南の海そのものの出身。すっきりしたしこ名だ。

    大関目前で活躍している力士に御嶽海がいるが、これがよくわからない。長野県出身で御嶽(おんたけ)というのは分かるが、“海”が分からない。長野県には海はない。出羽の“海”部屋だからなのだろうが、テレビを見ながら「山か海かはっきりしてほしい」なんてばかなことをテレビの前でつぶやいている。 

     湘南乃海は東幕下37枚目。今場所2勝2敗。194㌢155㌔と長身でバランスのいい体格。まだ20歳。初土俵から4年順調に昇進を続けている。

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     湘南乃風という4人組のレゲエのグループがある。こちらは初土俵、いやデビュー17年のベテランの歌い手たちだ。湘南乃海とは一文字違い。どこかでコラボするようなことがあったらおもしろい。

 

   どうでもいいことを書いているが、番付表をみていたら朝弁慶の2枚下の東幕下47枚目に照ノ富士がいる。モンゴル出身の大型力士で、ついこの間まで大関だった関取だ。膝の半月板を悪くしながら、出たり休んだりを繰り返しているうちにいつしか十両、下をのぞくと三段目が見える幕下下位まで陥落。今場所も全休である。朝弁慶同様、このままだと三段目陥落ということになってしまいかねない。大関まで駆け上ったころには「横綱間違いなし」と思ったものだが。


    力士が大型化しているだけに、けがが多いと聞く。朝弁慶に照ノ富士、捲土重来、まさに土煙を巻き上げるように土俵に復帰を期してもらいたいものだ。

 

今、私たちが即座に現地の様子を映像で見られるのと違って、130年前の明治の人々こうした絵一枚から被災の状況を想像するしかなかった。災害はいったいどんなふうに人々の心に刻まれたのだろうか。

 9月8日の最後のところで、横浜・関内ニュースパークの“新聞が伝えた明治―近代日本の記憶と記録”という企画展で見た磐梯山噴火の速報について触れた。
 私は、画家山本芳翠が描いた噴火のシーンは、裏磐梯から見たものだと書いた。爆発と言えば裏磐梯と思い込んでいたふしがある。

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 一緒にニュースパークを訪れた二人M君H君(6月の項でしまなみ海道を一緒に歩いた友人である)のうちH君から「磐梯山噴火の号外の絵は、川桁から見た磐梯山であることがわかりました。絵にあった山のかたちが、現在の赤埴山と櫛が峰のピークと一致しているように思えた点と、新聞の速報にあたる号外の絵をわざわざ時間のかかる裏磐梯まで行って描きはすまいと思われる点、それにそもそも裏磐梯では画家の身の安全が確保できまいと思われる点、東京により近い場所からというのが常識的だと思います」というメールが届いた。今朝のことである。


 H君はつい先日、生まれ故郷の会津にお墓参りに行って来たという。数日前に横浜で見たあの絵は裏磐梯ではないのではないかという疑念があり、途中、実際に確かめてみたのだそうだ。

 


 ふるさとの山に詳しいH君ならではの論理的な展開に、私が思い込みでブログに書いた“裏磐梯説”は撤回しなければと思ったのだったが、ネットでもう一度山本芳翠の絵をみてみると、また「そうかなあ」という気持ちになる。こうなったら客観的な裏付け、今風に言えばエビデンスがあった方がいいと思い、いろいろネットで調べているうちに北塩原村にある磐梯山噴火記念館(〒969-2701 福島県耶麻郡北塩原村桧原字剣ヶ峯1093-36開館時間:8:00~17:00:冬 9:00~16:00休館日:9:00~16:00 冬季間は土日・祝日・春休み期間以外は休館)に行きついた。思い切って電話をしてみた。

 

 「そういう質問は初めてですね」と学芸員の方が、やや怪訝な感じはあるが、特に迷惑そうでもなく話を聴いてくれた。返答は意外にあっさりとしたもの。

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山本芳翠(画)(1850~1906)合田清(刻)(1862~1938)磐梯山噴火真図 1888

