1月はブログに気持ちが向かなかった。
それまで、ジャニーズ、日大、宝塚、パレスチナが授業の初めのトピックス交換の定番だったが、能登の地震がそこに加わった。
学生の中に東北で育った人も何人かいて、彼らが能登について触れる口吻は、他の学生とは少し違っていたのが印象的だった。彼らはいちように、何かを思い出すように確かめるように話す。
震災の時、彼らは小学校4年生か5年生、生々しい記憶として残っているようだ。その分、能登のことを我が事のように感じているのが伝わってくる。
古い友人が穴水町で被災したことを知った。横浜・港北で義捐金を募っているというので、そこへ便乗、わずかだが協力した。
もともと組合にいた方だが、3年ほどしか在籍しなかったから知っている人は少ない。
それでも呼びかけてみると、何人かが応じてくれた。ありがたいことだ。
その方、家は全壊、避難所で暮らしていたが、事情があって続けられず、金沢に住まいを借りて生活をしているという。HPを見ると、長年、地域での活動を続けて来られた。拠点となる建物も新築したのに、それも壊れてしまったとのこと。
町全体では、全壊、半壊が1000棟(1月10日)、死者16名。2月1日段階で水道復旧は37%だとか。3000世帯を超えるくらいの規模だから、大変な被害だ。
彼女は私より2、3歳上の方。高齢者ほど時間が経ってからのショックが大きいことは想像できる。生物学的にも環境への馴化が難しいし、気持ちの面でも「先」を考えにくい。察するに気の毒である。
私たちとて何ができるわけではないが、継続して支援できたらと思っている。
これ、境川に映った雲。こんなに水面が動かないのも珍しい。