今、学校現場に最も欠落しているものは何か。そして必要とされるものは何か。すさまじいスピードからいったん降りて、考えてほしい。そうしなければ現場の“ほうれん草”は腐り続け、K先生の問題のような心ない“事故”が連発されることになる。

  7月に東京の労組の通信に書いた原稿が掲載されたので転載する。

 テーマは以前にも少し触れたことがある”セクハラ冤罪事件”についてである。

 字数の制限があるため、詳細については省いてある(処分当時の詳しい分析について知りたいという方は、雑誌『現代思想』2014年4月号の拙稿を参照されたい)。

 

 

 2013年10月初め。横浜のK中T先生は管理職に呼び出され、部活動の指導中に女子生徒の身体に触れたのではないかと問い詰められる。あろうことかテーブルの上には処分量定表。どれにあたるか考えてみろと詰問される。
 突然のことだった。T先生は身に覚えがないとして否定するも、校内では北部学校教育事務所(以下事務所)の指示で関係生徒への事情聴取が始められ、T先生はテニス部顧問と中三の学級担任を外される。出勤は禁じられ、事務所での幽閉の日々が始まる。
 たしかに女子部員と軋轢はあった。対応の難しい生徒もいる。たびたび過呼吸熱中症と思われる女子生徒の救護の際、肌に触れ体温の確認はした。しかしいつも保護者や生徒が周囲にいた。セクハラなどとんでもない。
 事情聴取では、生徒指導で最も一番気をつけねばならない中学生の被暗示性、被誘導性、迎合性は一顧だにされなかった。いったん「セクハラ」で動き始めた流れは止まらない
 T先生が最後にたどり着いたのが横校労だった。電話をとった私は、即時加入を勧めた。救護行為は衆人環視の下であり、冤罪の可能性大と判断したからだ。すぐに事務所との折衝を開始した。
 とは言え処分案件は管理運営事項。正式な行政交渉の対象とはならない。予断で事情聴取を進める管理職と北部事務所の間に食い込み、彼らを執拗にけん制するためにこちらの主張を記した詳細な申し入れ書を提出。テーブルを設定させる。併せて校長交渉も。管理職二人の性急な思い込みによる判断ミスがことの始まり。ここが正念場だ。
副校長は、T先生と二人きりになったときに「親が悲しむぞ。早くほんとうのことを言えば助けてあげられる」と発言。容疑者に猫なで声で迫る安っぽい刑事ドラマのようである。
 孤立無援のT先生に味方が現れる。学年主任のY先生だ。彼女は、管理職による生徒への聴取のずさんさを批判して横校労への加入を宣言、T先生支援を校内で表明する。聴取の仕方がおかしいと主張する生徒、校長に対し事情説明を求める保護者も出てきた。そのせいか聴取は異例の3か月の長きに及んだ。
 明けて2014年1月末、市教委は「減給十分の一3か月」の懲戒処分を発する。理由は「不適切な指導によって生徒に不快感を与えた」というもの。予想された「セクハラ行為」による免職処分からかなり「減額」されており、市教委の詰めの甘さ気の弱さ、調査の杜撰さが露呈した処分であった。
 しかし、その裏でT先生に対する陰湿な嫌がらせが続く。処分は「不適切行為」なのに「セクハラ」が隠然とつきまとう。T先生の現場への復帰は認められず、卒業アルバムから写真が削除された。4月の異動に伴う離任式(公的な学校行事)の保護者への案内から名前が削除され、式への出席も拒否された。
 二重処分とも言えるこうした市教委、学校側の対応にT先生は反発、3月横校労とともに処分取り消しの審査請求を人事委員会に求める。3年半の優に30cmに近い厚さの書面のやり取りを経て、2017年12月ようやく事件は公開口頭審理までたどり着く。
 4日間10時間に及ぶ尋問は、市教委側:校長、副校長、養護教諭、T先生側:3年学年Y主任、1年学年H主任、テニス部部長(当時:現大学生)と学校を二分して争われる異例なものに。
 2018年4月、横浜市人事委員会は、減給処分を取り消し戒告とする裁決書を双方に送付した。市教委側代理人が主張し続けたT先生のセクハラを含む「不適切な行為」はすべて否定され、市教委による処分は「裁量権の逸脱」と断罪された。

 発端となった校長の北部事務所への杜撰な”報告”が「セクハラありき」をねつ造した。”連絡”を受けた北部事務所は、報告を丸呑み、「セクハラありき」が”相談”の中で確定していく。最後は市の教育委員会議が「セクハラありき」を追認する。
 “ほうれん草”は、責任の細分化=無責任体制をつくりだすものだ。腐った“ほうれん草”が導き出した結論がひっくり返っても、誰も責任をとろうとはしないそのためだ。
2002年“教育改革”以降、学校現場はゆとりを失い、学校労働者同士のつながりも変質を極めてきた。

 今、学校現場に最も欠落しているものは何か。そして必要とされるものは何か。すさまじいスピードからいったん降りて、考えてほしい。そうしなければ現場の“ほうれん草”は腐り続け、K先生の問題のような心ない“事故”が連発されることになる。

 

     「アイム‘89東京教育労働者組合」機関紙””あいむ‘89”2018年9月号

 

*転載するにあたって一部手を入れたところがある。