郡山市美術館蔵

 「あれは裏磐梯からのものだと思います。噴火の絵のほとんどが裏磐梯から描かれていますし、火口の高さがやや低い位置にあること、右上にかすかに見える山容からしても、はっきりそうだとは言えませんが、7:3ぐらいで裏磐梯だと思われます」とのことだった。
 

 そうなるとH君の直感が外れたことになる。彼にメールで返事を書き始める。そこへ思いがけぬことに磐梯記念館から電話。さっきの電話から30分も経っていない。私は横浜市民といっただけで名乗ってもいないし、電話番号も言っていない。ま、名乗られても困るだろうし。リダイヤルか。
 

 「先ほどの件ですが、山本芳翠について書かれたものを調べてみましたら、1888年7月20日に郡山について(噴火は7月15日である)人力車で猪苗代の山形という宿に向かったとあります。あの絵はその途中で見えた磐梯山を描いたと思われます(21日とあるものもある)。そこから考えると、この絵は裏磐梯ではなく猪苗代側から描いたと考えた方がいいと思います」とのこと。

f:id:keisuke42001:20180913111232j:plain磐梯山噴火記念館

 

 ほかの資料には山本が到着したのは1週間後とあるものもある。速報と言っても当時はこんなものだったのだろう。

 となると、山本は直接噴火を見てはいないことになる。噴火は15日朝7時過ぎに始まり、10時には沈静化、当日16時には終息したとされる。余震のように長引いてはいないのである。

 ”速報”であるからか、山本はこの時、紙に描かずに版木に直接絵を描いたと言われるが、その絵はたぶん噴火を見聞きした人々からの伝聞をもとにしたものにちがいない。たくさんの”目撃情報”が巷を飛び交っていたのだろう。


 郡山―若松(当時)をつなぐ磐越西線の開通は1899年を待たねばならず、当時は郡山から人力車を使って峠を越えて猪苗代に向かうことになる。峻険な中山峠を人力車で越えるのは車夫は当然のこと、客もかなりしんどかったと思われる。
 H君がいう川桁は猪苗代の一つ手前の駅である。現在は無人駅となっているが、一日平均100人ほどの乗降客がある。

 

 とするとH君の話と、宿に向かう途中で描いたのだろうという記念館の方の話と、”川桁”で符合する。まずまちがいない。あの絵は表磐梯、猪苗代側から描かれたものである。


 磐梯山の噴火は、明治以降の火山の噴火の中で最大の被害を出したものといわれている。死者数477名。土石流によって3つの集落が埋没している。ほとんど前兆のようなものはなく、山腹にある3つの湯治場に訪れていた客はだしぬけに起きた鳴動に驚き、慌てて逃げ出そうとして被災した人が多かったようだ。死者に比べて負傷者の数が少ないこと、死者の収容数が少なかったことなどが特徴だという。岩屑なだれ、火砕サージ(火山の噴火の際に発生する現象のひとつで、火砕流に似ているが火山ガスの比率が高いため密度が小さく、高速で薙ぎ払うように流動する現象。時速100キロで移動することもある)などによって広範に被害が広がったといわれる。
 

 現在は風光明媚な観光地だが、ちょうど130年前の今頃、この地は大きな悲しみと訪れの早い秋の冷たい風に包まれていたと想像できる。
 

 山本芳翠の絵は東京に送られ、相田清によって仕上げられ、8月1日朝日新聞の付録として配られた。まだ新聞に写真が載らない時代、山本の精細でリアルな噴火の図は都会の人たちを驚かせただけでなく、今とは比べ物にならない恐怖感を抱かせたのではないか。それまでの新聞の絵は多くが錦絵で、歌舞伎役者が隈取をつけて登場するような絵だった。

 配布は噴火から2週間後のことである。

 

 今、私たちが即座に現地の様子を映像で見られるのと違って、130年前の明治の人々はこうした絵一枚から被災の状況を想像するしかなかった。災害はいったいどんなふうに人々の心に刻まれたのだろうか。

 
 
 以上、訂正とお詫びである。

“日本勢”とか“日本出身力士”とか言わずに、明確に日本人と言い切ってみること。その時に感じる違和感があれば口にして、互いに矯めつ眇めつ微に入り細に入り、その感性を吟味検討してみることだとあらためて思う。

