市民としての当事者性の違いと言えばいいのだろうか。徴兵も軍隊もないに越したことはない。しかし、徴兵も軍隊もない“平和”が、戦勝国であるアメリカや、沖縄の犠牲の上にあるとしたら、その“平和”を喜んで享受していいのだろうか、

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 30年後の同窓会』(アメリカ・125分・原題:Last Flag Flying 監督リチャード・リンクレイターをみた。海兵隊の同期の3人の物語だが、しみじみとしたいい映画だ。でも〈同窓会〉というのは違うのではないか。邦題のつけかた、気に入らない。どう訳せばわからないが、30年前の海兵隊生活を引きずる3人の初老の男たちの、人生にあらためてけじめをつけようとする映画と考えれば、原題のほうがすんなり入ってくる。〈同窓会〉はいけない。イメージが限定されすぎる。
 
 
(略)男ひとりで酒浸りになりながらバーを営むサルと、過去を捨てて牧師となったミューラーのもとに、30年にわたって音信不通だった旧友のドクが突然現れる(2003年のことだ=keisuke註)。ドクは1年前に妻に先立たれ、2日前に遠い地で息子が戦死したことを2人に打ち明け、死んだ息子を故郷に連れ帰る旅に同行してほしいと依頼する。30年前のある事件で大きく人生が変わってしまっていた3人は、ともに旅をし、語り合うことで、人生に再び輝きを取り戻していく。(略)
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 ベトナム戦争海兵隊の一員として従軍していた3人の男たち、その一人、酒浸りになりながらバーを経営するサルのもとに衛生兵だったドクが現れる。30年ぶりの再会だがカウンターの中のサルは気がつかない。うまい酒だ、いい店だというドクにつっけんどんな対応をするサル。

   気がついて再会を喜ぶサルはドクに「何年、懲役に行っていた?」と訊く。「どうしてこの男が懲役?行くならサルだろう」と思わせるこの冒頭のシーン、セリフも画面もとってもいい。二人の関係を暗に際立たせるシーンだ。

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 次の日ドクは、酒の抜けないサルに面白いものを見せてやると言って、車で連れ出す。着いたところは教会。牧師となっているリチャード・ミューラー。彼の話が聴衆の気持ちを強く引き付けている。30年前とは打って変わってリチャードが敬虔な牧師となっていることにサルは納得がいかない。


 妻を病気で亡くし、今また息子をイラクで亡くした生真面目なドク、海兵隊時代と変わらず投げやりな生き方で希望のもてない生活を続けるサル、過去の暴れん坊ぶりを神との出会いで悔い改めたとするリチャード。三人三様30年間の人生の経年変化がぶつかり合う。
 人は変わることができるが、ずっと変わらない部分もどこかにもっているもの。
 

 ドクは、息子の遺体を引き取りに行くのを二人に手伝ってほしいと頼む。過去の関係に思いの強いサルは即座に了承するが、関りを避けたいリチャードは逡巡する。サルはドクに「あいつは必ず行くさ」と言いながら、リチャードの妻の説得の仕方まで当ててしまう。サルという人物の一筋縄ではいかない偽悪の深さが見えるところだ。

 

 クルマで引き取りに向かう3人。典型的なロードムービーだ。ベトナム時代の思い出話にふける。30年前の出来事が懐かしくよみがえってくる。アメリカ人にとって軍隊生活は、精神的にも大きな意味をもってしまうことがよくわかる。良きにつけ悪しきにつけだが。

 

 死体がずらっと並んでいる飛行機の格納庫。引き取り先の責任者である海兵隊の大佐はドクに「遺体は見ない方がいい。損傷が激しいから」。ドクは息子の遺体に向き合う。「顔がなかった」。

 ラリーの死は「英雄的な戦死」であるからと執拗にアーリントン墓地への埋葬を勧める大佐、その死に疑問をもつドクはそれを拒否する。ラリーは後ろから頭を撃たれていた。

 アーリントン墓地は国立の戦没者慰霊施設である。埋葬の決定権は国ではなく基本的に遺族にある。また宗教は一切問われない。イスラム教もOKだし、天理教創価学会の墓もある。靖国神社とは基本的に性格が違う。日本には無名戦士の慰霊施設として千鳥ヶ淵戦没者墓苑があるが、無宗教の国立墓地はない。
 

