山菜の季節。
本厚木に月に1、2度映画を見に行く。3スクリーンが魅力だからだ。
映画館のあるビルの地下に「あつまる」という自然食品のショップがある。厚木まるごとという意味での命名のようだが、並んでいる品物は必ずしも厚木のものばかりというわけではない。
この時期、店頭に何種類かの山菜が並ぶのだが、わらびなどは秋田産のもの。毎年この時期になると映画を見にくるごとに買ってくるのだが、映画が終わる時間が少し遅いと品切れに。先日も二度続けてわらびはなく、うるいを買って帰った。
先週、新潟の知り合いから大量の山菜をいただいた。こごみ、タラの芽、山うど、など食べきれないほどの量だったので、近所の知り合いへお裾分けをした。
その時の話。小学生のお孫さんがいるお宅。野菜を全く食べないお孫さん、山菜はどんなものでも食べるのだそうだ。
考えてみればすごい話。
野菜のほとんどは自然そのものではなく、人間が時間をかけてさまざまに改良を加えできてきたもの。山菜は、野菜とは全く別物で、山に行けばそこに自生しているもの。野と山の違いは大きい。
私たちは年中何気なく野菜を食べ続け、春になると季節を食べるように山菜を好んで食べる。それに対しこのお孫さんは、自然のものと人間の手が加わったものとを味覚できちんと判別している。
これは単なる好き嫌いとは異なるのではないか。味覚の鋭敏さが際立っているということだ。
こごみは天ぷら、などと決めつけているのだが、今回大量にいただいたので、おひたしで食べてみた。わらびとはまた少し違った風味、わらび同様とろっとしたところもあってかなりうまい。
お裾分けした別のお宅では、こごみでナムルを作るのだそうだ。
山菜といえば、もう20年近く前のこと。5月の修学旅行の代休を使って小樽に出かけたことがある。街の中を物色しているうちに根曲りだけを見つけた。横浜ではなかなか手に入らない。すぐに買い求めた。これがなんとも美味かった。忘れらない風味。それ以降、見つければ買い求めるのだが、小樽の根曲りだけ以上のものはいまだない。
山菜は思わぬところからいきなりいただくのがいい。なんとなく授かりものという感じがするし、山の中で偶然見つけたような気分にもなる。いただいておきながら、図々しいことこの上ない話だが。