   急に気温が下がった。散歩に出ようとして玄関のドアを開けると微風がひやっと吹き抜ける。久しぶりの感覚だ。深呼吸をする。西の丹沢には厚い雲がかかっているが、北の方に青空がのぞいている。
 

 境川の復路でカワウが羽を広げているのに遭遇。羽ばたくというのではなく、ただ羽を広げてじっとしている。鳥のことなど何も知らない私たちは、カラスを威嚇しているのではないかとか、ひょうきんな動きをするカワウのことだから閉じるの忘れているのではないか、などと勝手な想像を言い合って戻ってきたのだが、気になって調べてみた。

f:id:keisuke42001:20180911104503j:plain          よくみえませんが・・・


 カワウはほかの鳥のように撥水効果のある油分が出る機能が羽についていないのだそうだ。油分があると浮力が生じて深く長くは潜れない。カモなどはこれがちょうどよく、水面近くを潜ることになる。それに比べカワウは潜水の深度が深く時間も長いため、油分があると浮力が邪魔をしてうまく潜れない。 

 つまりカワウの羽には撥水のための油分を発する機能がないので、時々こうして濡れた羽を広げて乾かすということだ。閉じるのを忘れているわけではないらしい。

 

 大谷が週間MVPを受賞した。4月にMLBに入って2回目。他人ごとだが嬉しい。

 プロ野球MLBもほとんど見ないのだが、大谷だけは別。去年の3月に横浜スタジアムのオープン戦で初めて彼をみたのをきっかけに、ネット上の追っかけになっている。今までみたことのない野球選手だと思っている。

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 昨日の2塁打、やわらかいバッティングで素晴らしかった。そのあとの二盗も。三盗は残念だったけど、判定ははじめはセーフ。リクエストでひっくり返ったが、あの大きなからだで三盗を敢行しようとする意気込みがすごい。

 アグレッシブなプレーとはアンバランスななんともさわやかな雰囲気を相変わらず維持しているが、それとは対照的だった日本ハムのヤンチャ系?同僚中田翔が「あいつにはかなわない。打球の音が全く違う」と言わしめた底力は、まだまだ全容をさらしてはいないと思う。

 

 大相撲が始まった。相撲は大好きである。どの力士が好きというのはあまりない。いい相撲を取る力士が好きという程度である。

 気になる力士はいる。宇良である。現在東三段目九十一枚目。十両32人、幕下120人、そして三段目には東西200人の力士がいる。その三段目の180番目ほど。幕内で活躍していたころからすれば“奈落の底”ぐらいのところにいる。ようやくけがも癒えて今場所から再出発のようだ。遅くとも一年後には幕内に戻ってきてほしい。運動神経の塊のような機敏な相撲を早く見てみたい。

f:id:keisuke42001:20180911105010j:plain    左:宇良 いぞり?

 もう一人、以前にも少し触れたことがある服部桜。彼の番付は東序の口二十七枚目。序の口はご存知のように慣用句にもなっている大相撲の一番下の階級?ここには64人が在籍。服部桜はそのうちの下から10人目ぐらい。宇良から数えて230番ほど下にいる。2015年初土俵で最高位が東序の口十八8枚目。20歳。周りはほとんど新人だろう。

 ほとんど勝つことがない。それでもやめない。とにかく弱い。身長176cm体重80.3㎏。身長は私とほぼ同じ、体重は私の方が少しだけ重い。つまり私が相撲を取っているようなものである。想像はしないでほしい。

f:id:keisuke42001:20180911105026p:plain服部桜

 彼、まれに勝つことがある。通算勝ち星2勝。3年間で2勝。先場所、相手の腰砕けで2勝目をあげた。神奈川県茅ケ崎出身。ここから30㌖ほどのところ。そんなこともあってなんとなく気になる力士である。

 

 大坂なおみが、セリーナ・ウイリアムズに勝った。全米オープン優勝。こちらも20歳。日本人選手が4大大会で優勝することがあるとは思ってもみなかった。いっときは錦織選手が近いのかなと思ったが、近いようで遠いのがこの世界。松山選手がメジャーで勝てないのと同様、西洋のプロスポーツの壁は厚い。
 