 ラリーは戦闘で死んだのではなく、戦地で買い物に寄ったお店でイスラム過激派に襲撃されて死んだのだ。そうした事実を覆い隠し、英雄的な戦死として処理しようとする国家に3人は反旗を翻す。自分たちの手でラリーの遺体を故郷に埋葬するために動き出す。

 

 紆余曲折を経て列車で故郷に向かう3人とラリーの同僚のワシントン。

 

 遺体を横において列車の中で海兵隊時代の思い出を語るシーンは、猥談も含めて3人の演技のうまさに驚かされる。しかし楽しい話だけではない。いまだに3人の心の古傷となっていた事件も浮かび上がらせる。

 

 物語はイラクで死んだドクの息子の死をめぐる疑惑と、30年前ベトナムで彼らが関わって起きた“事件”とが重なって進んでいく。

 ベトナム戦争もそうであったように、イラク戦争もまたほとんど大義のない戦争だった。その中でのラリーの死は無駄死にであり、名誉ある戦死ではないことを3人はよく知っている。3人が関わった“兵士の死”もまた名誉あるものではなく、若かった彼らの起こした無駄死にだった。

 衛生兵であるドクが管理していた鎮痛剤をサルとリチャードが乱用してしまい、その結果鎮痛剤を与えられずにもがき苦しみながら死んでいった兵士がいた。そのせいでドクは刑務所に入り、ふたりは除隊している。ドクが罪をかぶったのだ。
 

 彼らは除隊後、長くそのことを悔いてきたのだ。サルの荒れた生活やミューラーの変化、ドクの静かな生活、それぞれがそれぞれの方法で傷を抱えて生きてきた。
 軍や国家は常に政治的な存在であり、その都合に合わせて事実を隠蔽し兵士の人間性を奪っていく。兵士もまた極限状態の中で人間性を失っていく。
 

 サルにとっては、危険と隣り合わせの青春時代を過ごした海兵隊への思いは消し難く、一方国家が、軍隊が暴力装置として人間性を奪っていくことへの強い不信感ももっている。国家というものに対するアンビバレントな思いが、サルだけでなくほかの二人にもあるのである。
 

 この映画には国家と個人という対抗軸が見える。3人が3人ともアメリカという国を愛しながら、国家を無批判に受けいれているわけではない。彼らには市民として、個人として国家を見切ろうとする視点がある。遺体を運ぶ旅に出る3人に共感を寄せるアメリカ人が多いのは、この映画がヒットしたことでもよくわかる。
 

 このあたりが日本とは決定的に違う。軍隊の存否の是非はともかく、軍隊の中で市民が思想や生き方を形成する細いけれど長い流れがアメリカにはある。国家権力の暴力装置としての軍隊を対象化して見ようとする思考だ。
 これに対して日本の軍隊の歴史は短い。73年前まで存在していた大日本帝国の軍隊を舞台にした思想形成に至る文学的な作物は多々あるが、この70年以上、軍隊のなかった日本にはそれはなかった。
 それどころか、戦後の日本は対米従属を旨とする政治体制の中で、外交や対外戦略について市民一人ひとりが身体をかけた思考をしてこなかった。不平等条約である安保・日米地位協定を他人事とし、多くの危険を沖縄に押し付けてきた歴史は原発を過疎の地域に押し付けてきたこととよく似ている。白井聡が「戦後レジームとは安保と原発」と言っているが、その通りだと思う。
 

こうした違いが、アメリカにおいて個人が戦争と向き合う際にしみ出てくる文学や映画の底の深さにつながっているし、日本においては、戦争をめぐる文学や映画が73年前で止まってしまい、その多くが過去の観念的なものとなってしまっている。 

 戦争をしてこなかったからのだからそれでいいじゃないか、とは私には思えない。平和憲法の名のもとに武力行使はしてこなかったが、何度も間接的に戦争に加担し、その結果、経済発展を得てきた歴史がこの国にはある。
 

 市民としての当事者性の違いと言えばいいのだろうか。徴兵も軍隊もないに越したことはない。しかし、徴兵も軍隊もない“平和”が、戦勝国であるアメリカや、沖縄の犠牲の上にあるとしたら、その“平和”を喜んで享受していいのだろうか、と私は思う。
 
 彼ら3人が掲げようとした“旗”とは何だったのか。「やっぱり、アメリカ映画って面白いよね」で片づけてはいけないものが、この映画にはあると思った。