 それより、昨日の夕刊の一面(昨日は休刊日、朝刊はなかった)で気になったのは、「日本勢で初めて」という表現。大坂なおみはまごうことなき日本人であるにも関わらず、開明的と言われている東京新聞も「日本勢」だ。

 日本的な顔をして日本語をしゃべらないと日本人とは言えないのか?どちらも日本人を規定するものはならない。日本国籍を有していれば日本人と考えればいいのだが、法律上の日本人と一般的な日本人が意識する日本人とは違うということか。

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 日本社会では、民族と国籍が一致して当たり前という意識がいまだに強い。民族が違っても日本語が話せなくても“日本人”。それが当たり前になっていかないと、国際化なんてしていかないと思う。日本独特の食材を口にしたときに“日本人に生まれてよかった”なんてことを言う人がいるが、うまいものに日本人も外国人もない。もし慣習としての“舌”があるとすれば、“日本に住んでいること”が前提になるわけで、国籍は関係ない。

 民族としての日本人意識の狭隘さにもっと敏感になるべきだと思う。東京でのオリンピックに向けて日本いいですね、という独特の日本人意識が強調される今だからこそ、
 “日本勢”とか“日本出身力士”とか言わずに、明確に日本人と言い切ってみること。その時に感じる違和感があれば口にして、互いに矯めつ眇めつ微に入り細に入り、その感性を吟味検討してみることだとあらためて思う。

『ザ・スクエア思いやりの聖域』・・・随所に出てくる移民、難民と思われる人々は、歓迎されるべき存在として描かれてはいない。ではどんな人々が歓迎されるべき存在なのか。そもそも歓迎するされるって?

    『フレンチアルプスで起きたこと』(2014年・スウェーデンデンマーク・フランス・ノルウェー合作・原題:“Turist”・118分・監督リューベン・オストルンドをみたのは3年ほど前になるが、映画の印象は薄れていない。

   トマスは妻と二人の子どもとともにフレンチアルプスにスキー旅行に来ている。お昼時、レストランで多くの客とともに彼らも食事をしている。遠く山の頂きに小さく雪崩がおきる兆しが見える。このシーンがこわい。

 レストランの客の視点に同化して、初めは私も“たいしたことないだろう”と高を括って見ているのだが、あれよあれよという間に雪崩が眼前に迫ってくる。声が出そうになる。この演出は凄い。パニック映画ではないけれど、この迫力が映画のリアリティを支えている。

 レストラン全体が雪崩に襲われ、阿鼻叫喚の…。と思ったのもつかの間、レストランがパニックになったのはほんのわずかな時間、どういう偶然か、奇跡的にレストランは被害を受けず、次のシーンでは従業員も“しょうがないなあ”という感じで片づけを始める。

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 しかしトマス一家には大きな傷跡が残る。父親トマスは、自分の身を守るのに精いっぱいで妻や二人の子どもを守る行動に出なかったことが、妻や子の目に焼き付けられてしまったのだ。

 ここから先、トマスはさまざまな言い訳、弁解に終始し、最後に何とか自分の誠意を示すような行動に出るのだが、映画はそのまま問題を提起しながら終わる。不正確かもしれないが、こんな映画だった。
 

 今回同じ監督の『ザ・スクエア思いやりの聖域』(2017年・スウェーデン・ドイツ・フランス・デンマーク合作・原題:“The Square”・151分・監督リューベン・オストルンドをみて、『フレンチアルプス~』にはあった共感のようなものが抜け落ちて、精神的な回路の違いのようなものを感じてしまった。印象はあまりよくない。

 『フレンチアルプス』で父親トマスは、雪崩という自然災害に対して家族を守るという、一般的に父親に求められる行動をとらなかったために家族の信頼を失うのだが、トマスの弱さと失意はスクリーンの中だけでなく、私たちの中にもあるものというメッセージを受けたからこその共感だった。

 それに比べ『ザ・スクエア』は、やや高みから人々の弱さや傲慢さ、ずるさを“実験的”に引きずりだそうとしているように思えた。

 人間がもつ近代的な理性とは正反対の、他者への悪意や無関心、欺瞞、差別意識といった問題が、この映画の中でむき出しにされるのだが、その描き方が、私には人と人との関係や距離のルールを無視して、見えるはずのないところにカメラを置いて、利己的な行動を起こしてしまう人を笑いものにする“ドッキリ“系のテレビ番組に共通するなと思えた。

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 主人公が、失った信頼を回復するために自分のプライドを捨てて行動するシーンには共感するし、パーティーでの“モンキー人間”の常軌を超えた行動に対して、皆でそれを抑え込もうとするシーンもわからないではないが、それよりも人の弱さのようなものを捉えるときの視点が、私にはやや傲岸に感じられるのだ。回路の違いとはそういうことだ。
 

 自分の中にある、ときには超えられない弱さ、ずるさというものは、パーツとして存在するものではなく、自己と一体的にあるものだし、人はときにささやかな勇気や理性的な行動をとることもないわけではないし、理性と私的な感情を併せもつ矛盾した存在として“自己”というものが規定されると、私は考える。

 この映画では人間をトータルなものとして捉えられず、パーツパーツの寄せ集め、統合されない不自然なものの集合体として捉えられているように思う。そのあたりが回路のつながり方が違うとおもうのだ。 

 一方映画の中には、幾つもの不可解なシーン“よくわからない仕組み”がはめ込まえられている。
 物語全体に筋道がつかみにくい面が多いのだけれど、少しだけ中身に入ってみたい。

 

 大雑把に言うと、現代美術館 X-Royal Museum のキュレーター、クリスティアンの身の周りで起きるいくつかのことが、実は自分の中にある差別意識の裏返しであることに気づかずに、どんどん深みにはまり込み最後はクリスティアンが解雇されてしまうという話。

 “よくわからない仕組み”を挙げていくと、冒頭女性記者からインタビューを受けるシーン。記者にわざと持っている書類を落とさせたり、クリスティンの無関心を引き出したりしながら、簡単に終わる。このシーンが意味することが全く分からない。
 

 なんなんだよ?と観客に思わせることを狙っているのだろうか。音もどこか不安になるものだ。

 この記者に対しクリスティアンは、別のシーンで「あの女とは寝ないぞ」と言いながら、直後のシーンでは彼女とベッドの中にいる。セックスシーンも無機質で不思議なものだが、ことが終わると精液の入ったスキンをどちらが捨てるのかで言い合いになる。

 クリスティンは意固地になって「自分が捨てる」。ゴミ箱を持ってきてここに捨てろという記者。何のための議論なのかよくわからない。宙ぶらりん。
 

 この記者との関係が何なのか、最後までよくわからなかった。彼女の部屋にゴリラが住んでいるのも。

 タイトルのように、美術館の新しい企画展示の中に四角で囲った平面があり、コンセプトは「ザ・スクエアは、信頼と思いやりの聖域です。この中では誰もが平等の権利と義務を持ちます」というもの。話はここを中心に進む。

 思いつくままに並べてみると、クリスティアンは、街中で女性を助けようとしてその女性に財布と携帯をとられてしまう。これを取り戻そうとして部下と相談してGPSによって財布と携帯のありかを特定、そのアパート全戸に、返さないと大変なことになるぞと脅しの文句を書いたビラを配る。そのうちに財布と携帯は送り返されてくるが、思いもかけない反応が出てくる。そのアパートに住む少年が“自分は家族に泥棒と疑われた。あやまれ、そして自分の潔白を証明しろ”と怒鳴り込んでくる。これがたいそう迫力がある。クリスティアンはこの少年を追い返し、階段から突き飛ばしてしまう。“助けて助けて”という声がアパートに響くが、クリスティアンは助けに走るのではなくごみ集積場に行き、捨ててしまった自分を告発する誰かから来たのかもわからない告発の手紙をゴミだらけになって探し回る。

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 そのうちクリスティアンは自分の子どもを連れて少年の住むアパートを訪ねて謝ろうとする。少年は引っ越していて会えないのだが。このエピソードはいったいなんなのか。 

 もうひとつ、クリスティアンがいい加減にGOサインを出したスタッフのyoutubeへの投稿が炎上する。
 金髪の少女がスクエアの中でなにか助けを求めているのだが、次の瞬間少女は爆死する。ここに至るまでのシーンがかなり長いが、私にはよくわからない。
 

 とにかく随所に“よくわからない仕組み”があり、それがある意味この映画をそれほど単純でない人間批判を形成しているのかもしれない。単なる高みからの人間批判に終わらずに、クリスティンの不条理な行動の中に優しさも残酷さも同居していて、寛容はときに不寛容に、誠実さはいつでも不誠実さに、出し入れ自由だよという一つの批評性に行きついているのかなと思うが、なんともすっきりしない映画であったことは確かだ。
 
 この映画がカンヌ映画祭の昨年のパルムドール賞、つまり今年の『万引き家族』にあたる賞を受賞したという。「ある視点」部門へのノミネートならわかるが、なにゆえこの作品が最高賞を受賞したのか。

 ノーベル賞同様、伝統あるカンヌ映画祭も世界の中に政治的な位置があるとすれば、クリスティアンは難民問題の困難に直面しているヨーロッパのメタファーなのか?要するに「思いやりの聖域」なんて成立しないよ、ということか。随所に出てくる移民、難民と思われる人々は、歓迎されるべき存在として描かれてはいない。ではどんな人々が歓迎されるべき存在なのか。そもそも歓迎するされるって?

思いつきにすぎないが、そんなことを考えさせられたた映画だった。
 

セリフが少なくて長回しのカメラ、映画の中に流れる空気が穏やかで静かなところがとってもいいと思った。無味無臭のようでいて、気がつくと“ああ、いい匂いだったねえ”という感じ。

 

 

 

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遅まきながら『四月の永い夢』(日本・2017年・93分・監督中川龍太郎・主演朝倉あき)をみた。
 セリフが少なくて長回しのカメラ、映画の中に流れる空気が穏やかで静かなところがとってもいいと思った。無味無臭のようでいて、気がつくと“ああ、いい匂いだったねえ”という感じ。
 主演の朝倉あきという人、初めてみたのだが、魅力的な役者だと思った。表情だけでなく声そのものもいいし、声を発するタイミングもいい。

 監督の演出は、出来上がりがさらっとしている分、たぶんかなりねちっこいと思うのだが、それによく応えられるセンスに優れたものがあるのだろうと思った。

 彼女を中心に出演者が皆で見せてくれるセリフのないところでの感情の流れ、滞り、動きがとっても自然で、素晴らしい映画だと思った。いい映画はなるべくネタバレをしたくないので詳しくは書かないが、さまざまな伏線を言葉より映像に語らせようとしているのがいいなと思った。こういう雰囲気の映画は久しぶりだった。中川監督の映画をもっとみてみたい。

 ただあえて難をつけてみれば、物語の根幹部分、主人公の“初海”が、付き合っていた彼の死のどこにどう拘っているのか、周縁部分はほぼ語られているのに、中心部分がどうしても抜け落ちているように感じられた。彼の手紙の中に何か決定的なものがほしいというのではなく、ふたりの“すれ違い”、初海の”拘り”が私には今一つ伝わってこなかった。まれにみるいい映画であると思うのだけれど、そこがうまく落ちないと終始一貫して積み上げられた宝石のような断片が輝いてこないように思えた。それがこの監督の手法だと言われればそれまでなのだが、それにしてもその部分の”示唆”が私には足りないと感じられた。そのせいか後半少し漫然としたものを感じたのも事実だ。受け取る側のセンスの問題だろうと言われれば、それまでなのだが。

 もう一つだけ。初美の教え子でジャズ歌手を標榜する楓役の川崎ゆり子という人のこと。演出のうまさでもあると思うのだけれど、若い女性教師に対する中学時代の教え子(初海は蕎麦屋でアルバイトをして暮らしているが、3年前までは元中学の音楽の教師、彼の死をきっかけにやめ、楓はその頃の教え子という設定)の一種独特の軽さというか、セリフ回しも含めてあっけらかんとした演技がとっても自然でリアルなのに驚いた。劇中で歌うたのだけれど、これもいい。

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右が朝倉あき、左が川崎ゆり子

 それに比べると、三浦貴大や高橋惠子や志賀廣太郎は、設定もセリフも少しはまりすぎている感じがした。